第五話
「とにかく、脱出する。しなきゃ死ぬ」
現状の目的を口にした早坂透――トールは、聖剣を背中に担いで普通の顔をして頷いているティアを見た。
こうして改めて見てみれば、本当に美人だ。
白金色の髪を首の後ろで素っ気なく括っており、大きな碧眼は人懐っこい子猫に似ている。背は、トールより頭ひとつ分は低い。身体の各所に取りつけられた青白い軽鎧があってなお、剣を振る者としては痩せているのが判る。
日本人とは顔の造形が異なるので、年齢の予想はつかないが……どう見ても三十代には見えない。十八歳くらいにも見えるし、二十六歳と言われればちょっと驚くだろうが、そうなのかと納得するだろう。
とても聖剣の担い手には見えないが――明確に聖剣使いだと判る。
ただ立ってトールを見返している、その立ち姿に隙がなさすぎるのだ。
「ねえ、トール。脱出するのはいいんだけど、そもそもここは何処で、なにがどうなってライトブリンガーと、あの赤黒い刀を抜くことになったんだい?」
「……そういや状況を共有してなかったな」
「ちなみにボクの主観としては、聖剣が次の所有者を見つけて魂を接続したおかげだろうけど急に意識がはっきりして、受肉しようと思ったら現界できた。そしたらトールが倒れてて、目の前にあったはずの刀は消え失せてた」
両手を挙げて『お手上げ』を示し、気楽そうに笑う。
なにも考えていないわけではなく――単に自信があるのだろう。
ここが何処であろうが、どのような状況であろうが、切り抜けられる自信が。
「あー……とりあえず、俺の側の状況を話す。なんか疑問があっても、とりあえず、一通り聞いてからにしてくれ」
迷宮の掃除屋をしていること、昨日の清掃業務中に奇妙な耳鳴りを聞いたこと、今日も耳鳴りが聞こえて、なんだかよく判らない袴の人影が現れたこと。
人影を追い、直線通路の途中で壁の中に吸い込まれていく人影を目撃する。その壁を触ってみれば『幻影壁』で、すり抜けた先の小部屋の床もまた『幻影』で……。
そして、落下。
何故か墜落した先でもトールは怪我をしておらず、長い直線通路の向こうに黒いオーガがいて、どうにか逃げようとして、追いつかれそうになって、また袴の人影を目にして、そいつがまた壁の中に消えて行って……。
どうにか『幻影壁』の中に逃げ込んでみれば、剣が二本、部屋の真ん中に突き刺さっていた。オーガに殺されかけていたトールは、剣と刀を手に取った。
「……んで、意識を失って、目を覚ましたら、おまえがいた」
「ティアって呼んでよ。おまえ、じゃなくてさ」
「気が向いたらそうする」
「いけず、ってやつだね、トールは。でもとりあえず、いいや。迷宮っていうのがボクの知ってる迷宮と同じようなものだとしたら、たぶん転移罠を踏んだと思う」
ふむ、と頷くティアに、トールは手を叩いて頷いた。
「あー……たぶん、そうだな。自由落下が長すぎると思った。確か空気抵抗を無視した計算だと、十五秒の自由落下で一キロくらい落ちるんだよな」
実際には空気抵抗があり、質量も絡むので計算はややこしくなるが、十五秒なら半分くらいの距離になるだろうか。
とにかく、五百メートルも落ちておきながら無傷である意味が判らないので、転移の罠を踏んだと考えるのが自然だ。
「なんかよく判らないことを考えてそうだけど、たぶん、違うことを考えた方がいいと思うよ。『どうして』じゃなくて『どうする』だよ、今は」
やや呆れたふうに目を細めてティアは言う。
それにもトールは頷いた。否定できるところなどひとつもなかった。
「だな。仮に転移の罠を踏んだとする。で、たぶん一方通行の転移罠だ。となると、現在地は不明だし、脱出経路も不明で、そもそも脱出できる構造になってるかどうかも怪しい。転移しなきゃ出られない、みたいな構造だとかなり拙い」
「ここが迷宮だっていうなら、必ず脱出できる構造になってるはずだよ」
確信に満ちたティアの口調に、トールは首を傾げた。
そんな話は聞いたことがなかったから。
「んーっとね、迷宮っていうのは世界の……なんていうか、デキモノみたいな感じなんだ。世界中に漂う魔力なり霊力なり神力なり、そういったものが迷宮を造ってるらしいんだけど、本質的に迷宮は『中身を出したがっている』んだってさ」
「……よく判らないな?」
「だからさ、人が通れる通路があって、人が戦える魔物がいて、解除できる罠があって、宝があって――明らかに人を招くモノだろ、迷宮って。最奥のコアを潰せば迷宮は消えてしまうんだけど、なんでダンジョンコアに到達できるようになってるのさ」
「……まあ、それこそ人が通れないような場所に置いておけばいいはずだよな」
「踏破されるのが前提なんだよ、迷宮は。だから脱出できる。絶対に」
大丈夫だよ、と励ますように笑うティア。
普通に勇気づけられて、トールは苦笑してしまった。
「いずれにせよ、この部屋に死ぬまで閉じこもってるわけにもいかないもんな。おまえがどのくらい頼りになるのかは判らないが、頼らせてもらうよ」
「うん、頼りにしてよ。たぶんファイアドラゴンくらいまでなら、トールを守りながらでも倒せるから」
◇◇◇
はたして聖剣使いティアの実力は、本物だった。
といってもD級探索者未満のトールでは他人の実力を測るほどの眼力を有していないので、黒オーガを相手にしても一撃で倒せてしまうティアが、他の探索者と比べてどれくらい強いのかは、いまいち判らない。
しかしとにかく、身の危険さえなければ、あとは迷宮の構造を頭に叩き込みながら歩き回るだけだ。転移罠を何度も踏んでいくタイプの迷宮だとかなり苦戦するだろうと覚悟していたが、どうやら大丈夫そうだった。
例の直線通路は五百メートルくらい直進したあたりで丁字路に行き当たったので、おそらく長大な通路を有する迷宮なのだろう。
もっとも、この迷宮がスガイダンジョンかどうかは、ちょっと判らないが。
なにしろ転移してしまった――のだろう、たぶん――わけだし、ひょっとすると別の迷宮に転移している可能性もある。探索終了済みのD級ダンジョンであるスガイダンジョンに黒オーガの出現など確認されていないので、その可能性は高そうだ。
あれこれ考えながら、トールは自分の数メートル先を歩くティアの背中を眺める。通路を歩く彼女に緊張感はなく、聖剣は背中に括られたままだ。
「元々は鞘も金具もなくてさ。刃のない剣だから別に鞘が必要ってわけじゃないんだけど、やっぱり持ち歩くのに不便だったんだよね。それで、ドワーフの鍛冶士に頼み込んで、鍔の部分に金具を取り付けてもらったんだよ」
懐かしいなぁ、と笑うティアだったが、それは一体いつの話なのか、そもそもそれはこの世界の話なのか。
なんとなく、違う気がする。
彼女が語る『過去』は、融合前の異世界なのではないか。
と思ったトールではあるが、確証が持てないので口にしなかった。
黙っているのがやや気まずく、ポケットから携帯端末を取り出し、通信が回復していないかを確認するが……まだ、通信圏外だ。
おそらく未踏破領域。
時刻は……トールがスガイダンジョンに入ってからだと、もう二十六時間も経過している。かなり長い時間、気を失っていたらしい。
「それにしては、あんまり腹が減ってないし、疲れもない」
「ライトブリンガーの効果だよ。アストラル攻撃の他にも、中級以下の魔法攻撃無効、精神魔法無効、竜種からの攻撃全般には強耐性で、自動回復もある。身体が痛いところとか、ないでしょ?」
独りごちるトールに、なんてこともないとばかりティアが答えた。
「……それが本当なら、マジで神話級だな」
パッシブ効果てんこ盛りだ。
実際に目の前でティアが聖剣を振るっている様子を見ていなければ、そして彼女が消えたり受肉したりを実演していなければ、とても信じられなかったはずだ。
「あっ、また黒オーガだ」
通路の向こうに魔物を発見したらしいティアが、ぽつりと呟いてから走り出した。視界の効かない三十メートル以上向こうまで、ほとんど一瞬で到達し――光の軌跡が、三本浮かび上がり、消えた。
普段は鉛みたいなライトブリンガーの刀身は、戦闘時には青白い発光を伴うのだ。剣そのものに込められた聖属性と、ティア自身の魔力が呼応しているとのこと。
トールがこれまで実際に見た中では、迷宮担当課の課長が最も強い人物だ。スーツ姿のくたびれた中年、という風体の男だったが、対面したときにぞっとしたのを覚えている。数回……それも一言か二言ずつ言葉を交わしただけの相手だ。
それでも、対面した瞬間、生物的な格の違いをはっきりと理解できた。
小さな子供が大人を見上げて「この人が本気でキレたら抵抗できずに殺されるだろうな」と、言語化しないまでも本能的には理解できるような。
明確で残酷な『差』を、トールは感じた。
とてもではないが束ねて溶接した鉄筋で殴りかかってどうにかなる相手ではない。
そんな迷宮課の課長と比べても、おそらくティアの方が段違いに強い。
いくら元A級探索者といえど、トールが毛玉や大鼠を蹴散らすみたいには、オーガ種を蹴散らしたりはできないはずだ。
「たっだいまー」
冗談みたいな速度で戻って来たティアの手には、拳大の『魔核』が握られていた。それを渡されても、既に腰袋はいっぱいになっている。仕方ないので上着を脱ぎ、即席の風呂敷にして担ぐことにした。
一日かけてトールが掻き集める『魔核』は、量としては寿司一貫から二貫ほど。金額としては三千円になるかといったところ。
スガイダンジョン上層で拾える『魔核』ひとつが米粒大なので仕方がないが、それでも月に二十日繰り返せば掃除屋の契約料とは別に六万円の収入になる。
ティアが狩ってきた黒オーガが落とした『魔核』は……おそらく、ひとつ三十万は下らないはずだ。もしかすると六十万を超えるかも知れない。
「やっぱり『魔核』って、今でもお金になるんだ?」
「おまえの生前がいつの時代かは知らないけど、そうだな、金になる。ついでにいうと俺は貧乏人だ。山のように持ち帰る手段はないけど、ゲットした『魔核』を捨てていくのは心が死にそうになる」
「あはは……まあ、お金は大事だもんね」
意外にすんなりと納得するティアだった。
それからは気を遣ってくれたのか、やたらに魔物を倒すようなことはせず、進むのに邪魔な分だけの魔物をティアは倒すようになった。
剣が刺さっていた部屋を出てから、四時間ほど。
ようやく見つけた階段は、上下両方のものだった。
というか、A階からB階へ降りる階段の途中に『幻影壁』があり、これまでトールたちが歩いていたのはいわば『中B階』だったということになる。
「……ものすごく意地の悪い構造だな」
「うん。こういうのはボクも初めてだよ。たぶん迷宮の踏破に関係ないんだ、これ。だからこんな変な構造になってる」
「仮にだけど、その聖剣が迷宮に取り残されたままダンジョンコアが破壊されたら、どうなってたと思う?」
「うーん……たぶんだけど、別の迷宮に似たような構造が生まれたんじゃないかな。迷宮って世界のデキモノっていうか、辻褄合わせみたいなものだから。たぶんライトブリンガーを一緒に消滅させるくらいなら、どっかに転移させると思う」
「ふぅん?」
なんだかよく判らないが、そういうものなのかも知れない。是非を棚上げして雑に頷きながら、とにかく階段を登ることに。
意地悪ゾーンは抜けたようで、何階なのかは判らないが、とにかく上の階へ出ることができた。ここから先はまともな迷宮のはずだ。トールは小さく息を吐いた。
それから、ふと思いつき、ポケットの携帯端末を確認。
通信が回復していた。
ようやくグッドニュースだ、とティアの方へ視線を向けてみれば、これまでずっと朗らかだった彼女の表情が、ひどく真剣に引き締まっていた。
――ぞくり、と。
眼前に存在する隔絶した強者に、トールの背筋が粟立つ。
ほとんど同時に駆け出す『聖剣使い』の背中を眺めて……二秒後、ガコンッ、と剣が地面に落ちる音が響いた。かなり遠くで。
そのさらに一瞬後、トールのすぐ横に、ティアが立っている。
「トール! どうやらボクはトールから一定距離以上は離れられないみたいだ! いきなり走り出したのは悪かったけど、悪いついでだから、あっちに向かって走ってくれないかな! 急いで! 早く!」
かなり真剣な調子で捲し立てられるが、情報量が多くてトールは少し困った。
「いや、意味が判らない。なんで走らされるんだ? 向こうになにがある?」
「誰かが魔物に襲われている! 助けるんだ!」
と、ティアは叫んだ。
それが当然であるかのように。
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