第三話




 翌日も同じようにボディカメラの電源を入れて配信が開始されているのを確認し、早坂透――トールはスガイダンジョンの『掃除』を始めた。


 当然というべきか異音についての報告は完全に無視されたようで、調査をする気配もなく、そもそも配信の確認すらしていないようだった。

 もっとも、トール自身も配信を見直して異音が聞こえた該当箇所を確認するのは忘れていたので、強く責めるつもりもないが。


「鼠、四」「毛玉、三」「デミゴブ、一」「毛玉、二」


 いつも通りに淡々と雑魚を殴り殺し、米粒大の『魔核』を掻き集め、一層を降りて二層へ。同様に清掃を続け、さらに二層から三層へ。


 そしてそのまま、例の場所へ。


「……やっぱり、聞こえる」


 きーん――という、モスキート音のような、耳鳴りのような、周波数の高い音。マイクで拾えているか確認しておけばよかった、とトールは自分の間抜けさに舌打ちをしつつ、少しの間、昨日と同じように立ち止まっていた。


 同い年くらいのアイドル探索者がB級ダンジョンに挑んでいるというのに、自分はD級ダンジョンの意味不明な現象に悩まされている。


 まあいいか、と半ば投げ遣りな気分で一歩を踏み出した瞬間。

 通路の向こうに――


「……嘘だろ?」


 思わず呟いて目を凝らすが、確かに人影がある。迷宮の発光が視界を確保できるぎりぎりの、三十メートルほどの距離に、袴を履いた男がいる。


 反射的にポケットから端末を取り出し、配信時間を確認。


「三時間十四分。異音の場所で、人影を見つけた。人間なのか人型の魔物なのか判らない。魔物だとすればスガイダンジョンの上層にいるのはおかしい。『迷宮暴走』もしくは未知の異変の可能性がある……かも知れない。判らん」


 とりあえずマイクに向けて思ったことを口から垂れ流す。

 カメラは、人影を写しているだろうか。


 相変わらず三十メートルの位置に人影は留まったままだ。トールは配信の画面を見てみるが、携帯端末の小さな画面ではよく判らない。映っているようにも見えるが、気のせいかも知れない。


 ふっ、と人影が動く。

 こちらについて来い、とでもいうふうな――誘う動きだ。


「……確認する。確認だけして、逃げる」


 理性では、このような事態に遭遇した掃除屋が取るべき行動など一択だと理解している。迷宮でよく判らない現象に遭遇したなら、即撤退だ。


 なのに、自分でもよく判らない焦燥感のような気持ちに逆らえず、トールは袴の男が消えて行った方向へ足を向けてしまった。


 袴の人影が、奥へ奥へ進んでいく。

 それをトールは走らずに追う。何故か袴の人影はトールが追って来るのを待つかのように、立ち止まっては振り返り、トールがついて来ているのを確認していた。


「くっそ……これ、絶対拙いだろ。なんかあっても俺の責任になるよな……」


 異常事態に遭遇したなら、即撤退して報告。

 そんなことは判っている。そうしなかった場合、誰も補償してくれない。掃除屋請負の契約書にだってしっかり記入されている。


 しかし――己の人生の保証など、結局は誰も請け負ってくれないのだ。


「あー……なんかあったら俺の責任。でも昨日はスガイダンジョンの支所に報告をした。支所は俺の報告をなかったことにして、調査をする素振りも見せなかった。ちょっとくらいは、役所にも責任を被せてもいいかもな」


 ぶつぶつと呟きながら、袴の人影を追う。

 しばらく進み、右に折れ、左に折れ――歩き慣れた三層の地図を頭の中で照らし合わせるも、目的地が不明だ。四層への階段に向かっているふうでもなく、かといって二層へ戻ろうとしているわけでもない。


 なんだか悪戯につき合わされているような気になってくる。

 と、不意に袴の人影が、


「――は?」


 しばらくは真っ直ぐな通路を進んでいたはずなのに、左に曲がって……そのまま、壁の中へ入っていくのが、間違いなく見えた。

 トールは頭の中で疑問符を十個以上は漂わせながら、それでも袴の人影が消えて行った壁の前に辿り着き、その壁へ、手を添えてみた。


 いや、添えられなかった。

 からだ。


 いや、それも違う。

 壁のように見えていたが、すり抜けられる場所だった。


 ホログラムや空間ヴィジョン――あるいは魔法的な解釈をするなら『幻影』のようなもので偽装していただけの、隠し通路だ。


「おいおいおい……マジかよ」


 スガイダンジョンが踏破されたのは、トールが掃除屋を請け負う二年前。今からだと五年前の話だ。

 それ以降は探索者がほぼ訪れず、市で掃除屋の募集を始めるまでは市の職員が年に三回ほど掃除をしていたらしいが――こんな隠し通路など、聞いたこともない。


 というか、さすがにヒントがなさすぎて発見不可能だろう。

 わざわざD級ダンジョンの浅瀬をしらみつぶしに探索するやつなんて、いるわけがないのだ。トールだって三年間歩き回っていたのに、気づかなかった。


 壁をすり抜けた先は、シンプルな小部屋。

 広さはせいぜい八畳間といったところ。迷宮の小部屋としてはあまりに狭いように思うが、トールはスガイダンジョン以外のことをあまり知らないので、もしかするとこういう小部屋は珍しくないのかも知れない。

 小部屋の正面、壁になにか絵画のようなものが飾られている。

 迷宮の壁面に絵画……?

 訝りながら一歩足を踏み出すと、踏みしめるべき床がなかった。


 床のように見えていた『幻影』をすり抜けて――落下。



◇◇◇



 物体が自由落下を始めると、一秒ちょっとで七メートル以上落ちるらしい。

 これは空気抵抗を考慮しない計算ではあるが、透の体感では十秒以上、たぶん三十秒未満……そのくらいの時間を落下した。


 あ、死んだな。

 普通にそう思った。


 B級以上の探索者であれば自由落下による衝撃では、ほぼダメージを受けないという。もちろんそれはまともに着地できた場合だろうが、それでも探索者という人種の異常さが判る話だ。C級でも探索者によっては魔法や能力で自由落下の衝撃を相殺できる者もいるだろうし、身体能力だけでどうにかするC級もいるかも知れない。


 トールはD級未満。

 探索者でもない、掃除屋だ。


 間違いなく死ぬだろうと思って、だったらなにか悪態のひとつでも吐いておくべきだな、とも考えたが、残念ながら咄嗟に出せるような皮肉の持ち合わせがなかった。そもそも、落ちてる最中に物事を考えている余裕がない。


 墜落――の衝撃は、思ったよりも小さかった。

 高さ五十センチくらいの段差から落ちた――くらいの感じ。無意識に身を丸めていたおかげか、頭からのは幸いだったが、代わりに背中を強打した。


「カハ――ッ!」


 と、強制的に肺から空気が吐き出される。

 しかし、それだけ。


 トールは反射的に身体を起こし、我が身の損傷を確認する。脚、腕、背中、首……ひとまず骨折はない。強打した背中は少し痛いが、致命的なものではなさそう。


「なんで生きてるん――」


 ――だ、と続けようとして、強烈な危機感を覚えて振り返る。


 景色は先程とあまり変わらず、スガイダンジョンの通路だ。薄ぼんやりと発光する迷宮の構造体、石を削って造られたような質感の見慣れた迷宮通路。

 トールが落ちたのは、直線通路のど真ん中だ。前後どちらも行き当たりが見えない。少なくとも六十メートル以上伸びている直線。


 その直線の向こうに、黒い鬼がいた。


 オーガ種だ。最低でもC級に相当する、筋肉ムキムキの人型バケモノ。昔話で語られる鬼みたいに角が生えており、総身に満ちる殺意が空気をぴりぴりと痺れさせている。どんな間抜けであっても害敵だと理解できる、そういう存在感。

 暗がりの野生動物みたいに眼を光らせて、そいつはトールを目視していた。


「……っ!」


 ほとんどなにも考えず、トールは地面に転がっていた愛用の鉄筋鈍器を拾い上げ、オーガがいる方とは反対に駆け出した。

 そういえば野生の熊と相対したら絶対に背中を向けてはいけないんだっけ、と走り出してから豆知識を思い出すが、手遅れだった。


 トールが駆け出してから、オーガがトールを追い始めるまで、タイムラグは二秒くらいだろうか。そこからオーガに追いつかれるまでは、一秒も必要なかった。


 体感としては一瞬で、黒い鬼が背後に迫っている。

 黒オーガのあらゆる攻撃が、おそらくはトールにとっての致命傷。たぶんデコピンを喰らっても頭が破裂するだろう。


「――っくぉッ!」


 手に持っていた鉄筋鈍器を、投げるというよりは手放した。全速力で走っているせいで、大きなアクションができなかったのだ。

 もちろん、ほぼ無意味だ。

 羽虫でも払うようにトールの相棒が弾き飛ばされ、次の瞬間にはトール自身が吹っ飛ばされていた。直線通路を、そのまま進行方向に、二十メートル以上。


 攻撃というよりは、ちょっと小突いてみた、くらいの感覚だったのかも知れない。その程度の行為で、成人男性が二十メートルも吹っ飛ばされて――そのまま床に叩きつけられ、ごろごろと転がって……その勢いを利用して、跳ね起きた。


 痛い? 判らない。だが、ひとまず死んでない。

 たぶん死ぬ。まず間違いなく死ぬ。なのに、また走っている。


「――ッ!」


 直線通路の、行き止まりが見えない。

 延々と直線が続いている。夢の中で走っているみたいに身体が進まない。死の間際に走馬灯を見る代わりに、時間経過がゆっくりになってるのだろう、とトールは他人事みたいに考えた。あと呼吸一回分か、せいぜい二回分の時間が経過すれば、黒オーガの腕がトールの背中をぶち抜いて……それで、死ぬ。頭を殴られて中身が飛び散るかも知れないし、あるいは地面に叩きつけられるかも知れない。


 その極限まで引き延ばされた時間の中で、トールの視界にが映った。

 たった五メートルほどの距離。

 直線通路だっていうのに、袴の男は当たり前みたいに右へ曲がって、壁の中に消えて行く。また例の『幻影壁』か。


 トールは飛び込み前転の要領で、思いっきり前方へ転がった。

 勘だ。どうせ一瞬後には黒オーガがなにかする。それで殺される。なので一撃だけでも避けてみようと思った。その次は無理だ。


 奇跡のようにタイミングが噛み合い、自ら床に転がったトールの頭上を、黒オーガが飛び越えていった。


「ハ――ッ――!」


 浅い呼吸を一度。奇跡を噛み締める余裕もなく、立ち上がる時間すら惜しいと、トールは虫みたいに床を這い、『幻影壁』へ身を滑らせた。


 部屋に出る。

 今度は小部屋じゃない。二十平米ほどの、大部屋とまでは言えない大きさ。床と壁と天井があり、他にはなにもない――いや、あった。


 部屋の真ん中に、剣が二本、突き刺さっている。


 一本は西洋剣。刀身も柄も長めで、スマートなシルエット。

 片手半剣と呼ばれるタイプの両刃の剣だ。


 もう一本は、刀だった。

 赤黒い剥き出しの刀身と、黒い鍔と柄。刀身は七十センチほどか。


 並んで刺さっている、くらいに近い。

 剣と刀の距離は一メートルもない。


 このときトールがその両方に手を伸ばしたのは、なにも考えていなかったからだ。どうしてこんな場所にそんなものが並んで二本も床に突き刺さっているのか――刀の方は見るからに呪われていそうな不気味さであるとか――西洋剣の方は、なんだか妙に神聖な感じがするとか――そういうことは、一切考えなかった。


 もうすぐ死ぬ。

 目の前に武器がある。

 だったら悪足掻きをする以外の選択肢がない。


 右手に剣。

 左手に刀。


 握って、床から抜いて、意識が途切れた。





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