第四十五話 史上初の首脳会談

 王城、西塔最上階。

 アイリスの一喝と、その後のあまりに手際が良すぎる「王家のふくろう」による後片付けによって、部屋には歪な、しかし確かな秩序が取り戻されていた。

 割れたテーブルは撤去され、代わりに黒曜石でできた、重厚な円卓が運び込まれている。

 魔王ゼノスは、アイリスに言われるがまま、その席にちょこんと座っていた。

 もはや彼の脳は、目の前で起きている異常事態の処理を完全に放棄している。

 アイリス分隊の面々も、先ほどの狂乱が嘘のように、アイリスの背後に控えていた。

 彼らは、初めて見るアイリスの(というより、その背後にいるノクトの)絶対的な威圧感に、本能的な畏怖を覚えていた。


 やがて、重々しく扉が開き、国王と、その護衛として騎士団長アルトリウスが入室した。

 国王は、円卓に座る魔王の姿を認めると、一瞬だけ、その表情をこわばらせたが、すぐに為政者の仮面をかぶり直し、アイリスの向かいの席へと着いた。

 アルトリウスは、その背後で、いつでも剣を抜けるよう、油断なくゼノスを睨みつけている。

 歴史上、初めて、人間の王と魔王が、同じテーブルについた瞬間だった。


「―――まず、現状の共有から始めましょう」

 会議の口火を切ったのは、アイリスだった。

 その声には、もはや新人騎士の面影はない。

 彼女は、この世界の危機…「混沌の神ゲームマスター」の存在と、その目的が「世界の理不尽な初期化リセット」であることを、淡々と、しかし有無を言わせぬ口調で説明していく。

 国王とアルトリウスは、眉間に深い皺を寄せ、そのあまりに荒唐無稽な話に、半信半疑の表情を浮かべていた。

「…ゼノス殿」

 アイリスは、魔王に話を振った。

「魔族側の見解を、お聞かせ願えますか」

 ゼノスは、びくりと肩を震わせたが、アイリス(ノクト)の射抜くような視線に、逆らうことはできなかった。

「…う、うむ。彼女の…いや、師匠の言う通りだ」

 彼は、自らが知る、魔族に古くから伝わる伝承を語り始めた。

「我らが魔族の歴史書にも記されている。『世界は戯神ぎしんの箱庭なり』と。気まぐれな神が、己の娯楽のためだけに、我らを生み、戦わせ、そして、飽きたならば、盤ごとひっくり返す、と…。この天変地異は、まさしく、その前兆に他ならん」

 敵であるはずの魔王が、その言葉を裏付けた。

 その事実は、国王とアルトリウスに、これがただの妄想ではないという、重い現実を突きつけた。


「では、どうするのだ」

 国王が、絞り出すような声で尋ねた。

「相手は、神。我らの剣も、魔法も、届かぬのであろう?」

「その通りです」

 アイリス(ノクト)は、頷いた。

「武力で、神を討つことはできません。ですが、彼を止める方法は、一つだけあります」

 彼女は、円卓の中央を指差した。

「この世界のルール…神自身が定めた『利用規約』の、矛盾を突くのです」

「利用…規約…?」

「はい。いかなるゲームの運営者も、自らが定めた規約には縛られる。奴の行動が『規約違反』であることを証明し、その行動を停止させる。それが、我々の作戦の全容です」

「馬鹿な!」

 ついに、アルトリウスが耐えきれずに叫んだ。

「神を、言葉で縛るだと!? 戯言にもほどがある! それは、戦いではない! ただの机上の空論だ!」

「ええ、その通りですよ」

 アイリス(ノクト)は、アルトリウスの激情を、柳のように受け流した。

「これは、戦場ではなく、法廷です。そして、我々がこれから行うのは、剣ではなく、ペンを取っての、情報戦です」

 彼女は、国王に向き直った。

「その『利用規約』…すなわち、『古代の法典』の一部が、この城の禁書庫に眠っていると、初代英雄の地図には記されています。ですが、それは断片的な情報に過ぎない。完全に解読するには、魔王ゼノス殿が持つ、魔族にしか伝わらない古文書の知識が、必要不可欠なのです」

 人間が持つ、物理的な『証拠』。

 魔物が持つ、失われた『知識』。

 その二つが揃って、初めて、神への反撃の刃は、研ぎ澄まされる。

 国王は、深く、目を閉じた。

 目の前で語られる、あまりに常識外れの作戦。

 だが、窓の外で、世界が崩壊に向かっているのも、また、事実。

 他に、道はあるのか。

 いや、ない。

「…よかろう」

 長い沈黙の末、国王は、ついに、決断を下した。

 その瞳には、一国の王として、この狂気の賭けに乗るしかないという、悲壮な覚悟が宿っていた。

「アルトリウス。禁書庫への道を、開け」

「陛下! しかし!」

「王命である」

 その、有無を言わせぬ一言に、アルトリウスは、屈辱に顔を歪ませながらも、恭しく、ひざまずいた。

「―――これより、『古代法典共同解読作戦』を開始する! アイリス分隊、及び、魔王ゼノス殿は、我が名において、禁書庫への立ち入りを許可する!」


 その頃、ノクトは、塔の自室で、水盤に映るその光景に、満足げに頷いていた。

(よし、交渉はまとまった。これで心置きなく、最高のパズルゲームに挑戦できる)

 彼は、机の引き出しから、一枚の、古びた羊皮紙を取り出した。

 それは、彼が幼い頃から、娯楽の一つとして解読を続けてきた、初代英雄が遺した暗号表の写しだった。

「…お前の本当の使い道を、ようやく試せる時が来たな」

 彼の不本意な英雄譚は、今、彼が最も得意とする、知の領域へと、その舞台を移そうとしていた。

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