第三章 魔王様も意外と大変?!
第三十一話 魔王城
幻惑のミストが守る「幻の森」。
その最深部にあった隠し扉の先は長い長い洞窟だった。
湿った空気が肌を撫でる。
分隊は
やがて彼らの目の前に一つの巨大な扉が現れた。
黒曜石を削り出したかのような禍々しい扉だ。
おびただしい数の骸骨が扉の表面に彫刻されている。
『…この扉の先が魔王城の裏口だ』
『これより最終
アイリスは頷いた。
ゴクリと喉が鳴る。
彼女だけではない。
仲間たちの顔にも緊張の色が浮かんでいた。
これから始まるのは世界の命運を賭けた戦いだ。
ギルが扉に手をかける。
そしてゆっくりと押し開いた。
彼らが最初に目にした光景。
それは想像を絶するものだった。
「…なんだ、これは」
テオが呆然と呟く。
城の裏庭らしき場所は雑草が生い茂っていた。
手入れされた様子は全くない。
城壁の一部は崩れ落ちたままだ。
禍々しい装飾のガーゴイル像は苔むしている。
アイリスは自分の目を疑った。
ここが魔王軍の本拠地なのか。
世界の全てを恐怖に陥れるという魔王の居城。
その現実の姿はあまりにもみすぼらしかった。
まるで打ち捨てられた廃墟のようだ。
『外見に惑わされるな。潜入を開始する。まずは城壁の警備からだ』
分隊は気持ちを切り替えた。
そして慎重に城壁へと近づく。
見張り台には二体の骸骨兵士がいた。
だが彼らは警戒任務についていなかった。
槍を壁に立てかけ盾を日除けにしている。
そしてテーブルの上でカード遊びに興じていた。
「おい。またお前の勝ちかよ」
「へへん。俺はポーカーが強いんでな」
その会話はあまりにも平和的だった。
アイリス分隊は息を殺した。
そして骸骨兵士たちのすぐ下を通り抜ける。
彼らは最後まで侵入者に気づかなかった。
城の内部は外見以上にひどかった。
長い廊下は、全体的に埃っぽい。しかし、その一角だけが、狂気的なまでに磨き上げられ、鏡のように輝いていた。
そこでは一体の骸骨兵士が、魂のない目で、ひたすら同じ場所を磨き続けていた。
「…魔王様直々の命令で、『床が鏡になるまで磨き続けろ』と言われて、もう一週間…。骨身に染みるぜ…」
禍々しいはずの魔物の像は鼻が欠けていた。
そして薄汚れた壁の至る所にポスターが貼られていた。
魔王の肖像画と共に書かれたスローガン。
『魔力が尽きたら、根性で戦え!』
『サービス残業こそ、魔王への忠誠!』
『代わりはいくらでもいる!』
それは、兵士の士気を高めるものとは到底思えなかった。
一行は様々な魔物とすれ違った。
だが誰一人として襲いかかってこない。
ゴブリンの一団は部屋の隅で山積みの羊皮紙と格闘していた。
「おい! 先日の攻城戦の負傷者リストと、備品の損害報告書、まだ終わらないのか!」
「すみません隊長! 人手が足りなくて…! 俺、三徹目なんです…!」
そんな悲鳴のような会話を交わしている。
廊下の警備を任されているはずのオーガは椅子の上で高いびきをかいて寝ていた。
妖艶なサキュバスは給湯室でゾンビ相手に愚痴をこぼしていた。
「聞いてくれる、デリック。最近お茶の葉の質が落ちたと思わない?」
そこに漂うのは邪悪な魔力ではない。
過重労働と、終わらない事務作業と、低い福利厚生が生み出す淀んだ空気。
典型的なブラック企業のそれだった。
『…なるほど。組織の末期症状だな』
『指揮系統は麻痺し兵士の士気はゼロ。レイラやミストの言動もこれが原因か』
アイリスは何も言えなかった。
ただこの異常な光景を見つめるだけだ。
テオは、どこか「やはりな」とでも言いたげな、呆れたような顔で腕を組んでいた。
まるで、この惨状を、最初から予期していたかのようだった。
玉座の間へ続く道。
そこに強力な魔物や巧妙な罠はなかった。
ただただ、やる気のない魔物たちがいるだけだ。
分隊は誰にも見咎められることなく最深部へとたどり着いた。
玉座の間の扉だけがやけに豪華で威圧的だった。
一行は扉の前で足を止める。
その時だった。
扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
それは威厳のある魔王の声ではなかった。
疲れ果てた中間管理職の悲鳴だった。
「だから! 予算がないと言っているだろう! ディアナ! パパの言うことを聞きなさい!」
その声に甲高い少女の声が応酬する。
「ヤだ! 新しいドレス買ってくれなきゃ今度の
「我儘を言うな! 今月はギルの奴が砦を落とされて赤字なんだぞ!」
アイリス分隊は顔を見合わせた。
目の前の扉の向こうにいるのは本当に魔王なのだろうか。
あまりにも生活感に溢れた会話。
(…え? これが…魔王…?)
彼女の脳裏に最大の疑問符が浮かぶ。
その頃
(…なんだこの茶番は。俺の枕は本当にこんな場所にあるのか…?)
彼の完璧な攻略プランが初めて根底から揺らいだ。
強大なラスボスとの戦闘ではない。
あまりにもくだらない現実が彼の前に立ちはだかっていた。
彼の不純な作戦は今、最も厄介なステージへと突入しようとしていた。
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