As a bird that wandereth from her nest
ひとけのない廊下に、二人ぶんの靴音が反響する。カタリナは歩きながら手を下敷きに何か書いていて、時おり円柱にぶつかりそうになった。
「シスター・カタリナ」また声をかける。彼女は前を見、すんでで壁を避けた。「危ないわ、何を書いているの? 急ぎの用事?」
彼女は紙を渡してくれた。私は壁に掛かっている燭台のそばへ行き、蝋燭の火に紙片を近づけた。この時代になってもまだ、この修道院では蝋燭が使われているらしい。
『私は貴女の名前を知りません。どう呼べばいいですか?』
「シャロンと呼んで。シャロン・アークライトよ」
『綴りはSharonですか? 苗字はどう書きますか?』
「名前は、そう。苗字は」私は彼女から筆記用具を受け取る。「こう書くの」
私は彼女がSharonと書いた下にArklightと記し、羽根ペンを返した。
彼女は、筆談用のインクを紙の束と一緒に持ち歩いている。ポケットから羽根ペンやパレットが出てくると、まるで古代の書記官のようにも思えた。
何度か私の名前を練習した彼女は、紙とペンを仕舞って満足そうに歩き続ける。
今なら、聞けるかもしれない。私は彼女の上機嫌そうな顔色を窺い、口を開いた。
「シスター・サラと最後に話したのは、貴女とシスター・アンナだと聞いたわ」
カタリナは私の言葉に大きな目を見開き、その場にしゃがみ込む。ひどく怯えている。彼女は顔色を失い、ぶるぶると震えていた。私はすぐに同じようにしゃがみ、浅い呼吸を繰り返すカタリナの肩に触れようとする。
しかし、彼女は私の手を払いのけ、過呼吸に陥ってしまった。
「シスター、ごめんなさい。思い出させるつもりじゃなかったの。貴女を責めるつもりもないわ。それほど苦しんでいるって思わなかった」
「大丈夫よ、ゆっくり吐ける?」私は彼女の背中を撫でながら伝える。今度は払いのけられなかった。だんだん息を吐く時間が長くなっていき、呼吸は適度な深さに戻る。
カタリナは玉のような汗を滲ませて、ふー、と疲れたような息を吐いた。
まだ、思い出させるには早かったようだ。悪いことをした。私の胸も、どこかつかえたような心地になる。彼女は軽く曲げた右手を右胸から左胸に動かした。私が階段を上がって息切れしていたときにしてくれた手話だ。大丈夫、と言いたいのだろう。
「ごめんなさい、謝るわ。思い出してしまうわよね」
彼女はぶんぶんと手を振って眉を下げる。
私は彼女の手を取り、安心させるために優しく握った。震えていたからだ。カタリナの震えは幸いにもすぐにおさまり、ゆっくり立ち上がるところを手伝った。一度払いのけられた手を受け入れてくれるなんて、やはり彼女は優しいのだ。同族狩りの私とは違う。
「いきましょう。みんな、待ってくれているといいのだけれど」
カタリナは私の手を離し、左手の甲に右手をつけて上げた。こう見えても長生きなので、何度か手話を見たことはあるけれど、カタリナの使う手話は初めて見るものだ。
「貴女が考えた手話なの?」
私は廊下を行きながら尋ねた。彼女は小さく首を横に振って、すぐに走り書きをする。崩された字体だったが、なんとか読むことができた。
「『
カタリナ自身が日本人か、この修道院に手話ができる日本人のシスターがいる、ということだろう。私は紙片を彼女に返し、急ぎ足で修道服の裾をさばく。
「貴女のこと、もっと聞かせてね。私、貴女とならお友達になれそう」
にこりを微笑んでみせる。半分は演技で、半分は本音だ。魔女狩りである私に、友人は必要ない。いつ、誰が悪魔に魂を売って魔女に堕ちるかわからないこの世界では、友達、なんて生ぬるいものに溺れた者から死んでいく。だから、味方は作れど友人は作らない。
彼女に近づくのも、修道院で協力者を作って動きやすくするため。
全ては、魔女を殺すため。
『私も!』
カタリナは人差し指で自分の胸を示し、目を輝かせて何度も首を縦に振る。
そこで、食堂に着いてしまった。私たちはこっそりと端の席に座ろうとしたが、厳格なアガタに見つかって上座に引きずり出されてしまう。私は新入りということもあってか、必要以上に修道女たちの注目を集めている。
奇妙なものを見る目で、あるいは警戒を隠さない瞳で、彼女たちは私を見ている。今朝出会った副修道院長のジュリア、サボり癖のあるベロニカなんかも、いったい何をしていて遅れたのかと疑念の目でこちらを睨めつける。
マザー・アガタは私を皆の前に立たせ、咳払いをした。
私は厳しい視線に臆することなく、朗々と名乗りを上げる。
「シャロン・アークライトです。シャロンと呼んでください。よろしくお願いいたします」
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毎週 金曜日 18:00 予定は変更される可能性があります
薄明に問う / Sanctuary: Sacrifice 早蕨足穂 @sawarabitaruho
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