keep the paths of the righteous
晩課が終わる前に、部屋に戻る必要がある。カタリナが夕餉に呼びに来ると言っていた。
私は階段を下り、修道女が寝泊まりする部屋が並んでいる廊下を、一つずつ点検しながら歩いた。この修道院は比較的近代に入ってから建てられたもので、石造りの伝統的な様式を引き継いでいるけれど、シスター一人一人には個室が与えられていた。
アンナ、ベロニカ、カタリナ、エリザベス、ジュリア、レア、マルタ、サラ——ここだ。
シスター・サラ。二十一歳。二ヶ月前、突然死したという。前日まで不審な点はなく、一日七度のお勤めにもきちんと励み、食事もしっかり摂り、仕事にも精を出していたとか。そんな彼女が、自室で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。加えて葬儀をすませ、埋葬しようとしたときには既に、遺体すら消え去っていたそうだ。
遺体がないのであれば、検死もできない。私はため息をついて彼女の部屋に入った。
ベッドと洗面台、机と椅子だけがある部屋は、がらんとしている。シーツは剥がされ、枕もない。人の気配のしない部屋だ。もう誰も使っていないのだろう。
私はベッドに近寄り、マットレスの匂いを嗅いだ。異臭はしない。彼女の遺体が死後も放置されていた、というわけではないらしい。魔力や悪魔の残り香も、ない。二ヶ月も前なのだから、仕方のないことではある。
悪魔は独特の、花のような香りがする。香水をつけているのと変わらないくらいの薄い匂いで、嗅ぎ分けるのは至難の業だが、修道院では香水をつける人間などいない。悪魔に連なる魔術、魔術に使用される魔力も、同様の香りがする。この部屋は別段なんの匂いもなく、強いて言えば少し埃っぽい臭いがするだけだった。
椅子をどかし、机の引き出しを開ける。全て処分されてしまったのか、何も入っていなかった。私はそれを閉じて、次の部屋へ向かった。隣の隣、シスター・レアの部屋だ。
シスター・レアは二十三歳で、素行に問題はなく、サラ同様に不審点もなかったという。先月、サラと同じように突然死し、遺体も消失した。十字架がかけられたままのドアを押し開け、私は室内へ足を踏み入れる。
サラの部屋と全く同じだった。裸のマットレスが残されたベッド、空っぽの引き出しがある机と、木製の素朴な椅子。洗面台には水滴の一つも付いてはおらず、やはり長く誰も使っていないことがわかる。私は部屋を出て、ひとり眉をひそめた。
あまりに、手がかりがない。
サラが亡くなった時点では、現場保存など考えつきもしなかったのだろう。それはまだ理解できる。シスターが突然死したなら、最初に考えるべきは彼女の安らかな眠りと葬儀のことだ。現場保存なんて二の次どころか三の次。この部屋に次の修道女が住んでいないだけ、マシだと思わなければならない。
だが、レアが亡くなった時点で違和感に気づかなかったのは、なぜなのだろうか。二人続けて突然、原因不明の死を遂げている。異端審問会に相談がきたのはレアが亡くなって半月後のことだった。遺体が失くなり、部屋を片付けてから報告したのだとすれば、それはあまりに遅すぎる。
考えられることは二つ。
一つ、内々に済ませようとしていたが司教の定期視察で発覚し、しぶしぶ報告したために証拠は全て消えてしまったあとだった。
二つ、内部の犯行であることが最初から露見しており、修道院長が魔女であるシスターの誰かを庇うためにわざと部屋を清掃した。
意図的、偶然、どちらにせよ証拠は消し去られている。幸いにもこの修道院でお勤めを行う修道女はそう多くない。一人ずつ調査していけば、自ずと魔女が割れるだろう。
私はふうとため息をつき、部屋に戻るために廊下を進んだ。
「シャロン?」
不意に声をかけられ、慌てて振り向く。この場で現在私の名前を知っているのは四人で——この無愛想な声は一人だけ。そこには、金髪の少女が立っていた。
「どうしたの、シスター・ベロニカ」
「こっちのセリフだよ。何やってんだ、こんなとこで」と、彼女は眉間を狭める。「体調が悪いって、カタリナに聞いたぞ。部屋から出てなんのつもりだ? 何を嗅ぎ回ってる」
「嗅ぎ回ってる? 人聞きが悪いわね」
私はむっとして言い返した。嗅ぎ回ってるだなんて、まるで私が魔女狩りであることを知っているみたいで——私は動きを止めた。ベロニカは、この事件について何か知っているのだろうか? そうでなければ、嗅ぎ回っているなんて言葉は出ないだろう。
「迷っていただけ。晩課が終わったら、夕餉でしょう」
「食堂の場所がわからないってのか?」鼻で笑われた。
「シスター・カタリナに迷惑をかけるわけにはいかなかったから、自分で行きたかったの。でももう戻るわ。迷ってあちこちドアを開けて、嗅ぎ回ってると言われたら嫌だもの」
「そうかよ」
「貴女も早く晩課に行ったら?」
私がそう言うと、ベロニカはうえっと舌を出して不満を示した。
「マザーみたいなこと言うなよ。あたしはサボってんの」
修道服から、濃い煙草のにおいがしている。私はシスター・ベロニカがどこで何をしていたか悟って、彼女に一歩近づき、声をひそめた。
「いつもどこで煙草を吸っているか、黙っていてあげる。その代わり、カタリナのことを教えてくれない? 彼女がどうして話せないのか、いつから話せないのか」
「あ?」
ベロニカは機嫌を損ねたようで、眉間に皺を寄せて威嚇するように歯を剥き出しにした。尖った犬歯が、まるで獣のようだ。私は彼女の逆鱗がどこにあるか見抜けなかったことを後悔し、この話題は早めに切り上げようと決意する。
「なんであたしが言わなきゃなんねーんだよ。知るわけないだろ」
「本当に?」
私の声が一度だけ鋭さを帯びると、ベロニカはたじろいだ。
「……サラはカタリナの目の前で死んだんだ。それで、ショックを受けてるんだろう」
「手話は誰から?」
「アンナだろ。カタリナと仲良いし……当日もサラと三人で部屋にいた」
シスター・サラは自室で突然倒れ、そのまま亡くなった。カタリナが目の前にいたのであれば、確かに精神的なショックを受けて言葉が出なくなっていても不思議ではない。
「あたしが言ったって言うなよ。またマザーに叱られる」
「じゃあな」ひらひらと手を振って、内陣とは反対の方向へ歩き去っていくベロニカ。私は彼女の、何かを知っていそうな言葉を頭の片隅にとどめた。「嗅ぎ回っている」というのがなんのつもりなのか、あとで聞かなければならない。それと、カタリナのことも。
サラは夜、自室で亡くなっている。カタリナとアンナと話をしていたのなら、二人ともシロか、あるいは共犯だ。レアとカタリナ、アンナ両名の関係も調べなくては。
私は自室に急いだ。早ければもう晩課も終わっている時間で、やっと辿り着くと、やはりカタリナが部屋の前で私を待っているところだった。
一段飛ばしで階段を上がって肩で息をしている私を見るなり、彼女は慌てたように駆け寄ってきた。指を内側に軽く曲げた右手を左胸から右胸に動かし、手のひらを上に向けて弧を描くように差し出す。何かの手話だろう——この状態で使うなら、私の体調を案じている、といったところだろうか。
「大丈夫よ、ありがとう……あまり運動しないの、普段は」
彼女はこくこくと頷き、あらかじめ用意していたらしい紙の切れ端を見せてくる。
『体調は大丈夫ですか? 夕餉は、部屋に持ってきたほうがいいですか?』
「いえ、食堂でいただくわ。初日から部屋に引きこもっているのも、感じが悪いでしょう」
私が首を振れば、彼女の困ったような顔が明るくなった。思ったよりも深刻な体調不良だと受け取られていたらしい。カタリナがこの調子なら、ベロニカのあの態度も頷ける。部屋から出られないほど悪いと思われていたのだろう。
カタリナは両手の人差し指を出して、外側から内側へスライドさせ、そのまま前方まで突き出した。私が不思議そうにしているのを見て、慌てて人差し指で自分の胸と私を指す。
「一緒に行ってくれるのね?」
くすりと笑って答えると、彼女はまた何度も頷いて、ほどけるように微笑んだ。それがまるで花がほころぶようだったから、私はやわらかい気持ちになる。少なからず、彼女は私に心を開いてくれているようだ。早計かもしれないが、この慣れない修道院で険悪ではない関係を築けそうな相手が一人いるというだけで、ぐっと気が楽になる。アガタは論外、ジュリアは怯えていて、ベロニカは反抗的。私は安堵して、彼女と一歩踏み出した。
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