PROVERBS

she shall not be unpunished

「アガタです。修道院長をしています」


 足音の通り、厳しい顔つきの老女は談話室に私を通すと、そう名乗った。


「バチカンから、よくお越しくださいました」


「いえ。聖下の御意向ですから」私は首を振った。「それで、不審な点はありませんか?」


 尋ねると、アガタはため息をついて片手で顔を覆う。なんの手がかりも掴めていないのだということを一瞬で理解させる、優れた意思表示だと言えた。


 聖マルガリータ女子修道院では、ここ二ヶ月ほど、毎月遺体が見つかっている。


 最初の事件で警察に通報したものの解決には至らず、他に頼れる機関もなく、彼女たちは怯えて日々を過ごす羽目になったという。先月も同じ手口で殺された遺体が見つかり、そこでやっと魔女のしわざが疑われ、異端審問会に話がやってきた。


 魔女が起こした殺人であるならば、その背後には必ず魔女と契約した悪魔がいる。故に超自然的な方法で殺されており、警察には解決できなかったのだろう。最初から私たちに相談すればよかったものを。


「寄宿者はいらっしゃいますか?」


「おりません」


「では、内部の犯行ですね」


「それはありえません」アガタは声を荒げる。「魔女は魔術を使うのですから、いかようにもやりかたはあるでしょう」


「ならば、毎月外から魔女が来て、修道女を殺していくと?」


 ぐ、と言葉に詰まる修道院長は、私を怖がっているようだった。


 当然だ。私も魔女で、悪魔と契約しているのだから。


「ミス・アークライトは、私の修道院に魔女がひそんでいるとおっしゃるのですか?」


「そう聞こえたのなら、そうでしょう」


 私は淡々と、事務的に答える。アガタの眉間に刻まれた深い皺がいっそう深くなった。今にも怒鳴り散らしてきそうな雰囲気だったが、彼女なりに冷静に話し合おうとしているようで、すぐに細く長い息を吐いた。


「ですが、不審な点は何もありません。ご自身の目で確かめてごらんなさい」


「そのつもりです」私はトランクを持ち直す。「少し離れた部屋をいただけると嬉しいのですが」


「……聖具室係の部屋が空いております。案内させましょう」


 「ジュリア」アガタは入り口からこちらを覗いている女性を呼び、挨拶するよう言いつけた。彼女は焦茶色の瞳に恐怖と好奇心を滲ませていて、私が目を向けると、怪物に見られたかのように動かなくなった。アガタがため息をつく。


「こちらはシスター・ジュリア。副修道院長です。ジュリア」


「あ、は、はい、マザー。聖具室係の寝室ですね」


「しっかりおし」アガタは彼女の背を軽く叩いた。「何も怖くありませんよ」


「はい。大丈夫です」


 そう答えていても、彼女の視線には怯えがありありと浮かんでいる。私は彼女の恐怖を仕方のないことだと思い、なるべく怖がらせないためにどう振る舞えばいいか考えた。


「よろしくお願いします。シャロンと呼んでください」


「わかりました、シスター・シャロン。貴女の部屋はこちらです」


 ジュリアは談話室を出て、回廊を進み、階段を上った。回廊を通るとき、数人の修道女が仕事をしながらこちらに視線を向けていた。無遠慮で不躾な目ばかりだった。


 修道女たちのベッドが並ぶ大寝室から一階上がったところに、聖具室係の寝室がある。私は木製の扉に魔除けとして銀製の十字架が付けられているのを見て、ルシオのために、念のためあとで外さなくては、とぼんやり思った。


 扉を開けてくれる。ジュリアは「次は晩課ですから」と言ってそそくさと立ち去っていき、私は石造りの小部屋に一人取り残された。彼女が私とあまり関わりたくないと思っていることは、どう考えても明らかだった。私でも、昔なら魔女とは関わりたくないと強く思っていただろう。彼女の感覚は正常だ。あるいは、彼女こそが魔女であるのかもしれないけれど——そんなふうには見えなかった。もっとも、私の鼻はあまりきかないのだが。


 私はさっそく扉の十字架を剥がし、トランクに仕舞い込んだ。ここを出るときに返せばいい。それからトランクをベッドの上に放り投げ、ギロチン窓を開けてやると、小夜啼鳥が中に入ってくる。ルシオは私の肩にとまった。


「何かわかった?」


「なんにも。みんな真面目に働いてるよ」


 調査の結果は芳しくなかったようだ。私はため息をつき、ベッドに腰をかける。


「おまえ、鼻がきくはずでしょう」


「うん、まあ。でもここはすごいよ、どこもかしこも悪魔のニオイがする」


「魔女は一人のはずよ」私は眉をひそめた。


「オレもそう思うよ。けど、悪魔の影響範囲が大きい。変に力をつけてるんだと思う」


 ルシオはそう言うと、羽繕いを始める。こうして見ると、普通の鳥にしか見えない。


 悪魔が力をつける方法は主に二つあって、一つは私がしたような〈名付け〉、もう一つは〈魂喰い〉だ。死者の魂を喰べると、悪魔は力を増す。ただし魂はすぐに散逸してしまうから、殺したその場で喰べなければならない。よって、魔女による殺人のほとんどは、悪魔に力をつけさせるための儀式殺人の一種である。


「二人も殺しているものね。なら、これからも殺すでしょうね」


 返事がない。ルシオは羽繕いをしたり、体を震わせたりしている。


「ルシオ?」


「ルシオって、そいつの名前か?」


 不思議に思って私が問いかけると、代わりに部屋の入り口から声がした。弾かれたようにそちらを見る。くすんだ金髪をした少女が、開け放った扉にもたれて立っていた。


「お前、信仰心ってモンがないのか?」


「なぜ?」事実だ。


「十字架を剥がす奴なんて、初めて見た」


「……いつからそこにいたの?」


 私は彼女の質問には答えず、代わりに尋ねた。もしルシオとの会話を聞かれていたとしたら、任務に支障が出る。誰が魔女かわからない現状では、私が魔女狩りであると誰かに知られるべきではない。必要があれば、彼女の記憶を消さなくては。


「あ?」彼女は片眉を吊り上げる。「いつからって、お前が鳥の名前を呼んでるときだよ」


「そう。この子はルシオールというの。だから、ルシオ」


「フランス人か?」


 粗野な言葉遣いではあるものの、どうやら彼女の頭は悪くないらしい。ルシオールは、フランス語で蛍を意味する単語だ——女性名詞ではあるが。


 私は首を振った。「残念ながら」


「シャロン・アークライト。ロンドン生まれ、ロンドン育ちよ」


「あっそ」彼女は素っ気ない態度を崩さない。「あたしはベロニカ」


「ベロニカ。私に何か用かしら? マザーに何か頼まれた?」


「別に。新しいシスターが来たってみんな噂してるから、顔を見に来ただけ」


「私がこの部屋をお借りするって、誰に聞いたの?」


 今のところ、私が魔女狩りであることを知っているのはアガタとジュリアの二人だけ。対外的には、ロンドンから来たただの新しいシスター、ということになっている。なので、ベロニカのように興味本位で近づいてくる修道女もいるだろう。


「マザー・ジュリアに。どんな奴かと思ったけど、やっぱ変な奴だな」


「どうして?」


「死人が出てる修道院なんかに来たがるのなんて、変人だけだろ」


 一理ある。私も魔女であり魔女狩りである以上、〈変な人〉の枠組みに含まれるだろう。


 彼女はやれやれとため息をつき、「時間の無駄だったな」と言った。彼女のお眼鏡にはかなわなかったようだ。私もふうと息を吐いて、ルシオに目配せをする。彼は窓から飛び立ち、木々に姿を隠した。


 ベロニカが立ち去ると、ルシオは戻ってきて窓枠にとまった。なんのつもり、と睨みつけても、彼はどこ吹く風で話を続ける。「彼女、不良みたいだね」


「新入りを偵察に来るくらいには縄張り意識が強くて、煙草のニオイもした」


「煙草?」私は叫びそうになるのを抑える。「修道院にいながら?」


「そういう子もいるでしょ」


 何を気にしたふうでもなく、ルシオは羽繕いをした。また来たのか、と私がドアを振り返るより先に、控えめなノックの音が響く。


「なに、ベロニカ?」


 しかし、そこにいたのはベロニカではなかった。


 亜麻色の髪に緑色の瞳をした、お下げの少女。下げられた眉が彼女の性格を示していた。私はルシオが飛び立つ音を背中で聞きながら、こほんと咳払いをする。


「ごめんなさい、人違いでした。貴女も、私の顔を見にきたの?」


 彼女はぶんぶんと首を横に振り、身振り手振りで何かを伝えようと必死になっている。私が不思議そうにしているのを見て、少女はポケットから筆記用具を取り出した。普通の修道服にはポケットがないので、あれは彼女のために作られたものなのだろう。


『晩課の時間』——写本の練習に使ったらしい紙の余白に書いて、私に見せた。時計を見れば、確かにもうすぐ晩課の時間である。私はあまり信仰に熱心なほうではない——魔女である時点でそれは明らかだが——ので、正直なところ、祈るくらいなら調査をしたい。


「少し体調が悪いの。マザーに伝えておいてくれる?」


 私は話せないらしい彼女に言った。冷たい言い方になってしまった気がするが、この際なんだっていい。私の言葉を聞いて首を振っていたのだから、彼女も耳が聞こえないわけではないのだろうし。


「ごめんなさいね」


 愛想笑いを浮かべると、彼女は片手を胸に当て、撫で下ろすように下げる。手話だろうと思われたが、あいにく私には何がなんだかわからなかった。


 彼女は小さな手を下敷きにして少し長い文章を書くと、おずおずと室内に入ってきて私に紙を手渡し、頭を下げながら部屋を出ていく。紙片に目を落とせば、そこにはわずかに不恰好なブロック体で、簡潔な返答が記されている。


『わかりました。お大事に。晩課が終わったら呼びにきます。私の名前はカタリナです』


 カタリナ。私は彼女の名前を反芻し、紙を折りたたんでトランクに仕舞った。


 話せない少女。怪しい。


 悪魔は通常、死後の魂を売り渡す契約書にサインした人間を、魔女にする。しかしより強力な魔術を求めるのであれば、相応の対価を支払って、それを得ることができる。私の仮説はこうだ——カタリナが魔女で、声を代償に、強力な魔術を手にした。


 私はトランクを閉じ、ベッドの下に仕舞って立ち上がる。


 まずは、晩課のあいだに被害者が発見された現場を見ておかなくては。そのあと夕餉を食べて、夜は見回りをしよう。アガタに許可は貰っている。


 私がいる限り、魔女の好きにはさせない。


 どこにひそんでいるかわからなくても、必ず見つけ出して、狩る。それが私の存在理由であり、それこそが私の、力を求めた理由なのだから。

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