オレンジ
片寄周
オレンジ
冬の初めのその日は、どんよりとした灰色の雲がやる気なく漂っていた。
先週まで紅葉の残り香のあった街路樹もすっかり落葉して、この先の冷え込みをその身を以て示してくれていた。
金曜の夕方。今週の仕事は終わったはずだったのだが、客先でうちの製品のトラブルが発生した。明日、土曜の朝イチから現地に赴かねばならない。
クソっ、あのヘボ営業め。ウチの端末が24時間365日稼働で5年も持つわけねぇだろ。製品仕様書をろくに読みもしないで応札しやがって。ちゃんと
「保証期間5年。※週5日8時間稼働で保証期間を算出しています。」
って書いてあるだろうが。案の定1年ちょっとでボロボロにされちまった。
BtoCと違ってBtoBの良くないところは、同じところに大量に納品するから、不良や弱いところが簡単にバレるってところだ。
コンシューマのお客さんは、自分のところにある製品が、偶発不良なのか設計過誤なのかなんてわかりゃしない。比べようがないからだ。ところが、大量に買ってくれる法人さん相手にはそうはいかない。なにせ同じ症状のトラブルが一斉に出るんだからな。ちょっと勘の良い情シスさんなら、メーカーの設計か製造に問題があるってすぐに当たりをつけてくる。
お客さんはサポートに聞くけどにっちもさっちもいかないから、営業を呼び出して問い詰める。稼働に影響出たらどうしてくれるんだ、補償してくれるのか?とにかくどうにかしてくれ。
それで結局、営業の連中、CEさんじゃ手に負えないから助けてくれだと。統括部長がなんか取り引きしたらしいが、こっちの身にもなってみろってんだ。
愚痴を言っててもはじまらない。東京で朝イチだと前乗りしないとどうにもならない。工具と交換部品を抱えて今から移動して客先近くで一泊だ。
日が傾きオレンジ色に染まり始めた空を、送ってやるよと申し出た課長の車の助手席から見上げながら、来年建て替えるって噂の駅舎に辿り着いた。
こんな小旅行でも楽しみはある。俺は、ここの駅の立ち喰い蕎麦屋が大好きなんだ。普段は車移動だからそんなに頻繁には来ないんだが、ここに来るたびに、それこそ、大して腹が減ってなくても立ち寄ってる。いくら食べても飽きたらない。そんなソウルフードだ。
普段は、豚バラ軟骨そばにしてるんだが、こんな日は大盤振る舞いに限る。
「豚バラ軟骨をダブルに、山賊焼き追加ね。」
小母さんが呆れて
「なんかあったのかい?」
と聞いてきた。
「ちょっとね。仕事でむしゃくしゃしててさ。」
「そうかい。豚バラで元気出しとくれ。」
心配させたかもしれないが、とは言えこれで百人力ってもんだ。ここの豚バラ軟骨はいつ食べても絶品だ。とろけるほど柔らかく、そのくせ煮崩れもせず脂も抜け落ちてない。
その豚バラ軟骨を一口。
口の中でホロホロとほどけていく。
くどすぎない甘みと醤油の香り、豚バラの旨味が口の中に広がり鼻に抜けていく。
こいつと蕎麦を交互に手繰るのが、人生の醍醐味ってやつだな。
おっと、今日は贅沢に山賊焼きもつけてたな。こいつは豚バラ軟骨とは対照的に、濃いめの大蒜醤油でしっかり焼いてある。分厚い鶏もも肉の食べ応えが大蒜の香りと相まって、暴力的ですらある。
丼の1/3を占めようかという山賊焼きを箸で持ち上げる。
大口を開けてかぶりつくのが礼儀ってもんだ。
鶏もも肉のなんとも言えない弾力が一噛み毎に躍動する。醤油とよくなじんだ大蒜の香りとともに、咀嚼して食道に流し込む。これが生きている実感だ。
これでエネルギー充填120%。明日のロクでもない休日出張もチョチョイのちょいだ。
最後の晩餐を楽しんでいると、後から2人客が入ってきた。
1人目は50絡みの男。年の割には白髪が少ないオールバックだ。グレーのセーターの上に黒のコートを羽織って小綺麗な身なりをしている。ただ、コートは年季が入っていて、それに、やけに体つきがしっかりしている気がする。ガタイがいいというよりは絞り込んでる感じだ。
男は店の小母さんに注文を告げた。やたらと渋い声で、
「かけそば。熱いところを頼むよ。おっと、ネギは抜いてもらえるかな。」
何カッコつけてんだこのオッサン。と、振り返ったオッサンと目が合った。俺の丼を見てかすかに笑った気がしたが、嫌な笑いではなかった。「俺はそんなに食わないけど、ココのソレは美味えよな」細い目がそう言っていた。やるじゃねえか。伊達に年取ってないってことか。
2人目は、この辺のいかにも田舎って風景には似つかわしくない格好をした若い女だ。年の頃は二十歳前後か。詳しくないけどゴスだか地雷系とかってやつかな。スレンダーな肢体を、モノトーンが基調の、その割にというかレースやフリルの多い感じの衣服で包んでいる。細くてきれいな脚を見せつけるかのようにスカートは短い。ヘッドドレスも、漆黒と言っていい艶のある髪の毛に溶け込んでいる。服装の割にはメイクは地味に見えるが、その分、細いゴールドのフレームのメガネが、やや吊り上がり気味の目を強く印象付けていた。トータルでは可愛さと綺麗さが同居してる感じだ。その容姿や体格とは不釣り合いなほど大きなカバンを携えていた。
俺とオッサンには脇目もくれず、小母さんに親しげな感じで
「いつものちょうだい。あ、生卵もお願い。」
「コロッケと生卵ね。今日はこんな時間に珍しいね。」
「ふふふ。」
と注文した。ちょっと癖があるが耳馴染みのいい声だ。
コロッケのせとはいかにも通のやることだ。話しぶりからすると常連なんだろうな。
熱いそばに生卵といえば、何だったかで「月に叢雲」とか言ってたのが頭に浮かんだ。
なんでも、黄身を月に、少しだけ固まった白身を雲に見立てるとかで、たいそう旨いらしい。こんど試してみよう。
オッサンは慣れた手つきで七味をこれでもかと振りかけ、何も入ってないかけ蕎麦を手早く手繰り、つゆを全て飲み干すと、小母さんに
「ごちそうさま。うまかったよ。」
と一言伝えて改札の方へ立ち去った。
カッコつけてんのかと思ったけど絵になるじゃねぇか。なんか悔しい気がする。
若い女の方は、できたてのコロッケそばを、一口、また一口と、愛おしむかのようにその愛らしい口へ運んでいった。
余韻を楽しむように、丼をもってつゆを何口かに分けて半分ほど飲んだところで、下膳口へ運んでいった。
小母さんが何かを察したような感じで
「いってらっしゃい。」
と言うと、軽く頭を下げてから手を振って出ていった。
そんな彼らの様子を見ながら、俺も早めのディナーを十分に満喫し、立ち喰いそば屋をあとにした。
電車が入線する頃合いを見計らって、改札を通る。
跨線橋に昇って、向こう側の3番線へと階段を降りた。
この時間の上り電車に人はまばらだ。
途中駅でいくらか乗ってくるが、この駅ではロングシートにひとりふたりというところだろう。
湘南色の年季の入った115系がホームに滑り込んできた。
先頭車両に乗り、手前側のロングシートに腰掛ける。始発駅なので出発まではまだ少しある。
スマホと明日の予定をプリントアウトした紙を見比べて一通り確認したところで、次の客が入ってきた。
さっきの2人だ。
こんな田舎だ、それぐらいの偶然は大したことないか。
オッサンは俺と同じ側のロングシートに、女は向かい側のロングシートに座った。
オッサンはタブレットを取り出して何やら入力しているようだ。老眼でスマホがきついのかもしれん。さりとて、ノートでゴリゴリというほどでもないのだろう。
女は、窓の外の夕焼けをバックに、背筋の伸びたきれいな姿勢でたたずんでいる。こうしてみると絵になるな。田舎に不釣り合いな格好も伊達じゃないってことか。
2人を一瞥してから、先ほどの晩餐を反芻し、そして一段落つくと、明日の余計な仕事に気が滅入るのだった。
明日は、この前買ってきたプラモデルを組み立てるつもりだったんだけどなあ。先週も別件でお預けだったし、いつになることやら。そもそも5日働いたら2日休まないと回復しないっつーねん。勘弁してほしいよ全く。仕事とか会社のために働いてるんじゃないんだから。
一通り脳内でぼやくと発車時刻の到来が告げられた。
発車のメロディーが流れ、車掌のアナウンスがスピーカーから響く。
電車はすっかりオレンジに染まった山あいの風景の中を、速度を上げて進んでいく。慣れ親しんだ新鮮味のない風景ではあるが、シンプルに美しい光景でもある。
夕焼けを、夢みたいに綺麗とか詠ったのは誰だったっけ?教養がないから思い出せないんだよなこういうの。
もう少し進むと短いトンネルがあって、その先は急カーブと踏切があったはずだ。電車は少し速度を落とし気味にしている。
と、向かいの席を見ると例の女が窓を開けようとしている。
馬鹿なのか?11月とは言えこの時間はもうかなり肌寒いぞ。せっかく暖房が効いてるのに窓を開けて寒風を入れて何をしようってんだ。そう思って見ている間に女は窓を開け、電車はトンネルへ入っていった。
まもなく日没という時刻の冷気が頬を叩く。そこらじゅうで反響した走行音も窓から入ってきて、頭が割れるような騒音に苛まれる。オッサンは気にしてないのか?左に座っているオッサンを見やると微動だにしていない。根性あるのか不感症なのか。
トンネルを抜けたら怒鳴りつけてやる。そう思っていると、女は持ってきたバカでかいカバンからトラメガを取り出した。トラメガ?トランジスターメガホン?全く持ってわけがわからん。多少のことは目をつぶっても、この女に関わらないほうがいいのでは。そう思えてきた。
電車は踏切に近づくと、女はおもむろにトラメガを使って外に向けて歌い出した。
トラメガのせいで割れ気味ではあるが、量感のある、そしてやけに蠱惑的な歌声だった。
夢みたいに綺麗で泣けちゃうな〜♪
歌いながら、銀色の何かを窓の外へ投げていた。
その先には彼女と似たような年頃の男が3人、鮮やかな夕焼けを背景に、オレンジに光る棒を持って何やら踊っているのが見て取れた。
彼女は急速に遠ざかる彼らに向かって
「アンタ達のこと忘れないからね〜!」
と届かぬ声を振り絞っていた。トラメガで。
一通り「状況」を終了すると、彼女は窓を閉め、トラメガをカバンにしまい、何食わぬ顔をしてあらためてシートに腰掛けた。
今のは一体なんだったんだ。全く状況を飲み込めない俺だったが、この際、冬に電車の窓を開けるという愚行を全力で見逃すべきだということだけは本能が教えてくれた。
たったワンフレーズだけの突発ライブ、ワンフレーズだけの彼女の歌声が、俺の脳を灼いたことは理解できた。
何もかもが衝撃だった。
これから俺はどうやって生きていくんだ。
そうだ。あのオッサンは?
そう思って左を見るとオッサンは静かに涙を流していた。積もり積もった人生経験のどこか琴線に触れるところがあったのだろう。なるほど、これが年季ってやつか……
その後、乗り継ぎの電車に3人そろって乗り換え、奇妙な旅の連れ合いは3人とも東京の夜へ消えていった。
半年後、SNSを眺めていると彼女の姿と歌声が流れてきた。それで、東京でインディーズアイドルとして活躍していることを知ることになる。それはまた別のお話。
オレンジ 片寄周 @katayose_amane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます