18日目 震幅と潮目 〜指された光と、島の返答〜
在庫/十八日目・朝
・水:0.18L(夜間蒸発で消耗)/祠 2割以下(濁流継続)
・食:海藻 残りわずか(束×0.3)/貝片不可食
・塩:微量(縁の結晶)
・火:炭片少/燃焼維持は不安定
・記録具:ペン 使用可(インク薄)/炭 予備
・道具:印石 14(減少)/帆布破片 1.0
・体調:極度の渇き/手指震え(書字困難)
・所感:祠の濁りは深まり地鳴りが増した。潮の人の指差しは夜の一点へ…それは遠く届くか届かないかの光
夜の光を胸に私は眠れぬまま朝を迎えた。
指先は乾ききりペンを握る指が滑った。帳を開くと昨夜の「星は指されている」が頁の角で震えているように見えた。私は深く息を吸って今日の在庫を記した。数字は容赦なく空を向いている。
祠へ急ぐと濁流はいつもより早く泡を吐き、縁から小さな波が砂を撫でていた。裂け目は昨夜より確実に広がっている。その口から吐き出される泡は細かく震え、まるで喉を詰まらせるために泡が生成されているかのようだった。水の匂いが変わる。生臭さの奥にかすかな硫化物めいた匂いが混じった。
「島が返事をしている」…そう思えた。
午前の観測は短いが鋭い。
・祠:裂け目からの濁流+細泡増。辺縁の砂が階段状に崩落
・影:杭の影はなお二重。揺り戻しのように幅を増し、砂の上に濃淡の格子をつくる
・鳥:群れは完全に離散。遠方で低い声のような鳴きが聞こえるのみ
・潮の人:昨日の指差しの方向に立ち腰まで沈んで動かない。波は彼女の裾を洗うが表情は読み取れない
私は祠の縁に置いた印石の一つを撫で思考を整理した。潮の人が指した光は「現象の発生点」である可能性が高い。だが指差しが「方向」を示したのか「対象」を示したのかはまだ判別できない。紙に書けば「方向」となるが現実はもっと陰翳を含んでいる。
昼近く、島が応答を返した。
まず海面の周期が狂う。通常の満ち引きとは別種の脈動が沖の帯に生まれた。辺縁の泡が潮を逆らうかのように外側へ向かって流れる。砂の端が波に削られ私が朝に置いた小さな印石がひとつ、水に呑まれていった。私は咄嗟に手を伸ばし波に掴まれそうになりながらも石を拾い上げた。石はぬるりと滑り、冷たく、そこに小さな刻印があった…昨夜見た貝片の裏面と同じ細い一本線だった。
意味を量る時間はなかった。地鳴りが低く島の内部で何かが移動している気配が強まった。砂は足元で震え小石が微かに跳ねる。遠くの空に薄い靄が立ちのぼったように見えた。その稜線が刻一刻と形を変えていく。私は体の震えを抑え冷静に字を書こうとしたが手が先に動いた。
条項補注(十八日目・昼)
・潮の人の指差しは持続。方向は夜の一点
・海面の脈動異常=潮目の反転或いは局地的引潮→突発的押戻し
・印石の回収物に記号刻印=鳥や潮の人による「印」の再確認か
・島内部に低周波の地鳴り。砂の崩落頻度増
午後の光は薄く空が鉛色に傾き始めた。潮の人は相変わらず指を動かさない。私は一度、輪の内側に腰を下ろし頭を抱えた。制度はますます紙上の概念に見える。紙は現象の速度に間に合わない。だが私は記す…記さねば消える。そう自分に言い聞かせ細かく観測を足した。
そのとき北東の沖合いに奇妙な明滅が見えた。昼の弱い光の中で小さな点が瞬いては消える。波間に浮かぶ蛍の群れのようで、しかしその規模は自然の群れを超えていた。光は次第にまとまりを持ち波の上に細い帯状の光線を引く。見れば光はまるで道のように海を切り開き指された方向へと伸びている。
私の胸が早鐘のように鳴った。指差しの先に確かに「道」が開かれている…光の帯だ。だが同時に直感が警告を発した。光の道は誘導なのか罠なのか。季節の詩情ではなく野生の罠の匂いが鼻をつく。
夕刻の潮目は逆転のように変わり波は以前よりも強く砂を叩いた。私は残りの藻を一本取り出し祠の縁に置いた。交換の意思表示に近い行為だが相手は見えない。代わりに沖の光の帯が一度だけ強く震え波の表面が銀色になった。その瞬間、海面から低い歌が聞こえた…言葉ではない複数の振動音が層となった歌だ。鳥の鳴きでもなく人の声でもない。私は手を胸に当て耳を塞いだが音は身体を透過して骨に響いた。
夜になり空はさらに混沌を増した。星は昨夜よりも散乱したが指された一点の光はさらに明瞭になった。潮の人は浜辺で一歩前に出ると胸の前で=を短く描いた。記号か、合わせのしるしか、合図か。私は小さく頷き声にならない言葉を彼女に投げた。「行くのか」「待つのか」…返事はない。ただ彼女の指差す先で光が強くなり波間に白い泡が集まりだした。
私は決めた。記録者である以前に生きる者である。制度の網を守るだけでは命を繋げない。潮の人が示した光が救いなら、それを辿る価値があるかもしれない。もし罠なら記録が最後の証言になる。
荷をまとめ、残りの印石と帆布片をしっかり縛った。胸ポケットには帳を入れ、ペンを握っている。夜風が私の髪を撫で、塩の匂いが濃くなる。鳥たちの高い声が遠くで交差し、海の光が道となって浜を切り裂いている。
私は輪の外へ一歩踏み出した。砂が粘りつくように足に絡み、印石の縁が冷たかった。潮の人は私のすぐ横で同じ方向を指し続ける。彼女の指先は揺らがない。星の光は波の先で一つの柱のように立っている。明るすぎるその光は見る者の瞳を焼くような強さを持っていた。
最後に帳に書き残す。
「光は道を作る。道は問いを生む。私は行くか。待つか。どちらが記録に値するのかはまだ分からない」
夜の波が私の足元を洗い光の帯が私の前に延びる。どこへ続くのか…救いかあるいは深淵へか。潮の人の指は震えず星はまだ答えを言わない。
在庫/十八日目・夜
・水:0.15L(残量危険)/祠 1割台(濁り顕著)
・食:海藻 残り僅少(束×0.2)
・記録具:ペン 使用可(インク極薄)/炭 予備
・所感:島は応答した。光は道か罠か不明。私は明朝、指差された方向へ少しでも進むつもりだ。記録は最後まで残す。
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