第39話 洗礼と祝福
アニスが王都に戻り、健康回復と子育てにいそしんでいる間、カリアスはトイシュケルに命じ、軍事行動を再開させた。
軍を一度、パルシャガルに撤退させると見せかけ、昨冬に離反した、内応貴族の領内に侵攻させたのである。
貴族たちは大軍に押し寄せられたらひとたまりもなく、ほうほうの体で他国に落ち延びていった。
こうしてカリアスは北部の大部分も直轄領に編入した。
これにノルデン王国から割譲された、広大な沿岸三州も加わり、王権は一気に拡大。
沿岸三州には、いくつかの不凍港があり、海洋貿易による巨額の利益も見込めるようになったため、王室の金まわりは一気によくなった。
支配の確立のため、北部や沿岸三州に派遣されたカリアスの側近や、アルフレッド、リマルたちは、しばらくの間、現地に留まり、都市や城郭を整備したり、諸制度をクルキア風に統一する作業に忙殺された。
「海の向こうの連中に、再び橋頭保を築かせるな」
というのが、その理由だった。
リマルは、要塞の建設や改修がことのほか気に入ったようで、パルシャガルに帰ってくる気配すら見せなかった。
ノルデン王国との戦争の結果、クルキア王の権力は各段に強化され、国内でカリアスに逆らえる者は、もはや誰もいなくなった。
もっともカリアスは決して暗愚ではなかったため、ノルデンとの戦役に従軍した者たちに、気前よく賠償金を分けてやった。
豊かで、生産性の高い直轄地が増えたので、一時的な賠償金など、どうでもよかったからだった。
兵士たちはもちろん、経済難に苦しむ貴族たちは、領地を獲得できなくても、かなりの現金を確保できたので、大いに喜んだ。
暗殺されかけたのはついこの間のことだったが、カリアスは一転、貴族たちから「偉大な王」と呼ばれるようになった。
うなだれて過ごしたのは、カリアスが疑問を呈して、首輪をもらえなかったトイシュケルくらいのものだった。
「まったく、現金なものだ。実際に現金を配ったからかもしれないが」
カリアスのジョークは、あいかわらずセンスがなかったが、それを聞いて、アニスは安心した。
王家さえ嫌われていなければ、自分たちに危害が加えられるリスクも、かなり軽減される。
アニスにしてみたら、カリアスとミルンが殺されることは、何としてでも避けたかった。
(パルシャガルの貴族連中だけは、本当に信用できない。取り急ぎ、策を講じなければ)
アニスは寝ても覚めても、そんなことばかり考えるようになった。
ところが、そんなアニスの暗い気持ちを吹き飛ばすような出来事があった。
アニスの体調不良や、ミルンの成長不良のため、先延ばしになっていた洗礼式に際し、隣国の王をはじめ、国内外の貴族や聖職者たちから、祝いのための使節が
クルキア国内の商人など、都市の新興層も各地で祝いの行事を催し、ミルンはクルキアの未来の統治者として、貴族や国民から祝福された、幸先のよい、第一歩を踏み出すことができた。
それは時節柄、当然ノルデンとの戦勝祝いも兼ねており、王子の洗礼は、王夫妻の想像を超えて、盛大かつ賑やかなものとなった。
これには、ノルデンの大軍を、身重の身で粉砕し、王の身柄を拘束するという、まるで古の神話のような大活躍をしたアニスの噂が、クルキア国内のみならず、近隣諸国を駆け巡ったことも手伝っていた。
ちなみに、洗礼式を取り仕切ろうと、いつものようにしゃしゃり出てきたアニスのいけすかない小姑や、大貴族の妻たちは、カリアスの、
「必要ない。帰れ」
という、にべもないひと言で、排除されていた。
カリアスは妻の気持ちを、痛い程よくわかっていた。なんなら、自分自身もかなりムカついていたので、判断は即決だった。
おまけに、
「暗殺を防ぐため、今後、特段用のない者は、王宮への出入りを禁ずる」
という勅令も出され、これまで王家をないがしろにし、王宮を牛耳っていた者たちは、権力から一気に締め出される形となった。
「ひどい。なんたる横暴!」
「今まで懸命に王室を支えてきた、私たちの誠意を踏みにじるような行為だわ!」
「なんという恩知らず!」
男も女も、キーキーわめいて、「伝統を守れ」、「我々をないがしろにするな」と文句をつけたが、彼我の実力差は明らかだったし、暗殺予防と言われては返す言葉があるはずもなく、すべて無駄な抵抗だった。
アニスは、宰相のオドや、その妻からの、しょぼい祝いの品を見て言った。
「これが誠意や伝統か。たいしたものだな。金を出さずに、口だけ出すような連中は、もはや王宮には必要なかろう」
性格が悪い上に欲も深い、ちんけな連中の厄介払いができ、アニスは大いに溜飲を下げた。
カリアスやミルンの殺害の恐れも減り、かくして王妃はようやく、安心して王宮で過ごせるようになった。
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