第22話決戦前夜

 夕暮れの赤が村を染め、柵の影が長く伸びていた。

 昨日から村人総出で防備を固め、柵には新しい支柱が加えられ、弓矢もまとめられている。

 だが、誰も安心はしていなかった。森の奥には黒外套くろがいとうが潜み、「三日」という不吉な言葉が明日を指しているからだ。


 広場に火が焚かれ、村長オルドが杖を手に立った。

「今宵を越えれば、奴らが必ず来る。各々心して備えよ」

 短い言葉が、静まり返った空気を震わせた。


 俺は槍を背に負い、炎を見つめる。

 隣でナギサが俺の袖を握り、金色の瞳で真剣に見上げてきた。

「レイン、あした……いっぱい戦う?」

「ああ。だが、お前は無理をするな」

「でも、ナギサもレインの群れ。……そばにいる」

 彼女の言葉に胸が熱くなる。守られる側であったはずの少女が、今は俺と共に戦うと決意している。その小さな体から伝わる温もりが、妙に心強かった。


 その時、海斗が木箱を抱えて現れた。顔には土と汗がこびりつき、息を荒げながらも声を張り上げる。

「見ろよ! 保存食を作ったんだ! 日本で習った乾燥法でな、これなら数日は持つ!」


 村人たちが驚きの声を上げる。

「こんなに軽いのに……味も悪くない」

「水を加えればすぐ食えるのか」


 海斗は胸を張り、初めて誇らしげに笑った。

「な? 俺だって役に立つんだ! 昨日は怖かったけど……もう逃げない。俺なりに、この村で生きる」


 ダリオは冷ややかに見ていたが、短く呟いた。

「……口だけではなかったか。だが戦場で足を引っ張るな」

「わかってる! 俺は前には出ない。ただ、こういう知恵で支える」


 その言葉は、昨日までの空虚な叫びとは違い、確かな意志を帯びていた。


 やがて夜が深まり、火は小さく揺れていた。

 俺は見張り台に登り、槍を膝に置いて森を睨む。

 闇は濃く、風は冷たい。

 だが、背後にはナギサが寄り添い、袖を掴んで離さない。

「レインがいるなら……ナギサ、こわくない」

 小さな声に応え、俺は静かに頭を撫でた。


 ――決戦は明日。

 村を巡る影が交錯する中、俺たちはそれぞれの覚悟を胸に夜を越えようとしていた。

夜が更けても村は眠らなかった。

 男たちは交代で柵の修繕を続け、女たちは子どもたちを納屋に集めて祈りを捧げていた。火の明かりの中で見える人々の顔には、恐怖と決意が入り混じっている。


 俺は見張り台から降り、広場に戻った。海斗が村の若者たちに囲まれて、保存食の作り方を説明しているのが目に入る。

「ここで水分を抜けば長持ちするんだ。俺の世界では非常時にこうやって――」

 必死に伝える姿に、最初は冷ややかだった若者たちも徐々に耳を傾けていた。

 昨夜の愚かさを知っているからこそ、今の必死さが逆に伝わっているのだろう。


 ミレイユが俺に近づいてきて、小声で囁いた。

「……あの人、変わりましたね。昨日までとは別人みたい」

「ああ。死を目の前にして、少しは現実を見たんだろう」

「それでも……あなたとは比べられない。私は……」

 ミレイユの視線が一瞬だけナギサに向き、言葉が途切れた。

 その気配を敏感に感じ取ったのか、ナギサはすぐに俺の腕に抱きついてきた。

「レインはナギサのもの。他の人に渡さない」

 ミレイユはわずかに眉を寄せ、それ以上何も言わずに背を向けた。


 胸の奥に複雑な重さを覚えながらも、俺はただ黙ってナギサの頭を撫でた。


 やがて夜半、柵の外から風に混じって低い囁き声が届いた。

「……やはり来るか」

 ダリオが弓を構え、俺も槍を握り直す。

 森の闇の中で、黒外套の影がわずかに動いたのだ。

 だが襲撃はなかった。彼らは確かにそこにいると示しながらも、再び闇に溶けていった。


 残されたのは、ますます強まる緊張と、明日への不安だけだった。


 夜空を見上げると、月が薄雲に隠れたり現れたりしていた。

 その光は頼りなく、それでも俺たちを照らしている。

「……負けるわけにはいかない」

 呟いた言葉は夜気に吸い込まれ、誰にも届かず消えていった。


____________________

後書き


 第22話では、決戦前夜の村の様子を描きました。ナギサの決意と、海斗が初めて村人に認められる行動を示す場面が入ります。

 次回はいよいよ黒外套との本格的な衝突。村を守る戦いが始まります。

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