第19話迫り来る影

村の空気は重く沈んでいた。

 昨日、広場で斎藤海斗さいとうかいとが転移者を名乗ったこと。そして黒外套くろがいとうがすでに森の端まで来ているという報せ。

 それらが混ざり合い、村人の誰もが夜明けを素直に迎えられなかった。


 俺は小屋の戸口に立ち、槍を背にかけながら森を睨む。

 冷たい風が頬を掠め、鉄のような匂いを運んでくる。

「……近いな」


 背後でナギサが毛布を肩に掛けたまま出てきた。銀の耳はぴんと立ち、尾は落ち着かない様子で左右に揺れている。

「黒外套……五。森の手前、岩の陰」

「見えているのか?」

「匂いと、風。……レインの匂いを狙ってる」


 俺は唇を噛み、村の広場へと足を向けた。


 広場では、すでに村人たちが集まりつつあった。

 オルドが杖を突いて現れ、ダリオが仲間と共に弓や槍を携えている。

 そして一番場違いな男――海斗が、妙に張り切った様子で立っていた。


「よし、ここは俺の出番だな! 異世界転移者といえば知識チート! 罠を張ろうぜ! たとえば、落とし穴とか!」


 村人の数人が顔を見合わせ、ため息をつく。

 ダリオは露骨に眉をひそめ、低い声で切り捨てた。

「落とし穴? この凍った地面に一晩で掘れると思うのか。馬鹿も休み休み言え」


「な、なんだよ……でも俺、戦術とか知ってるんだぞ! ゲリラ戦とか……」

「口だけなら誰でもできる」

 ダリオの言葉は鋭く、村人の視線が自然と俺に集まる。


「レイン、お前はどう見る?」

 オルドが問う。

 俺は短く答えた。

「……奴らは様子見だろう。昨夜から動かないのは、こちらの力を測っているからだ。無理に挑発すれば村を危険に晒す」


 その言葉に、村人たちはうなずき、武器を強く握りしめた。

 だが海斗だけは納得しない。

「ちょっと待てよ! なんでみんな、このモブの言うことばっかり聞くんだ! 俺が主人公なんだぞ!? 俺の知識を活かさないでどうするんだよ!」


 沈黙。

 村人たちの表情には呆れと不安しか浮かんでいなかった。

 ナギサが一歩前に出て、俺の腕にぎゅっと抱きつく。

「レインは主人公。……この人は、いらない」


 海斗の顔が真っ赤になり、口をぱくぱくさせるが、誰も援護しない。

 オルドは杖を鳴らして場を締めた。

「決まりだ。今夜は村の柵を固め、見張りを増やす。レイン、ナギサ、お前たちも持ち場につけ。……海斗、お前は邪魔をするな」


 海斗は唇を噛み、悔しそうに俯いた。

 だがその目の奥には、不気味な執着の色が宿っているのを俺は見逃さなかった。


 ――夜。

 焚き火の明かりが柵の影を伸ばし、冷気が肺を刺す。

 俺とナギサは東門に立ち、闇の向こうを見据えていた。


「来る」

 ナギサの耳が震える。

 風に混ざって、あの匂いが強まった。

 森の奥で、黒い影が確かに動いたのだ。


 夜は、長くなりそうだった。


____________________

後書き


 第19話では、村人たちが黒外套の気配に備える様子を描きました。海斗の勘違いと空回りがますます浮き彫りになる一方、ナギサの独占欲と村人たちの信頼がレインに傾いていく展開です。

 次回は、夜の襲撃と黒外套の狙いがついに明かされることになります。

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