第15話銀耳の名

 村の門をくぐった瞬間、重苦しいざわめきが広がった。

 腕の中に抱える少女の銀の髪と、頭の上にぴんと立つ獣耳が、松明の光に浮かび上がる。

 村人たちの顔は恐怖と嫌悪、そして好奇で入り混じっていた。


「獣人だ……!」

「なぜ連れ込む!」

「危険だ、すぐに追い出せ!」


 怒号が飛ぶ。

 だが少女は怯えるどころか、俺の胸元に顔を埋め、両腕でしっかりと抱きついていた。


「いや……いやっ、離れない……レイン……」


 弱々しい声。それでも必死にすがりつくその仕草に、村人はさらにざわめいた。


「俺が責任を持つ。今は治療が先だ」

 俺は強く言い切り、少女を背負ったまま宿へ急いだ。


 納屋を改造した小屋に寝かせると、彼女は小さな手で俺の袖を掴んだまま離さなかった。

 ミレイユが薬草を持って駆け寄る。

「消毒しないと……」


 手を伸ばした瞬間、少女が唸った。

「ダメ! 触らないで……レインはわたしの……!」


 その声に場が凍る。

 ミレイユの表情がわずかに曇った。

「……わたしは助けたいだけなのに」


 少女は俺の袖を握り、涙を滲ませながら呟いた。

「レイン……レインだけ……そばにいて……」


 その甘えと独占欲に、胸の奥が揺れる。

 守ると決めた命だ。だが村の目はますます厳しくなるだろう。


 やがて少女は眠りに落ちた。

 俺は毛布を掛け、そっと囁く。

「名前を……聞いておきたいな」


 眠りの中、彼女の唇がかすかに動いた。


「……ナギサ……」


 それが彼女の名だった。


 背後で小さく息を呑む音がする。

 振り返れば、ダリオが壁に寄りかかり、腕を組んでこちらを見ていた。

「レイン。……お前が何を隠していようと、これ以上は村を危険にさらすな」


 警告とも脅しともつかぬ声。

 俺は答えられず、ただ銀耳の少女――ナギサの寝顔を見つめ続けた。

その夜、宿代わりの小屋の外には、ざわめく村人の声が絶えなかった。

 「危険だ」「追い出すべきだ」「だが助けてもらった恩もある」――感情のせめぎ合いが、壁一枚越しに伝わってくる。

 俺は眠れぬまま、焚き火の火を見つめていた。


 ナギサは俺の袖を離さず、浅い眠りの中で時折「レイン……」と呟く。

 その小さな声が、胸の奥の警戒心を少しずつ溶かしていくのを感じていた。


 扉が軋む音。

 入ってきたのはミレイユみれいゆだった。薬草を煎じた壺を手にしている。


「少しは……熱を下げられると思う」


 彼女はそっと寝床に近づこうとした。だが、眠っていたはずのナギサの耳がぴくりと動き、ぱちりと瞳が開く。

 黄金色の瞳が鋭く光り、俺の腕にしがみついた。


「だめ……レインはわたしの。ほかの女、近づかないで」


 ミレイユの動きが止まる。

 彼女の表情には驚きと、抑えきれない動揺が浮かんでいた。


「……助けたいだけなのに」

 低くつぶやいた声が痛かった。


 俺は慌てて間に入り、ナギサの頭を撫でる。

「落ち着け。彼女は敵じゃない。お前を助けてくれるんだ」


「でも……いや。レインは、わたしの……」

 子供のように首を振り、必死に抱きついてくる。

 その甘えと独占欲は、村の疑念とは違う種類の重みを俺に突きつけてきた。


 しばらくしてナギサは再び眠りに落ちた。

 俺は外で待つミレイユを追い、扉を閉める。

 夜風が彼女の髪を揺らし、吐息がかすかに震えていた。


「……あの子、本当にただの獣人なの?」


「わからない。ただ、見捨てられなかった」


 正直にそう答えると、ミレイユは複雑な笑みを浮かべた。


 その時、背後の闇から低い声が聞こえた。

「……やはり怪しい」


 振り返ると、ダリオが月明かりの下に立っていた。

 剣を腰に下げ、鋭い目をこちらに向ける。


「巨猿、大猪、大狼、そして今度は獣人の少女。すべてお前の周囲に現れている。偶然だと思うか?」


 言葉を失う。

 ダリオは一歩近づき、さらに低く言った。


「俺は必ず暴く。お前が何者なのかをな」


 その宣告を残し、彼は闇に消えていった。

 月の光だけが残り、俺の影を地面に長く伸ばしていた。


 腕の中には、今もレインを求めて縋ろうとするナギサの小さな温もり。

 そして背後には、真実を暴こうと迫る鋭い視線。


 ――守るべきものと、隠すべきものが、同時に重くのしかかってくる夜だった。

____________________

後書き


 今回は獣人の少女を村に連れ帰り、名前が「ナギサ」であることが明かされました。

 彼女は甘えん坊で強い独占欲を見せ、ミレイユとの間に早くも火花が散り始めます。

 次回はナギサが村で目を覚まし、彼女の存在がさらに大きな波乱を呼び込むことになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る