第5話 足を引きずる男

薄暗い寝室。五人分の布団が並ぶその静寂を、鉄を擦るような声が破った。


「ほら、皆んな起きろ!」


 低く乾いた響き。

 扉口に立つ男の姿は、夜の残滓そのものだった。


 頭には深くフードをかぶり、顔の半分を黒革のマスクで覆っている。影に溶けるように細長いシルエット。引きずる足が床板を軋ませるたび、見えぬ痛みが部屋に充満した。

 その男の名は――ザルド。


「まずは布団を綺麗に畳め。道具も片づけろ。終わったらベッドの前に並べ」


 命令は刃のように無慈悲で、従う以外の選択を許さなかった。

 カイは布団を畳みながら、前世の記憶を引き合いに出す。自衛隊の訓練映像で見た、規律に縛られた兵舎の朝。その厳しさを笑えぬ現実として味わっていた。


 布団を片づけ列に並んだとき、ザルドの声が再び落ちる。


「俺はザルド。この厩舎での世話役、そして教育係だ。ここでの時間は甘くない。だが、生き残りたいなら叩き込め」


 その姿は不自由な肉体を引きずりながらも、戦場を生き抜いた者だけがまとう威圧を纏っていた。影のように暗く、硝子のように脆く、そして刃のように鋭い存在感。


「まずは朝食前の鍛錬だ。薪割り、水汲み、掃除……。労役であり、鍛錬でもある」


 その声に従って、一日の流れが示された。

 夜明け前の労働。質素な食事。午前は武器と盾の基礎。午後は行軍と陣形。夕方には魔法や学問。夜は物語を聞かされ、そして眠り――。

 戦場を模した日常が、彼らを待ち受けていた。


 昨日、盾役〈タンク〉のジョブを授かったポッコは薪を割っていた。カイは水汲みに向かった。肩に棒を担ぎ、両端に吊るされた水桶。ありふれた作業のはずが、足腰を軋ませる拷問のようだった。


「体幹を鍛えるのか……それともただの苦行か」


 そんな愚痴を心で呟きながら、水桶を揺らす。

 ふと横を見ると、水霊導師〈アクアセージ〉のジョブを授かった少女セイラが同じ作業をしていた。水を汲み上げる姿は清らかで、曇りのない瞳をこちらに向けてくる。


「どうだい、昨夜はしっかり眠れた?」


 カイが問いかけると、セイラはかすかな微笑を返した。


「眠れたよ。今までよりもずっと良い。環境は過酷だけど……義勇兵として生きられるなら、命を落とすかもしれなくても、ここには希望がある。出世だって夢じゃない。……カイは?なんだか顔色が良くないね」


 その言葉に胸が刺さる。

 彼女を含む三人は奴隷から解放されたばかり。血と泥にまみれた過去を背負い、それでも笑う。

 一方、自分は……訓練の厳しさに戸惑っている。どちらが弱いかは明らかだった。


「昨夜、ちょっと寝つけなくて……。実はガチャのスキルが少し分かったんだ。それが……すごくて」


 秘密を打ち明けると、セイラの顔がぱっと明るくなる。


「副団長が言ってたよ。『カイが一番輝いていた』って。きっと皆にも知らせるべきだよ」


 他人のことなのに、心からの笑みを浮かべてくれる少女。

 その笑顔を見て、カイはようやく朝食のときに上の者へ報告してみようと思えた。


 ――だが、その報告が、やがて獅子の紋章全体を揺るがすきっかけになる

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