第26話小動物でも牙がある
「何を言っているの、ルナシー・メドベージェフ。あなたは一人の侍女であり、侍女長である私に従う義務があるでしょう。」
確かにそれはその通りだけど、彼女に従うのではなく彼女の指示に従うの間違いじゃない。
人を私的に利用するって、それは奴隷と同じじゃない?
本当に吐き気がする。こんなにも当たり前のように自分の下に就いた者は何をやってもいいと思う人。
実に、醜悪極まりないわ。大体こういう人に限って、自認はいい人なのがそれを助長させる。
それにしても、ルナシーったら全く動じないのね。
目に見えて顔を顰める侍女長、涼しい笑顔を彼女に向けるルナシー。
まさに、対極的な態度ね。
「なんだ、喧嘩か?誰か止めに行けよ。」
「ルナシーと侍女長?また、ルナシー侍女長に仕事押し付けられたの?」
「今の侍女長の言葉聞いたか?『私に従う義務』って何様だっての。」
あら、なんか騒がしくなってきたわ。
いつの間にか人だかりができていたみたい。主に侍女や兵士みたいだけど。
二人は気づいているのかしら?
「では、侍女長であるあなたよりも偉いお方からの指示であったとしても、そうおっしゃるのですか?」
ルナシーが懐から取り出した紙は、汚れが一切ないフリーギドゥムの紋章が書かれている白い紙だった。
そういえば、昨日フィリップ様に印鑑をもらって、私との間に結ばれる契約書を書いていたわね。
こうなることが前々から分かっていたということか。
それにしても、あまりにも用意周到過ぎてちょっとうすら寒いものがあるわね。
……ルナシーを怒らせないように気を付けよう。
「そんなただの紙切れで、私をどうにかできるとでも思うの?いいから来なさい‼」
「やはり、そうおっしゃいますか。さすがは侍女長様、素晴らしい取捨選択です。」
え、今この人なんて言った?あの紙を、≪ただの紙切れ≫と宣ったの?
本当に目が腐っているんじゃない。比喩とかではなく事実として。
まず、あそこまで手触りのよさそうな紙が紙切れなわけない。
滑らかそうな手触りの紙を作るのには多大な技術と労力が支払われているというのに。
そもそも、フリーギドゥムの紋章がついている時点で普通ではない。
リュミエールでも、ああいう類の紙は国家権力によって保証されているのがほとんどだ。
それにどうして気が付かない。帝室付きの侍女ならなおさら分からないのはおかしい。
「この紙切れが宰相閣下及び皇帝陛下の御勅印が入っていたとしても、あなたにとってはどうでもいいことなのですね。」
ルナシー、キレキレに言い返すなぁ。最初に会った時の憔悴具合が嘘みたいだ。
じわじわと相手を崖っぷちに追い詰めていく感じ、まるで獲物を捕えようとする獣のよう。
彼女の場合は、狩人の方がいいのかもしれない。
まあ、自分から罠にかかった侍女長に同情する気などさらさらないけど。
「な、そんな馬鹿な。お前のような平民出身の下賤なものがあの方々にお目通り願うわけがない。」
「私の家は騎士階級です。何度言ったら分かるのですか?相変わらず、あなたの頭の中にはお偉方に媚びへつらう事しかない。」
わぁ、そんなこと言ったら、自分で『見下しています』と言っているようなものだろう。
怒りに支配された侍女長は気づいていないみたいだけど、周りにいる人たちみんな引き攣った顔しているよ?
かくいう私もあまり見ていて快くはないんだけどね。
にしても、ルナシーはこの茶番みたいなものをいつまで続けるつもりかしら?
「この、生意気な‼……なっ、どうして、この腕を離しなさい‼侍女長の私に対して失礼よ。」
あっ、ついに侍女長がルナシーに手を挙げようとした。余りにも手馴れた動きだったから、反応できなかった。
「ルナシー、だい、じょう……。」
ルナシーは軽々と侍女長の腕を掴んでは離さない。
あれ、なんかこの光景、既視感あるなぁ。
殴りかかろうとしている手を掴むところとかまさに。
あ、過去の黒歴史が、抉られるぅ~。
「この手を離したら、あなたはいつも私をそのすべすべな手で平手打ちにしますよね?」
そう言いながらルナシーは大衆に向け、掴んだ侍女長の腕を見せつける。
昨日見た侍女たちよりも、丁寧に手入れされた手を持っているってどういうこと。
彼女たちも十分おかしかったけど、激務であるはずの侍女長の手がそんなにきれいなことってありえることなのか?
いや、書類仕事はするはずだからペンマメぐらいできているだろう、普通。
「私はあなたの都合のいいおもちゃではありません。一人の侍女です。自分の仕えている主人を優先させてもらいます。」
「お目汚ししてしまってすみません。」と耳打ちしたルナシーは私の手を引いた。
そのまま何事もなかったかのように去ろうとしたけど、うまくいかないよね。
さんざんルナシーに煽られまくって、プライドをずたずたにされた侍女長が私のスカートをひっつかむ。
「くっ、そもそもおまえがここに来たせいで!!」
ルナシーが吹っ切れる最後のきっかけを作ったのは確かに私かもしれない。
でも、塵も積もれば山となると言うように、ルナシーの精神を蝕んだのはあそこの侍女たちだ。
だから、少なくとも私が八つ当たりされるいわれはない。
「あら、ごめんあそばせ。服が汚れるのは不快でしてよ。」
「これは一体なんの騒ぎだ?」
随分と馴染みのある声が耳に入る。
集まった人だかりが、声の主に対して道を開ける。そして、彼は私たちのもとにやって来た。
「こ、皇帝陛下。……どうしてこちらに?」
「我が最愛が今日図書館を見学しに行くと、そこな侍女から聞いてな。」
流石の皇帝陛下には変な態度を取らないか。どことなく小物感があるし、そのような度胸はなさそうだ。
それよりも我が最愛って、なんかちょっとこそばゆいんですけど!
きっと今の私の顔、蛸のように真っ赤になりかけているわ。
「さ、左様でございますか。その方を待たせるのはあまりよくないのではないですか?」
「貴様、その彼女の道を塞いでいて言える立場か?」
イヴァン様が指摘してもまだ、侍女長は彼の意図を理解できないらしい。他の侍女や兵士たちは理解して、冷や汗を垂れ流してしまっているというのに。
「え、そ、それはどういう。まさか、この得体のしれない小娘が?」
「人の婚約者に対して、『小娘』か。実に高慢だな。……ルナシーと言ったか。昨日お前が話した通りだな。」
私が『小娘』なのは事実だが、仮にもこの城にいる人間がただものではないことくらい分かるだろう。
「しかし、どこの馬の骨かもしれぬのは事実ではないですか。」
「はぁ、距離の離れた国ならばまだしも、隣国の有力貴族の顔ぐらい把握していたらどうだ?」
目が腐っているんじゃなくて、体の芯から腐っているんじゃない、この人。
イヴァン様にくぎさされていたのに食い下がる度胸は認めよう。
彼も呆れかえって怒る気力すらもなさそうだ。
というか、この場にいるほとんどの人が侍女長に憐みの視線を向けているな。
「陛下、知らなくても無理はありませんよ。侍女長様はコネで入られているのですから、学がないのです。」
「な、どうしてそれを知っているの‼あっ……。」
ルナシー、それはいろいろな意味でとどめだから。
まぁ、変にこの侍女長は意地を張っていそうだし、一番ダメージを与えられるのはこの方法か。
でも、ルナシーが吹っ切れてまだそんなに時間は立っていないよね?
その中でここまで精神的に負荷を与えられる方法を思いついて、実際にやるなんて。
ルナシーってば恐ろしい子。
「やはり、侍女周りの人員配置を見直す必要があるようだな。」
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