X-4 「Xenium (贈り物)」
「混沌派の道士が、なぜユェを?」
シャオの問いにズーチンは顔を背けた。すでに口枷は外していた。彼女が舌を噛むたびにディディが回復魔法を唱え続けたところ、無駄立ち諦めたらしい。
無人となった県尉の部屋を借りていた。人の物とも人外の物とも知れない肉片は水魔法で洗い流したが、臭いだけはどうしようもなかった。椅子に座らせたズーチンの前にシャオは立っていた。
どうしてユェは僵尸に狙われる?
なぜズーチンは僵尸と共にいて襲われない?
そもそも──僵尸とは何なのか。
尋ねたい事は多かったが、そのどれにもズーチンは黙秘を続ける。
「何も話すつもりはない」
「でしょう、ね」
シャオは息を吐いた。道士である自分も、同じ状況ならば同様の態度を取るだろう。
シャオの流派である穏健派は、武力行使を禁じている。拷問もできない。
「ディディを呼ぶ」
ズーチンが目を剥いた。
ディディは今、街に入った僵尸の残党狩りと、外壁の修理に向かっている。町外れの壁が大きく壊されていたのだ。そこが侵入経路だった。
「うすうす分かっているとは思うが、あの男は──異常だぞ」
ディディの持つ魔法は多彩で、その魔力には底がない。今日一日で100回ほど魔法を行使しているが、けろりとした顔をしている。その上、魔法の威力も桁外れだ。魔法の威力が強い、とは、魔力の込め加減を調整していない、あるいは毎回が全開という事である。それが人体に向けられた時、どれほどの被害を与えることになるだろうか。シャオはそう畳みかけた。
「でも、ディディは、それはしない」
魔力とは──人間が生まれ持つ生命の強さ、本能由来の衝動。ディディが持つそれは常軌を逸している、とシャオは認識していた。
「あの男は性の権化だ」
男の衝動的な欲望。その強さは女であるシャオには想像する事しかできないが、「尋問」という口実を与えて許可をすれば、ディディはズーチンに対してあらん限りを尽くすだろう。命の火が尽きない限り、『回復』は使える。時間で回復するディディの魔力に底はない。
想像の先を振り払うように、シャオの肩がわずかに震えた。
ズーチンは固まったまま、動こうとしない。
バン、と扉が開いた。その音でシャオだけでなく、ズーチンの肩も動いた。
「たっだいまー。いやー疲れた疲れた。行ってみたら、すっげー大穴が開いてたからさ、前よりずっと頑丈にしてやったよ。さすがオレ」
ディディが首を回しながら、入ってきた。俯いたズーチンは身動き一つしようとしない。その耳に囁くように、シャオが「今からあの男の異常性を見せてやる」と言った。
「ディディ、この女の口を割らせろ。どんな手段を講じても構わない、と言ったら、何する?」
「そうだな。まず──」
滔々とディディは説明をしたが、その大部分をシャオは聞き流した。人体部品の名称はわかるのだが、そこに施す行為が理解できない。聞き慣れない言葉も多かった。性の道は奥が深すぎる、とシャオは呟いた。
顔を赤らめたシャオとは違い、ズーチンは青ざめていた。ディディが語るのは、これから彼女を待ち受ける未来だ。たとえ過酷な状況をくぐり抜けてきた彼女であっても、ディディの狂気的な欲望は想像を絶するものなのだろう、とシャオは推察する。ズーチンの唇が、「そこはそのような事をしていい器官じゃない」と、音にならない言葉を紡ごうと震えたが、喉が詰まって声にならなかった。
「ディディの世界では、それが普通?」
「同人誌ではよく見る」
「どうじ……んし?」
「た、頼む」
ズーチンが震えた声を出した。
「お願いだから、その男と2人っきりにはしないでくれ。何でも話すから!」
「よくやったディディ」
「……オレは何もしてないんだが」
情報を聞き出すと、シャオはズーチンを見下ろした。彼女は疲れきった様子で、顔だけを下向けたまま動かない。
端的に言えば用済みだったが、今この街は機能していない。牢屋に入れる事はできないが、かと言って放逐する訳にもいかない。
「連れてこーぜ」
ディディは事もなげに言った。
「……まだ、いやらしい事を、してないから?」
「違う違う違う!」
全否定をするディディ。「そのねーちゃん、根っからの悪い奴じゃないよ」
「……どうして、そう思った?」
シャオの問いには答えず、ディディは再度ズーチンのステータスを開いた。
『装備
武器: なし
防具: 道士服(防御力+4)
アクセサリ: 妹作成の首飾り(効果なし)』
「妹が人質になってるとか、病を治すのに金がいるとか、なんか、そんな感じだ。多分」
その言葉を聞き、ズーチンがハッと顔を上げた。
「妹を救い出すのが、仲間になるフラグとかじゃね? お約束的に」
「……何を言ってるか、まったく分からない」
シャオは大きく息を吐き出した。「でも、ディディがそう言うなら」と言い、縛っていた縄を切る。ズーチンは立ち上がると、呆然とした様子で己の手首を擦っていた。
「……いいのか?」
「良いも悪いも、ディディがそう言うなら。私は彼の、性癖はともかく、性格を信用している」
「随分な言われようじゃない?」
「それに、裏切るそぶりがあればすぐに──」
ディディをけしかける。そのシャオの言葉に、ズーチンは「ヒィッ」と声をあげた。「オレは犬か」とディディが反応した。
街を出た一行は、ズーチンが所属する道士組合がある赤江省を目指した。「ユェの確保。無理な時は排除せよ」というのが、ズーチンに課せられた命だった。詳しい理由は聞かされていない。
「ただ──その娘の魂が特別なのは分かった」
打ち捨てられた牛舎を利用させてもらい、野営の準備をしている時だった。牛舎は半分が崩れており、屋根が残っている部分には干し草が積まれていた。寝藁は3つ用意され、そこに座ったズーチンは、疲れた身体を少しだけ休めている。シャオとディディも、それぞれに腰を下ろした。
ズーチンは、亡者を『殭屍』として使役する術を使う、と言った。
「ジャンシー? ああ。キョンシーの事か」
道士として修行を積んだシャオでも、初めて聞いた術なのに、ディディは知っているらしい。
「額の札はどうした? 無かったぞ」
「埋め込んでいる。……どうして『使役札』の事を知っている? 場所も合っている。我が流派にのみ伝わる、秘術中の秘術だぞ」
「オレは何でも知ってるのだ」
殭屍術には応用がいくつかあり、その一つが視界の同調である。亡者の目を通して辺りを見渡し、斥候や偵察に用いる術だ。
「太陽ほどの輝きの、月のような青い光」
それがユェの体から発せられているのを、ズーチンは見た。吸い寄せられるように、殭屍の体が光に向かう。
「ユェは『運命の子』だから、か」
「──なッ!」
ディディの呟きを聞き、シャオとズーチンが揃って声を上げた。
「いま、『運命の子』と言ったかっ?」
「なんか、職業欄がそうなってた」
「馬鹿ッ! なぜ早く、言わない!」
「なんだよ。そんな大事なことなのか?」
「当たり前だ! 『厄災』だ!」
世界には三つの厄災が存在する。『荒ぶる龍』、そして『名も無い花』、最後に『運命の子』。どれか一つでも顕現すれば──世界は滅びる──と言われている。少なくとも三百年前、人類はその危機に直面した。現在営まれている人々の生活は、『名も無い花』によって荒廃した大地の上で、かろうじて息を吐くものにすぎない。
今、その厄災は、シャオが運んできた毛布に包まれ、すやすやと眠っている。この騒ぎの中でも、まるで何事もなかったかのように目を覚まさない。
「まさか、そんな……」
「おとぎ話が、実際にあるとは、誰も思わない。私もそうだ。年寄りが語る夢話。だが、この世界の常識がないディディが『運命の子』だ、と言ったのだ。間違いない」
「……そんな者を、私は殺すように命じられたのか……良かった。手遅れになる前で」
「殺したら、どうなると思っているんだ?」
「世界が滅びる、と言った」
「さっきは、その前に帰っちゃったんだよな」
その呟きを聞き、シャオは不思議そうな顔でディディを見たが、不意に手を伸ばす。腕を掴もうとしたが、遅かった。「試してみっか」とディディが言う。「やめろ!」とシャオが叫んだが、ディディは火球をユェに向けて放った。瞬間、ジュッと肉が焼ける音が響く。牛舎の壁が轟音と共に吹き飛び、干し草や木片が宙を舞った。シャオは破片を避けつつ、ディディの胸ぐらを掴んだ。
「……どういう、つもり?」
「ちょっと試しただけだよ」
シャオの平手を避けながら、ディディは笑う。
「──ほら。何も起きない。世界は滅びない。ただ単に1人の少女が死んだだけだ」
「貴様……!」
シャオの唇の、噛んだ部分から血が滲んでいた。ディディを挟むように立っていたが、先にズーチンが動いた。指で爆破札を挟むと、勢いよくディディに叩きつける。しかしディディは軽く空気の膜を展開して受け止め、そのままズーチンの左手ごと包み込んだ。爆破札が発動する──爆発は空気の膜で作られた玉の内部だけに留まり、巻き込まれたのはズーチンの左手だけだった。血まみれになる。
シャオは低い体勢で駆け寄ると真下から、顎を狙って釘を投げようとした。その腕をディディが踏みつけて防ぐ。攻撃は不発に見えた。しかしシャオは指先だけで釘を放ち、ディディの頬をかすめる。ディディは素早く避けたものの、その釘には『暗闇札』が貼られていた。目を見開くディディ。
シャオが札を起動させると、ディディの視界が一瞬にして奪われた。その隙にズーチンがナイフで腹を狙った。突き刺さる──
──ッ ブツッ。──
*
*
「おとぎ話が、実際にあるとは、誰も思わない。私もそうだ。年寄りが語る夢話。だが、この世界の常識がないディディが『運命の子』だ、と言ったのだ。間違いない、だろう」
「……そんな者を、私は殺すように命じられたのか……良かった。手遅れになる前で」
そう言ってズーチンが安堵の息を吐くのを、ディディは黙って見ていた。
すでに建物を囲むように、結界魔法を展開している。寝藁は3つ。屋根がある空間は狭い。「ハーレムハーレム」と呟きながら、ディディは真ん中に寝そべった。
「ズーチン、ひとつ教える。ナイフを持ったまま寝ろ。以上だ。なにか胸の辺りや下半身がモゾモゾしたら、躊躇なく刺すといい」
「そんな、怖い助言すんな!」
「毒の虫が出た場合の対処法だが?」
「ぐぬぬ」
「何か棒状のモノで刺されそうになったら、迷わずちょん切れ。どうせ回復魔法で治る」
「シャオ。それ本当に毒虫の話してる?」
「そうだが。何か?」
「……お前、そんな覚悟をして、この男と旅をしているのか?」
ズーチンは目を閉じている。今この場で眠っているのはディディとユェだけだった。道士は熟睡しない。睡眠と覚醒を短く繰り返し、深い呼吸で脳と体を癒す。流派が違えど、それは同じだった。
「……ズーチン」
「どうした?」
「妹の事、聞いてもいい?」
ズーチンはポツリと話し始めた。
貧しい村で生まれたこと。姉妹2人で旅に出たこと。妹が心臓の病で倒れたこと。治療法はなく、薬で進行を抑えるしかないこと。莫大な金を借りるしかなかったこと。金が稼げるなら何でもしてきたこと。金策のために道士の道を選んだこと。
「穏健派だろう。私を軽蔑するか?」
「道士は人の道を進み、人を導く仕事」
「そう、だな」
「でも、道は一つではない。目的地を目指して、回り道や近道を通ることもある。ズーチンにとっての道を進んだならば、それは道士たりえると、私は思う」
「……ありがとう」
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