贈り物と意外な誘い?

 夜がすっかり明けたころ、アラハバキは祠の奥に隠していた酒壺を持ち出し、

 アテルイとカノンに盃を差し出した。

「村人どもが供えていったやつだ。飲め、悪くない酒だぞ」


 炎の赤がまだ残る夜明け。

 三人は焚き火を囲み、ようやく戦いの緊張を抜いたようだった。

 アラハバキは盃を一息にあおり、ふとため息をついた。


「……ようやくわかった。おぬしたち、あの村の使いではなかったのだな」

 その声には、戦のときとは違う、どこか疲れを帯びた響きがあった。


 アテルイは盃を受け取り、静かにうなずく。

「俺たちはただの旅人だ。村の神争いには関係ない」


「ふむ……ならば、少し話しておこうか」

 アラハバキは焚き火を見つめ、低く続けた。

「長いことこの地を守ってきた。風を鎮め、土を肥やし、疫を祓い――」


 一度言葉を切り、焚き火の火がはぜる音だけが響く。

 炎が揺れ、アラハバキの横顔がわずかに寂しげに照らされた。


「……昔はな、ほんの少し姿を見せるだけで、人々は喜んだものよ。

 その時の娘がのう、美しくてな。毎年の祭には酒と花を供えに来てくれた。

 まんざらでもなかったから、しばらくこの地に留まったのだ。

 だが……あれもとうの昔に死に、贈り物も減った。

 最近では、わしの祠の近くで妖を呼ぶ始末よ」


 その声には、怒りよりも深い寂しさが混じっていた。


 アテルイは眉を寄せる。

「約束……とは?」


 アラハバキは盃を傾け、薄く笑った。

「そうよ。美しき女を一人――一夜を共にし、酒を酌み交わす。

 それがこの地を護る契りだったのだ」


 アテルイは思わずむせた。

「なっ……お前、それ、どこの神の真似だ」

「真似ではない。伝統じゃ」


 アラハバキは真顔で言うが、どこか誇らしげでもある。

「いやいや、無理やりではないぞ。来る娘は皆、神に選ばれることを誇りに思っておった。

 “神に抱かれる”というのは名誉なことだったのだ」


 カノンはぱちぱちと瞬きをして、少し眉をひそめた。

「……それを拒んだら、どうなるのですか?」

「せいぜい雨を降らせる程度よ。ちと腹が立つが、それくらいだ」

 アラハバキは気まずそうに頭をかく。


 アテルイは盃を置き、肩をすくめた。

「どこの世界も、強い者の理屈は似たようなもんだな。

 俺たちの神界でも、似た話は山ほどあった」


 カノンは苦笑して頷いた。

「……村人たちは“生贄”と呼んでいたのに、随分違いますね」


 その瞬間、カノンの瞳にわずかな影が差した。

 ――かつて自分も、“神に選ばれた”存在として縛られた。

 皮肉なほど、似た構図だと気づいてしまう。

 だからこそ、アラハバキの言葉に怒ることもできず、

 ただ静かに、笑って見せるしかなかった。


 アラハバキは二人を交互に見つめ、ふと目を細める。

 そして唐突に、カノンに視線を向けた。

「そういえば――娘よ。おぬし、美しいな」


 カノンが固まる。

「……え?」


 アラハバキは頬杖をつき、しみじみと呟いた。

「いやなに、さきの戦いの時から気になっておった。

 その白い肌、艶のある髪、そして――八本の脚。よい、実によい」


「脚の数は褒めるところではありません!」

 カノンが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 アテルイは口に含んだ酒を盛大に噴き出した。


「おい、アラハバキ! 戦のあとの空気ぶち壊すな!」

「壊しておらぬ。愛を語っておるだけだ」

「どこがだ!」


 アラハバキは真面目な顔で続けた。

「私はな、強い女が好きなのだ。糸で縛られても構わん」

「やかましいっ!」

 アテルイの怒鳴り声が祠に響き、カノンはさらに赤くなって俯く。


 アラハバキはため息をつき、肩をすくめた。

「ふられてしまったか。惜しいのう。……まぁ、神だって恋ぐらいする」


 その言葉の奥には、冗談とも本音ともつかぬ寂しさがあった。


 焚き火がはぜ、小さく火の粉が舞う。

 アテルイとカノンは言葉を失い、しばし沈黙が続いた。


 やがてアラハバキは立ち上がり、空を見上げた。

「さて、下らぬ話ばかりしても仕方あるまい。……餞別をやろう」


「餞別?」

 アテルイとカノンが顔を上げる。


 アラハバキはアテルイの折れた剣に目をやった。

「おぬしの剣、もう使いものにならんだろう。武器が要るはずだ」

 そう言うと、彼は自分の口元に指を当て、ぐいと犬歯を引き抜いた。


 硬い音がして、白い牙が掌に落ちる。

 次の瞬間、彼はどこからともなく槌を取り出し、

 ひと振り、それを振り下ろした。


 光が走り、空気が震える。

 そこに現れたのは――夜明けの光を映す、黒鉄の薙刀。


 柄の根元には、金色の紋が刻まれていた。

 アテルイは息を呑む。


「……これは……」

「我が牙を鍛えたものよ。神気を帯びた刃だ。

 使えば肉を裂き、魂を断つ。だが同時に、持ち主を護る」


 アテルイは静かに頭を下げた。

「感謝する。……こんな形で礼を受けるとは思わなかった」


アラハバキが何か言いかけたときその時遠くから声が響いた


 遠くから声が響いた。


「あっ、アテルイ様ー! カノン様ー!」


 カヤの声だ。

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