戦いの果てに
「……ぐふっ、俺……ん、か、じだ――」
血を吐きながらうめくアテルイの声に、アラハバキはあきれたように眉を上げた。
「そのような状態で私の腕を切り落とし、首まで狙うとはな。だが――なぜとどめを刺さぬ。今ならやれるかもしれぬぞ」
その言葉に、アテルイは崩れかけた肉体をどうにか支え、荒い呼吸が落ち着くのを待った。
腕に握った剣の断片は、なおも熱を持っていた。
そして、ゆっくりと、まるで血を吐くように言葉を押し出した。
「……お前がむかついたから腕を飛ばした。だが、どうしても殺す気にはなれなかった。……首を落としても生きてそうだ、というのもある」
アラハバキは一瞬目を細め、次いで喉の奥で笑い声を立てた。
「ハハッ、なるほど。間違ってはいないがな」
そして剣を手放し、倒れかけながらもその巨躯を支えた。
「もういい。少しやりすぎたようだな。しまいじゃしまい。もう暴れもせぬ、殺そうともしない。……おぬし名は何という? ちょっと腕を取ってくれぬか」
あまりに唐突な口調の変化に、アテルイは息を詰まらせる。
血に濡れた顔を上げ、ようやくかすれ声で返した。
「……お前のせいで腕が飛んでるし、息も苦しい。……剣は離してやったが、まだ信用はできない。カノンに頼む。それに……俺が先だ」
戦場の片隅に控えていたカノンが、静かに駆け寄る。
八本の脚が砂を滑らせ、アテルイの傷ついた腕をそっと持ち上げた。
その断面は、まるで穴を穿たれたように肉がごっそりと消え失せていた。
「……カノン。傷が塞がるまで時間がかかる。悪いが糸で縫ってくれ」
「わかりました。すぐに終わらせます」
その声は震えていたが、手は正確だった。
人間なら到底耐えられぬ痛みの中、アテルイはただ黙って見つめる。
糸が通るたびに、神の血が光の粒となって散り、草の上に吸い込まれていった。
その様子を眺めながら、アラハバキがまた口を開く。
「ふむ、やはりおぬし、そこまで神格は高くないようだな。……さて、そこの娘。今度は私の番だ。腕を持ってきておくれ」
カノンは警戒を解かぬまま、切り離されたアラハバキの腕を拾い上げた。
アラハバキはそれをひょいと掴み、切断面に当てる。
次の瞬間、白い光が走った。
その眩さが収まったとき、腕はすでに何事もなかったように元通りになっていた。
「そんな……もう、くっついた……」
カノンは息を呑む。
アラハバキは淡々と立ち上がり、手を軽く握ってみせた。
「ふん。人間や妖怪の類とは違うのだ。器が壊れれば、造り直せばよいだけのことよ」
そう言うと、彼はアテルイの傍へ歩み寄り、片手を掲げた。
青白い光がアテルイの体を包み、焼けただれた皮膚がたちまち再生していく。
焦げた匂いが消え、血が引き、傷口がふさがる。
アテルイは目を閉じ、微かな吐息を漏らした。
「……お前、何を……」
「力を少し与えただけだ。なかなかに楽しませてもらったしな。まぁ気にするな。こんなに戦えたのは久しぶりだ。今日は気分がいい」
アラハバキの声は、さきほどまで死闘を繰り広げていたとは思えぬほど、陽気だった。
それは戦いの熱が去ったあとの、奇妙に澄んだ静寂の声でもあった。
「さてと……まずおぬしら、何のためにここに来た? それと、あの胸糞悪い連中とは本当に関係がないのか?」
アテルイとカノンは顔を見合わせる。
互いに、力が抜けて言葉が出てこなかった。
だが、ようやくまともな会話ができそうだと悟り、二人は静かに頷いた。
――時間が過ぎていく。
暗かった星空が少しずつ明るみを帯び、夜明けの気配が森を包む。
その場には、半分眠そうに杯を傾けるアラハバキと、疲れきって言葉も出せぬアテルイ、そして呆然とその様子を見ているカノンがいた。
あのあと三人は、アラハバキの神殿――いや、今では半ば祠と化した廃殿へと招かれ、なぜか酒を酌み交わすことになっていたのだ。
血の匂いはすでに薄れ、かわりに焚き火の煙と酒の香りが漂っている。
戦神と放浪の神人、そして蜘蛛の女。
奇妙な取り合わせの三者が、夜明け前の静けさの中で盃を傾けていた。
アテルイは、疲れた声でぽつりと呟く。
「……あんた、変な神だな」
アラハバキは笑う。
「おぬしもだ。殺し合いをしておいて、平然と飲み直せる神人など滅多におらぬ」
その笑い声は低く、どこか懐かしい響きを持っていた。
戦場の残響は、もう風の音に溶けていた。
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