第4話 貴族令嬢の名を背負うもの



決闘の申し込みが受理されると、俺の想像を遥かに超える速さで噂は学園中に広がっていた。


「おい、聞いたか? あのスコール・キャットニップが――」

「……よりによってアイリス様に決闘を申し込んだって!?」


翌日の朝には、もう食堂のテーブルごとにその話題で持ちきりになっていた。

通路を歩けば視線を浴び、すれ違いざまに「信じられねぇ」とか「命知らずか」と囁かれる。

女子生徒の一部は「下品な男ね」と鼻で笑い、男子生徒は「羨ましい」と嫉妬混じりに歯ぎしりをする。


なるほど、こいつは想像以上の大事だ。


いや、決闘を申し込むこと自体は自由だ。制度上、誰にだって許されている。

だが、こと相手が――アイリス・ヴァレンタインとなれば話は別だった。


庶民が貴族に喧嘩を売る。これだけでも異例の事態だが、アイリスの家系となればさらに意味は重くなる。

ヴァレンタイン家は星暦以前、古代セレスティア文明の末裔とされる一族で、なかでも未来視や記録保持において強い適性を持つと伝えられている。連邦における歴史の編纂は常に彼らが担い、その正統性は議会の法令すらも凌ぐ重みを持っていた。


連邦議会には代々ヴァレンタイン家の者が特別議席を持ち、その発言は軍の作戦にすら影響を及ぼす。つまり、彼らは単なる家柄ではなく「文明の記憶そのもの」として扱われてきたのだ。国民からは畏敬の対象とされ、同時に権威の象徴でもある。血統を疑うことは即ち歴史そのものを否定するに等しく、表立って異を唱えられる者などほとんどいない。


その直系が、アイリス・ヴァレンタイン。


プラチナブロンドの髪は陽光を浴びて輝き、凛とした碧眼は人を見透かすように冷ややかで、それでいて柔らかい慈愛をも漂わせる。

一歩歩けば周囲の空気が正され、声を発すれば場が支配される。学園の誰もが知る高嶺の花であり、連邦の至宝として扱われる存在だ。


新聞は彼女の学園生活を報じ、雑誌は「才色兼備の貴族令嬢」と特集を組む。憧憬の対象でありながら、同時に触れてはならない禁域として敬遠されてもいた。


そんな彼女に、俺は堂々と「一日デートを賭けて勝負しよう」と申し込んだわけだ。


「キャットニップ……正気か?」

「アイリス様を賭けの対象にするなんて、頭がどうかしてる」

「いや、むしろ勇気あるって言うべきか?」


周囲の反応は賛否両論――というより八割方「否」だった。教師陣ですら、俺を睨みつける者がいた。

それでも申請は却下されなかった。敗北時に「一週間の従者業務」という代償を掲げたことで、制度上の正当性は保たれていたからだ。逃げ道はない。だからこそ承認された瞬間から、俺は学園中で孤立無援の無謀者に格上げされたのだ。


そしてさらに波紋を呼んだのは、肝心のアイリス本人が「承諾」したという事実だった。


「アイリス様が……承諾なさった……?」

「まさか庶民の挑戦を受けるなんて……!」


驚愕と衝撃で学園中が騒然となる。だが当の本人は、平然とした表情でこう言ったらしい。


「規則に則った挑戦であれば、断る理由はありません」


それだけ。まるで「一兵士の挑戦に過ぎない」とでも言いたげに。だがその冷淡さが、逆に彼女の威厳を際立たせた。決闘は数日後、北区アリーナにて執行される。


夕暮れの学園都市。赤く染まるスパイアの影を背に、俺はひとり寮の屋上に腰を下ろしていた。

空には薄青いマナ障壁が揺らめき、雲の切れ間から星がのぞく。ここがアーク・アカデミアであり、俺が挑もうとしているのは連邦そのものの象徴――アイリス・ヴァレンタイン。


庶民と貴族。平凡と星導。

この一戦は、その境界線を踏み越える冒涜にも等しい。


俺はそこまでのことを理解しているつもりだった。……いや、違うな。

たぶんこの時の俺は、まだ本当に気づいていなかったのだ。


あの令嬢が、想像していた「聖女」や「高嶺の花」とは少し違う顔を持っていることに。

その輝かしい微笑みの裏には、研ぎ澄まされた棘が潜んでいて、触れようとすれば血を見るのが必定であることに。


決闘が制度として受理されたといっても、それが「本当に公正に進められる」とは限らない。

相手は星導血統の直系だ。

俺のような庶民上がりの特待生など、ほんの気まぐれ一つで排除されてしまうほどの格差がある。

それを証明するかのように、決闘の前に訪れる“試練”があることなど、この時の俺はまるで想像していなかった。


そして、もしもその試練を越えられなければどうなるか。

決闘の舞台にすら立てず、ただ「分をわきまえぬ愚か者」として嘲られるだけだろう。

庶民が夢を見た罰を受けるように。

汚らわしいと吐き捨てられるように。


だが、俺はそんな未来を知らぬまま、ただ一途に夢を抱いていた。

愚直で、無謀で、あまりに無防備なまま。

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