オアシラ

日向寺皐月

オアシラ

「先輩、まだ着かないんですか?」

 抜けるような青い空に、蝉時雨が溶けて行く。締め切った車内には、生温いエアコンの風が充満している。これだから社用車は嫌いだ。幾ら私達が売れてないオカルト雑誌の記者とはいえ、もう少しマトモな車に変えて欲しい。

「ねぇねぇ、せんぱぁい~。田舎の道って何処も同じで暇なんですよ~。パソコン弄ってた方が楽しいですって~」

「はぁ……五月蝿い。もう少しだから」

 同じ部署の後輩である平林の声の不満げな声を、私はため息と共に黙らせる。気持ちは分かる。確かに私達の本来の仕事は、取材では無く紙面作り。デスクワークだ。私だって、取材に行くのは新人時代以来で久しぶりである。平林に至っては、もしかしたら初めてかもしれない。

 そんな私達が、何故取材に出ているのか。それは、単に私が編集長から記事を一つ作れなんて、無茶を押し付けられたからだけでは無い。

 その昔。故郷の掛川で、とある体験をしたからだ。それは、"オアシラ"と呼ばれる怪物に纏わるものであり、私がこの仕事に着く理由になった体験である。




 小学校までの通学路にある、車通りが少ない山際の雑木林。鬱蒼と繁る木々の横に、必ず"オアシラ"は立っていた。身長はどれ程だろうか。少なくとも横の木と同じくらい高かったのを覚えている。身体は細く、まるで枯木に皮膚を張り付けた様な手足が、襤褸布から飛び出す様にして延びていた。その顔は長く垂れ下がった髪に隠れていて、常に項垂れるように足元を見ていたと思う。

 そんな恐ろしげな存在に、当時小学生だった私達は最初こそびっくりした。中には泣き出し、暫くその道を通れなかった同級生もいる。だが私達は次第に慣れていった。それはそうだ。確かに毎日横を通り過ぎるが、オアシラは特に何かする訳でもなく、ただ立っているだけ。確かに日によって位置が変わっていたり、人によっては見えなかったりしたが、それだけの存在だ。怖がる必要も無かった。

 低学年の頃には、オアシラが見える者が多かった。共に同じ道を通学していた同級生達は皆見えていたし、他の道を歩く同級生達にも見えていた様だ。しかし大人には見えておらず、両親や教師にオアシラについて問うても「知らない」の一点張りだった。

 更に。学年が上がる毎に見えなくなって行くらしく、同級生達も徐々に見えない者が増えて行った。だから話の中心はアニメや漫画、ゲームに移り変わり、いつの間にかオアシラは話題にもならなくなった。

 だが。私には、見えていたのだ。五年生になっても、六年生になっても。見えるのはどうやら私だけだと気付いてからは、私は見えないフリをした。

 結局、卒業まで見え続けた。オアシラがいる道を歩く時は、常に下を向いて歩いていた。常にオアシラは雑木林の前に居続けたし、私は気にしないフリをし続けていた。そんな中、ある事件が起きた。

 六年生のあるジメジメした雨の日。その日はたまたま遅くに家を出ていて、他の生徒は誰も歩いていなかった。慌てて学校に向かうその道中で、オアシラが立ち塞がっていたのだ。

 傘の下からオアシラの足が見えた時は、思わず悲鳴を上げそうになった。だが、反応したら駄目だと思ったので、忘れ物を取りに帰るフリをして道を変えた。

 遠回りをしたので、遅刻したものと思っていた。だが学校に着くと、先生に驚かれたのだ。なんでも、何時もの道で土砂崩れが起きてしまったらしい。しかし家にも居なかったから、捜索に行くつもりだったようだ。

 この一件で、私はオアシラを悪いものでは無いのかもしれないと思うようになった。土砂崩れから私を守ってくれた様な気がして。


 あの日までは。




「卒業したら掛川離れちまうんだからさ、今のうちに思い出残そうぜ」

 高校卒業間近の三月。大学に進学する友人達の間で、自然とそう言う話が持ち上がった。卒業式までの休みに、各位の思い出の場所へ自転車で駆け回る。そんな楽しい日々の最中、たまたまその道を通る事になったのだ。

「そう言えばさぁ。昔、オアシラとか言う変な奴が立ってたよな。この辺り」

 私と小学校から同じだった友人がポロッとそう言ったから、行こうと言う話になってしまったのだ。私は嫌だった。まだ見えるかも知れないと思ったから。しかし言い出し辛く、もし「まだ見えてるかもしれない」等と言った日には、一体どんな目に合うか。だから黙って着いていったのだ。

 わざわざ近場で時間を潰し、雰囲気を出す為に夕方まで待たされた。夕焼けと宵闇が半々くらいになった頃、やっとあの道へ向かう事に。

「でもさぁ、何なん?オアシラって」

 私達のメンバーで唯一、掛川の外から来た山崎がそう言った。

「うーん……マジで分からん」

「話聞いてるだけやと、単にヤバい奴だっただけなんと違う?」

「いや、絶対人間じゃなかった。見えなかった人とか居るし」

 そんな会話をしながら、オアシラが居た辺りまでやってきた。果たして奴は、そこに居た。新しく作られた電灯の下に、待っていた様にポツンと。それを見た私は、総毛立つのを感じた。まだ私は見えるのかと。

「……なんも居ないじゃん」

「せやな、ちょっち期待してた」

 そんな事を口々に言う友人達。私には見えているが、矢張り他の人には見えないのか。と、山崎がとんでもない事を言い出した。

「せや!この雑木林の先に行ってみぃひん?」

「いやいやいやいや、危ないってマジで」

 私は全力で止めた。

「この山は数年前に土砂崩れが起きたし、そうでなくても夜も近いんだし――」

「大丈夫大丈夫。最近は雨降ってへんし、それに真っ暗になる前に降りてくればええやろ?なぁ」

 そう言うなり、山崎はスマホのライトを片手にヒョイヒョイ先に行ってしまう。こうなると高校生は阿呆な生き物で、それを追いかける様に一人、また一人と先へ行ってしまう。

 結局、私は一人だけ道に残されてしまった。正確には、オアシラと二人きりである。少しばかり怖いが、コイツが何かをして来ないのは知っている。

 暫く、木々の間から時たま漏れるライトの光を眺めていた。結局、コイツが何か分からないまま、私は卒業するのだろう。そう思っていたその時。

 不意に、オアシラの頭がゆっくり動いた。長らく見てきたが、コイツが動くのを初めて見た。オアシラは頭を山の方へ向け、再び止まる。しかし、ゆっくりと顔があると思われる方が段々と下を向いて行く。

「いやぁ、なんもあらへんかったわ」

「思い出にはなったからいいよ」

 山崎達が降りてきた。木の葉や枝が引っ掛かっていたが、何もなかったらしい。少しホッとした。だが、私は一つ気付いた。オアシラの顔は、明らかに山崎を追っていたのだ。

「な、なぁ山崎。何かあったか?」

 恐る恐る、私は聞いた。しかし山崎は苦笑して、顔を横に振る。

「なぁんも何も。期待してこんだけ泥だらけになったけど、損やったわ」

 そう言って笑う山崎。しかし私には見えていた。その山崎を見つめるように、ずっと顔を向けたままのオアシラが。


 そして、次の日。山崎は行方不明になった。分かっているのは、朝早くに自転車に乗って何処かへ向かった形跡がある事だけである。




「んで、先輩は行方不明の友人を探したくて、こんな場所に連れてきたって訳ですか」

 私がここまで連れてきた理由を説明すると、平林は欠伸をしてそう返してきた。眠そうな顔をしていて腹が立つ。ずっと運転してきた私の気持ちを考えて欲しい。

「それだけじゃない。後で調べたら、その辺りは行方不明者が年間一人か二人は出てる場所なんだよ。だから、何かあるかも知れないとおもったんだ」

 実際、調べれば調べる程興味が湧く場所であった。行方不明者が出ても、何故か警察は捜索しない。更に近隣の住民もあまり通りたがらず、学校の先生方も交通安全の配置員を置かないのだ。

「そろそろ着くから、準備して」

「はいはい」

 見慣れた道に入り、進む。蝉時雨が一層強くなり、フロントガラスに木の葉の影が落ちる。そして、見えてきた。あの時見た、電灯が。

「……居ました?オアシラ」

「いや……見えない」

 ホッとした。見えなくなったのだ。車を電灯の辺りに停め、降りる。一気に突き刺す様な日差しと熱風に襲われ、汗が滝の様に吹き出した。

「あっついですねぇ~」

 平林はそう言いながら、カメラを首から下げる。そしてパシャパシャと何枚か撮影し、雑木林の方を見た。

「行きます?」

「……だな」

 私が頷くと、平林は先陣をきって雑木林を先へ進んで行く。蝉時雨が強くなり、湿度の籠った暑さが身体を包む。先程までは辛うじて風が汗を乾かしてくれたが、今はそれすら無い。

 何だかんだ言いながら、五分程で山頂……と言うか、一番高い所へ着いた。下を見れば、車がそれなりに小さく見える。

「登ったなぁ」

「割りと登りましたね」

 二人して肩で息をする。我々デスクワーク勢の運動不足は深刻だ。と、辺りを見渡すと、不思議なものを見付けた。少し大きめの木の下に、石が積んであったのだ。

「……これ……」

 近付き、調べた。丸い石が幾つか規則正しく積まれていて、小さな塔の様になっている。かなり古いものらしく、一番下のものは苔むしていた。そして更に。何かが地面から生える様に立っている。それは自転車のハンドルの様な――

「……なぁ、これって」

 そう平林に声を掛けようとした、その時。違和感に気付いた。さっきまでアレ程五月蝿かった蝉の声が、全く聞こえなくなっていたのだ。同時に、茹だるような暑さも全く感じない。これはおかしい。

 と、背後から足音の様な物がした。一瞬、平林が近付いてきたと思った。だから、振り向いた。振り向いてしまった。

「――ひっ!!」

 背後に立っていたのは、オアシラだった。長く垂れ下がった髪から、鋭く充血した目が此方を見ている。あまりの恐怖に、私は腰を抜かしてしまった。

 オアシラは、ゆっくりと私へ向かって手を伸ばす。細く枯れ木の様なその手は、何故か土で汚れていた。私は腰を抜かしつつ、何かを投げ付けようと後ろ手で掴む。と、背後から軽い音がして、手に何か冷たいものが。

 見ると、さっきまで積まれていた石塔が崩れていて――


「先輩ッ!!」




 数日後、私は呆れ顔の平林に迎えられて退院した。

「取材中に熱中症で倒れるなんて……自己管理出来ない人を先輩なんて思いたくないですよ」

「……ごめん」

 私はあの時熱中症で倒れて、病院へ搬送された。そう言う事になっているらしい。或いは、あのオアシラを見たのが熱中症が見せた幻覚だったかもしれない。

 だが、確かな事もある。

「でもほら。あんな物を見付けたんだから、偶然とは言えラッキーだったし良いじゃん」

「まぁそうですけど……」

 私が倒れた際、とあるものを掴んでいた。それは自転車のハンドルに着いているゴムのグリップであり、それを元に警察がその場所を掘り返した所……かなりの数の人骨と、山崎の自転車が見つかったのだ。

 原因は不明だが、兎に角あの場所に行方不明者が埋まっていた。それだけで編集長は大喜び。記事の一面を丸々割いてくれるらしい。ウチが三流トンデモオカルト雑誌と呼ばれる所以である。

「まだ犯人は分かんないんだっけ」

「……多分、見付かんないんじゃ無いですかね、あれは」

 見付かった人骨は、多過ぎる上に時代がバラバラで、一番古いのは江戸時代に遡る可能性があるらしい。なんともびっくりな話だが、私は理解出来た。

 オアシラはオハシラ、つまり人柱にされた人だったのだろう。昔はそれを知っている人も居たが、時が経つに連れて忘れ去られた。だから、覚えて貰う為に姿を表したのだと思う。

 そして、何の人柱かと言えば。あの山が崩れない様にするためだったのだ。だから小学生の私が逃げた時、土砂崩れが起きた。そう言う事なのだろう。

 だが、もうその心配は無い。何故なら、この事件の発覚で山が掘り返されているからだ。多分山が治される事は無いだろうし、土砂崩れを起こす心配は無い。もう、安心して寝れる筈だ。

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