第27話 暗殺者は語る。淡々と、恍惚と。(ヘレミアside)

 ——お前は人間ではない。ただ国のために働く人形、私達はそういう存在だ。


 物心付いた時、私がお父様——ミストリス家当主に言われた言葉。

 その言葉を体現したかのように、当主は感情を決して見せない……いっそ感情がないのではないかと思うほどの人だった。

 

 喜ぶことも。

 怒ることも。

 哀しむことも。

 楽しむことも。

 その他全て、人が感じるモノ全てにおいても。

 

 当主はいつ何時でも見せることはなかったし、あるようにすら見えなかった。

 多分、ミストリス家の全員……お母様でさえそう思っていただろう。


 私は、そんな当主が凄いと思った。

 子供ながらにそう思ったのを覚えている。


 だから私はそんな当主を目指して——心を殺し続けた。人形を演じ続けた。


 幸か不幸か……私には感情を隠す才能があった。もちろん元々感情の起伏が小さいというのもある、と思う。


 結果として——誰もが私を恐怖の眼差しで見つめ、口を揃えて人間ではないと言った。ただそれでも良かった。

 私には当主が、お父様がいる。お父様だけは……私と同じように過ごすお父様だけは私を分かってくれている。



 ——そう、思っていた。



 でも——違った。違ったのだ。


 それは、私が初めて任務を請け負った七歳の時のこと。

 ミストリス家の掟として『子息又は子女が初任務をする際は必ず当主又はそれに準ずる者が同行する』というものがあるのだが——私は当主と共に依頼を遂行した。


 だが——その時当主、お父様が言ったのだ。




『——…………お、お前は……やはり、人間では、ない……ッ!!』




 最初に言われた時とは違う。

 その声色には、その瞳には——明らかな恐怖が宿っていた。


 その時私は悟った。





 ——お父様も、最初から私を人間だと思っていなかったんだ、と。





 人間なのに、人間じゃない——その違和感を普通の人間は許容できない。

 それは仕方のないことだ。でも、向けられる側が傷付かないわけじゃない。


 ただ私は、お父様だけは分かってくれていると思っていたから我慢できた。

 どんなに恐れられようと、どれだけ冷たい言葉を浴びせられて忌諱されようと——お父様がいたから我慢できていたのだ。


 なら——お父様の本当の気持ちを分かってしまった私が行き着く先など、一つしかない。





 その時、その瞬間——私の中で、何かが壊れ、何かが失われた。


 


 音などない。感触もない。

 でも明確に感じた。自覚してしまった。


 それからというもの、私は今までと一転して——人間だと言ってもらえるように振る舞った。

 

 壊れたモノを修復するように。

 失ったモノを取り戻すように。


 相変わらず感情の起伏こそ小さかったが、今までとは違って確実に感情を表に出していた。必死に自分は人間だと行動で訴えた。


 誰かに気付いて欲しかった。

 誰かに理解して欲しかった。

 誰かに寄り添って欲しかった。



 でも——駄目だった。結局私は人形のままだった。



 寧ろ逆効果ですらあった。

 突然感情を表に出し始めたせいで余計不気味がられ、忌諱されたのだ。

 その結果ただでさえ広まっていた噂が混ざり、脚色され、気付けば——ミストリス家を含めた貴族中……果てには学園中にまで浸透してしまっていた。


 当然、誰もが私を避けた。

 当然、誰もが私を恐れた。



 誰もが——私を人間として見なかった。



 だから、もう分からなくなった。


 私の何がいけない? 

 私のどこが他と違う? 


 ただそんな疑問も直ぐに消え……次第に思うようになった。


 私という存在がいけないのだ。

 私という存在が他と違うのだ。




 私が私である限り——今後の生涯に渡って人には戻れないのだ、と。

 


 

 その時私は何を感じたのか……それは私にも分からない。 

 もう私には自分のことすら分からなくなっていた。

 



 ——そんな時だった。

 



 当主より、一つの任務を与えられた。

 普段はあまり請け負うことのない任務。


 それは——ハイモンド・ルクサスの監視。


 ただ依頼主はもちろん、彼を監視する理由も分からなかった。当主も教えてくれなかった。

 しかし私を指名して依頼してきている。よってミストリス家の者として受けないわけにはいかない。そもそもこの時の私に断るほどの気力もなかった。


 こうして私は、彼を監視するために——剣術部に入部した。自然に近付くにはこれが最善手だったから。


 剣術部は、その名の通り剣術を磨く部活。基礎的な物は上級生や顧問に教えてもらえるが、それからは黙々と自分の剣の腕を磨き、手合わせをして課題を見つけ、再び黙々と改善する……そんな部活。


 私は入部から一ヶ月余りで部の殆どの人間との手合わせで勝利した。

 当然だ。私は十年近くで何十、何百と人を殺している。中には標的の護衛を請け負った剣の達人もいた。

 彼らに比べれば、所詮子供の遊び。隙を見つけることも揺さぶることも簡単。



 ——ハイモンド・ルクサス以外は。

 

 

 彼だけは私に食い下がり、やがて私を打ち負かすまでになった。

 今では真正面から戦えば五回に一回くらいしか勝てない。情けない。


 ただ、彼は私と極力関わらなかった。それは彼が部長に、私が副部長になっても変わらなかった。

 他の部員にはある程度関わり、口こそ悪く貶すようだったが……まともなアドバイスをしていたにも拘わらず、だ。


 私はその理由が知りたかった。

 そして聞いてしまった。聞いてはいけないと心の何処かで思っていながら。


 ——なぜ私を避けるのか、と。

 

 私のその問いに返ってきた言葉は——

 



『——阿呆か? 人形に話し掛けるのはガキだけだ。俺におままごとをしている暇はない』




 酷く冷たく、まるで常識だと言わんばかりの声色を孕んでいた。

 他の者達と同じく——彼は私を人形として見ていた。人間とは思っていなかった。

 

 とはいえ、今更何ということはない。

 ルクサス家の次期当主ともなれば、私のことは知っているに決まっているのだから。


 私はただ任務に集中すればいい。

 大丈夫、何も問題ない。寧ろ相手にされない分、より細部まで観察出来る利点まである。



 そうして騙し騙しに彼を観察し続けて数ヶ月——遂に運命の日がやって来る。

 


 その日、私は初めて彼に呼び出された。といっても人伝いである。


 私は当然疑った。疑わないわけない。

 相手はあのハイモンド・ルクサス。私を人形と呼び、一切と言っていいほど関わろうとしなかった相手だ。疑わない方がおかしい。


 なんて訝しげに感じながら部長室をノックした。

 相変わらず返事はない。いつものことだ。


 肩すかしを食らったような気持ちになった私だったが、依然として警戒しながらも口を開いた。

 

『……部長、ヘレミア、です』


 当然返事はないと思った。だからいつも通り扉を開けようとドアノブに手を——

 



『——入れ』

 

 

 

 ビクッと身体が震えた。ドアノブを握ろうとしていた手も直前で硬直していた。

  

 ……返事をした? あの部長が? なんで? どうして? ただの気まぐれ? ——あり得ない。


 私の知るハイモンド・ルクサスは決して私と話さない。私に対してだけは気まぐれなど存在しない。

 間違いなく、この部で誰よりも忌諱していたはずだ。私を嫌悪していたはずだ。


 分からない……分からない分からない分からない……っ!!

 でも——気になる。気になって気になって気になって仕方ない。


 私は内に渦巻く困惑と久しく感じていなかった好奇心という感情と共に、恐る恐る扉を開き——



 

 ——驚愕に目を見張った。




 ……ち、違う……ッ。あ、あり得ない……あ、あれは、違う……違う違う違う——何もかも違うッ!! 誰!? 彼は……アレはナニ——ッ!?

 

 間違いなく今までの人生の中で最も混乱した瞬間だった。

 

 目の前の青年は、確かにハイモンド・ルクサスの姿をしている。——見た目は。

 でもその他……雰囲気が、目が、機敏が——



 ——見た目以外の全てが、私の知るハイモンド・ルクサスではなかった。

 

 

 何が起こった? 彼の身に何があった……ッ? まるで……——



 私は人生で初めて——恐怖を感じた。


 

 それと同時——私は無意識の内に動いていた。

 駆け出しざまに隠し持っていたナイフを取り出し、彼の頸動脈に添える。

 私が少しでも腕を動かせばいつでも殺せる——そんな体勢を取った。


『——ん、死にますか?』


 私は本気で言った。殺意を篭め、私の動きに対して彼がどんな行動に取るのかを注視しながら。

 そんな私を前に。喉元に自らの命を奪う凶器が、殺意があるというのに——。



『——物騒だなおい』



 彼はそう言った。


 まるで、悪戯が好きな子供を諭すように。

 まるで、気を許した者の行いに『またか』と肩を竦めるように。




 まるで——




 ——あ、あり得ない……そんな、あり得ない……。


 私は半ば呆然としたまま問い掛けた。


『……部長?』

『それ以外に何に見える? もし別人に見えるなら一度眼科に行った方がいい』


 返ってきたのは、普段通りに見えて、普段通りではない声色で紡がれた言葉。

 そこに篭められた色は分からない。私には縁遠いもの過ぎて。


 ただ、これだけは言える。




 彼の言葉には——数多の人間から向けられてきた声色は何一つとして存在していなかった。



 

 ——その瞬間だ。


 彼が。ハイモンド・ルクサスに宿る誰かが。

 私を人形ではなく——見てくれていると理解した瞬間。







 …………………………ぁぁ……っ。







 私は実にあっけなく——堕ちてしまった。

 

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