第5話 鼓動

イギリス・ロシア連合艦隊を壊滅させたアウグスト・ヒトラー率いるノクティス艦隊は、ドイツ北西部ニーダーザクセン州に位置する天然の良港、ヴィルヘルムスハーフェンへと停泊した。灰色の曇天の下、重厚な鉄の艦隊が静かに港へ滑り込むと、港湾施設には緊張と畏怖が走った。沿岸の防衛部隊は抵抗を諦め降伏。巨大戦艦「ビスマルク・シュヴァルツヘルツ」の甲板が港の喧騒を覆い隠した。


そのとき、ひとりの兵士がアウグストの姿を目にし、後にこう証言している。


「彼が戦艦から下船した瞬間、私は悟ったんだ。『かつてのドイツ市民がアドルフ・ヒトラーに全てを託した理由が、今なら分かる』」と。


首都ベルリン奪還から数日後。灰色の空にそびえる総統官邸の大理石の間では、ノクティスの中枢人物たちが集結していた。アウグストは壇上に立ち、歴史的な瞬間を演出するかのように重々しく口を開く。


「ゲーリング、ヒムラー、ゲッベルス、ヘス、ボルマン、レーム……彼らは祖国に尽くした偉大な者たちだった。しかし、その中でも、我が祖先アドルフ・ヒトラーに最も忠実だった者がいる。それが“カムラー”だ」


壇上の前に進み出たのは、漆黒の軍服を着た男、ハンス・カムラー。彼の顔立ちは40代の壮年のそれでありながら、不自然なまでに若々しく、目には冷徹な光が宿っていた。彼は第二次世界大戦当時、親衛隊(SS)大将として知られ、秘密兵器の開発や収容所政策に深く関与した悪名高き人物だ。しかし、今ここに生きているはずがない存在。その姿は、歴史の矛盾そのものだった。


アウグストは彼に勲章を授けた。それはハーケンクロイツと、ノクティスの象徴「黒い心臓」を組み合わせた紋章。


「光栄の至りです、総統!」とカムラーは厳かに応じた。


彼の若々しさの秘密は、ナチス時代に密かに開発された未知の兵器と深く関わっていた——


一方その頃、ノクティスによる無差別核攻撃の報が世界中を駆け巡っていた。各国の首脳陣は、時間を惜しむように緊急リモート会議を開催。映し出された各国の首脳の顔には、焦燥と絶望が色濃く浮かんでいる。


「アドルフ・ヒトラーの血族を名乗るアウグストとかいう狂人はともかく……奴らは一体どうやってあれほどの軍勢と兵器を用意したんだ!?」


「今は原因を探っている場合ではない!どう対処するかを決めるべきだ!」


「核攻撃を北極に行うべきだという意見もあるが……」


「そんなことをすれば海面が上昇し、いくつもの国が水没する!数千万の死者が出るぞ!」


「もう犠牲は出ている!それでも放っておく気か!?」


会議は怒号と混乱に包まれていた。画面の向こうでは、負傷した首相、代行を務める臨時大臣、そして沈黙したまま映像が途絶えた国々——まるで世界秩序そのものが崩壊の淵に立たされているかのようだった。


その中で、日本内閣総理大臣・井上誠一が静かに口を開いた。


「我が国は、合衆国の助言を受け、二度目の核の被害を回避することができました。そこで、この未曽有の危機に際し、私から提案があります。この緊急事態に限り、憲法第九条を一時的に無効化し、自衛隊を正式な軍へと改組することを決定したい。そして、我が国の艦隊を主力とした連合艦隊を編成し、共に脅威に立ち向かうことを提案いたします」


一瞬の静寂——そして各国は、この異例の決断を支持する。日本は再び、軍事力を世界に示すこととなった。


広島県・呉海軍基地。


ここでは、かつての帝国海軍の伝統を受け継ぐ形で、自衛隊が正式に「海軍」へと再編された。ドックには最新鋭の護衛艦や潜水艦、航空機が整備され、戦時下特有の緊張感が張り詰めている。


その中で、ひとりの男が基地内を歩いていた。海軍大尉・神谷迅。鋭い眼光と浅黒い肌、戦場で鍛えられた体躯を持つ男だ。核ミサイルを阻止した功績により昇進した彼は、新たな任務を帯びてこの基地に着任した。


「……ここが日本の最前線か」


迅は遠くに広がる瀬戸内海を見つめる。彼の胸には、国家を守るという使命感と、再び日本が戦争に巻き込まれる現実への複雑な感情が交錯していた。


再び世界を揺るがす戦いの幕が、いま静かに上がろうとしていた。

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