とあるクローゼットの恋の話

桃田ロウ

第一章 ただ密やかに、でも、ずっと想ってた。

第1話 私はおしゃれしたいから勉強してるんだよ



 加瀬かせ美月みつきがついに首位から陥落した日、私の名前が初めて、廊下に貼り出された順位表の一番上に輝いた。


 浅海あさみ奈々なな

 

 飽きるほど見てきた、私の名前。


 中間テストの上位層の顔ぶれを見に集まった人だかりの中で、私はただ真っ直ぐに自分の名前を見つめる。

 

 絶対不動の王者であった加瀬美月の名前のひとつ上にあるというだけで、まるで偉人の名前のように私の名前が輝いて見える。


「奈々、すごいじゃん! 学年一位! あの加瀬さんに勝つなんて、やばーい!」


 真希が私の肩を摑んで、興奮したように揺らす。

 私はなんでもない顔を作って、「まーね」なんて高飛車に答えて見せた。


 キョロキョロと廊下を見渡す。

 肝心の加瀬美月は、貼り出されたばかりの順位表を見にきておらず、まだ私に敗北した事実を知らないようだ。


 入学以来、学年トップはいつだって加瀬美月が独占していた。今まで、一度だって彼女は順位を落としたことがなかった。


 入学式の「新入生代表の挨拶」も、主席入学の加瀬美月がやった。

 だから、私たちの学年で、彼女の名前を知らない人はいない。


 彼女は、私が一年の頃からずっと憧れてやまなかった存在だった。


「奈々ってさぁ、全然頭良くなさそうに見えるのに勉強できるよね。びっくりしちゃった。髪染めてるし、ピアスもしてるし、バカにしか見えないのに」


 私の耳たぶを引っ張る手を振り払って、真希を睨む。

 バカっぽさで言うなら真希も負けてない。スカートなんて私より短いし、メイクだって濃いし。

 私は、割と控えめな茶髪で留めているけれど、金色のインナーカラーまで入れてるのは学年でも真希ぐらいだよ。


「失礼なこと言わないで。私はおしゃれしたいから勉強してるんだよ。やることさえやってれば、多少ハメ外しても文句言われないし」


「そーいうもん?」


「そーいうもんだよ。真希は勉強しないから、阪田に目付けられて呼び出されるんだよ」


「私はこの高校入るために一生分勉強したんだもん。もう勉強したくなーい」


 阪田は生徒指導のこわーいおじさん先生だ。いつも目がぎょろぎょろしてて、デメキンみたいな顔してる。

 私は一度も呼び出されたことはないが、真希はド派手な見た目のせいで何回も阪田のお世話になっていた。


 私たちが通うこの高校は県内では比較的レベルが高い女子校だけど、そこそこ自由な校風で、校則はあるけど、あまり締め付けは強くない。


 でも、先月、真希が突然金髪にしてきたときは、さすがに生徒指導室に呼び出されて怒られていた。


 私は、真希に似合ってるし結構かわいいなと思ったんだけど、ある程度の校則違反は目を瞑ってくれるこの学校でもさすがに看過できないらしかった。


 真希も長時間のお説教に懲りたのか、今はオール金髪は諦めて、インナーカラーだけに留めている。もう三年生なのに、よくやるよ。


「阪田も暇だよねぇ。私は何言われても改めるつもりなんてありませーん。一度きりの高校生活、全力で楽しまなきゃ損じゃん」


「阪田は暇なんじゃなくて、それが仕事なんだよ」


 そんなことより、加瀬美月はどこだ?


 入学以来、ずっと守り続けてきた学年トップの座を明け渡し、三年目にして初めて土をつけられたことに対してどんな反応をするんだろう。


 阪田のことなんてどうでもいい。私にとってはそれがいちばんの関心ごとだった。

 

 教室に戻ると、窓際の席に座る加瀬美月は頬杖をついて目を瞑り、静かに寝入っていた。

 窓から吹き込む風が、彼女の長い黒髪を優しく揺らしている。


 うーん、無関心って感じ。

 結構頑張ったのに……テストの順位で競ったところで、加瀬美月の興味は引けないらしい。なんだかガックリきた。


 ちらりと横目で見つめた後、彼女から少し離れた自分の席の椅子を引くと、私が彼女を見つめていたことに気付いたらしい真希が、目を細めて私の近くに顔を寄せた。


「……そーだ。ねえ奈々。加瀬さんの噂聞いた? やっぱり本当なのかな。どう思う?」


 真希が私の耳元に唇を寄せて、私にしか聞こえないような小声で話すから、すぐにそれがいい噂ではないと気付いた。


 ああいうクラスに馴染まないはぐれメタルは、噂の格好の標的になりやすい。

 女子しかいないこの学校は、色恋の噂が立つわけでもなく、あまりに平和で暇すぎて、刺激的な話題にいつだって飢えている。


「噂ってなに?」


「加瀬さんさ、子供がいるんだって。赤ちゃん抱っこして歩いてる姿見たって、今すごく噂になってんだよ」


「コドモ? いやいや……別人じゃない? 第一、妊娠してたらすぐわかるよ。すっごいお腹出るんだから。皆勤賞の生徒がいつ出産すんの? 妊娠してたら学校なんて来れないよ、絶対隠しきれないって」


 少しもリアリティのない話にがくりと肩の力が抜ける。

 噂の出所なんて一ミリも興味ないけれど、どうせ流すならもっとみんなが信じやすそうな作り話はできないのだろうか。

 

 たとえば、センセーと付き合ってるとか、真面目そうな顔して隠れてこそこそパパ活してるとか?


 子供がいるなんて突拍子もない噂、どこから湧いて出たのだろう。


 この学校は馬鹿しかいないの? こんな根も葉もない噂を、いったい誰が信じるって言うんだろう。


「……えー、じゃあ、やっぱり噂は嘘だったのか」


 真希がつまらそうに唇を尖らせて言った。


 まあ、加瀬美月について何かネタが欲しくなる気持ちはわかるけどね。

 

 目を惹く美人。

 誰ともつるまない孤高の少女。

 センセーショナルな話題があれば、たちまち盛り上がりそうだもん。


 加瀬美月は、教室で浮いている。

 

 ボールペンで描いた落書きの背景に、油絵のヴィーナスが描かれているみたいに、この教室には存在そのものが全然似合わない。


 特定の仲の良い友達はいないけど虐められたりしているわけではなく、圧倒的な存在感があって目を惹く。


 一匹狼って感じでもない。話せば普通。でも、誰にも心は開かない。


 首位から叩き落とせば、私のことに少しは興味を持ってくれるのではないかと思った。

 でも、思惑ははずれ、加瀬美月は自分の順位のことなど全く気にしていないようだ。

 順位表を見にいくでもなく、悠長に机で船を漕いでいる。


 最近はいつもこうだ。授業の合間はずーっと寝てる。

 寝不足になるほど勉強しているのではと思っていたけれど、テストの結果を見る限りそうじゃないみたい。

 だって、今回の中間テストの加瀬美月は、本当にらしくなかった。


 なぜなら今回の私の勝因は――私の点数が上がったのではなく彼女の点数が落ちたからだった。


 私は彼女がいちいち気になる。

 気になって気になってしょーがない。


 その何を考えてるんだかわからない黒い瞳を、むりやりにでもこちらに向けたくなる。


 私を見ろ。


 そんな教室の端っこで、まるで現実をシャットアウトするみたいにグースカ寝てないでさ。


 そんなふうに言えたらいいけど、私は今日もあの子に声をかけられないままでいる。


 



 ***





 

 放課後はカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったり、私には遊ぶ時間がたっぷりある。

 

 温かい両親に大切に、宝物として育てられた私には、この世界に不平不満など一つもない。


 遊ぶ時は遊んで、やる時はやって真面目に勉強して、東京のそこそこいい大学に行って、たっぷり四年間青春を謳歌したあと、福利厚生が手厚く給料もそれなりに貰える大企業にしれっと就職する。


 それが私の将来の夢。


 じゃあ、あの子の夢ってなんなんだろう?


 加瀬美月と同じクラスになってから、私は彼女が喋ったところをほとんど見たことがない。


 誰かと放課後に遊んだなんて話も、一度だって聞いたことがなかった。


 授業が終われば、荷物をまとめて駆け足で教室を出ていく。

 学校には授業のためだけに来ているみたいで、その他のことなんて、まるで興味もなさそうだ。


 誰とも関わりを持とうとしないから、コドモがいるとか、あらぬ噂を立てられるんだよ。


 せっかくの高校生活、勉強だけに生きるなんてもったいないと私は思うんだけど、あの子はそうは思わないんだろうか。


 チャイムがなって、パチリと彼女が重たい瞼をひらいた。

 

 やっぱり、最近の加瀬美月は、いつも眠そうで――死ぬほど疲れ果てているように見える。


 肌は青白く血の気がなくて、なんだか今にも倒れそうだった。



 




 

 

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