第4話:見慣れない生活、予想外の優しさ
朝日が、砦の窓から差し込んでくる。昨夜、レオンハルトに肩を貸してもらい、硬いベッドで眠った私は、その光で目を覚ました。身体中の節々が痛み、昨日の出来事が夢ではなかったことを証明している。私は、身につけていたドレスが、しわくちゃになっているのを見て、ため息をついた。社交界では考えられない、みすぼらしい姿。だが、この姿が、今の私の現実なのだ。
部屋を出ると、辺境の澄んだ空気が、私の肌を優しく撫でた。土と、どこか木の香りが混ざり合った匂い。社交界の甘ったるい香水の匂いとは全く違う、生の匂いだった。その匂いを胸いっぱいに吸い込むと、私の心は少しだけ軽くなるようだった。
砦の中は、兵士たちの活気で満ちていた。彼らは、レオンハルトの威圧的な雰囲気に慣れているのか、彼に会うと、皆、敬意を払いながらも、どこか親しげに話しかけていた。私は、そんな彼らの姿を見て、少し戸惑った。社交界の男たちは、皆、虚飾に満ちた言葉を使い、見せかけの態度ばかりだった。しかし、この砦の男たちは、皆、真剣な目をして、互いを信頼しているように見えた。
(この人たちは、ユージンや父様、母様とは違う……。この人たちは、ちゃんと、私を見てくれるかもしれない)
そんな淡い希望を抱きながら、私は砦の中を歩いた。食堂から、温かいスープの匂いが漂ってくる。私は、昨夜、レオンハルトにもらった干し肉と水しか口にしていなかったので、その匂いに、思わず喉を鳴らした。
食堂に入ると、レオンハルトが、大きなテーブルに座って食事をしていた。彼の前には、簡素なパンと、野菜スープが置かれている。彼は、私が食堂に入ってきたことに気づくと、何も言わずに、隣の席を指差した。私は、彼の隣に座ると、兵士の一人が、温かいスープとパンを私の前に置いてくれた。
「…ありがとう」
私がそう言うと、兵士は、照れたように頭をかいて、行ってしまった。私は、目の前のスープを、ゆっくりと口に運んだ。それは、王都の貴族の食堂で出てくるような、豪華なスープではない。だが、一口飲むと、身体の芯から温かさが広がり、心がじんわりと満たされていくようだった。
(美味しい……)
私は、そのスープの味に、驚いていた。社交界では、いつも豪華な食事をしていた。だが、その味は、私にとって、ただの儀式的なものだった。私は、食事の味を、心から美味しいと感じたことが、あっただろうか。そう考えると、私は、社交界で、何も感じていなかったのだと気づいた。
レオンハルトは、私がスープを飲む様子を、じっと見つめていた。彼の視線に、私は少しだけ緊張した。だが、彼は、何も言わない。ただ、静かに、私を見つめているだけだった。
「…あの……」
私が何かを言おうとすると、彼は、何も言わずに、自分のスープ皿を、私の手の届くところにずらした。彼のスープ皿には、まだスープが残っていた。彼は、それを私に分けてくれたのだ。
(どうして……? この人、こんなに不器用なのに、どうしてこんなに優しいの……?)
私の思考は、再び暴走を始めた。レオンハルトの行動の理由がわからず、私は戸惑う。彼は、私をただの「追放された令嬢」としてではなく、一人の人間として、扱ってくれている。その事実が、私の心をじんわりと温かくしてくれる。
食堂での食事が終わると、私は、レオンハルトの案内で、砦の周りを見て回った。砦は、大きな壁に囲まれていて、その壁の上には、見張りの兵士が立っていた。壁の外には、荒れた土地が広がっている。しかし、その荒れた土地の中にも、兵士たちが開墾した小さな畑があった。
「ここは、辺境の最前線だ。魔物や盗賊から、人々を守るために、俺たちがいる」
レオンハルトの声は、低く、そして力強かった。彼の言葉には、この辺境を守るという、強い使命感が込められているようだった。私は、その言葉に、彼の人間としての強さを感じた。
(この人は、ただの将軍じゃない……。この人は、本当に、この辺境を愛しているんだ)
私は、彼の言葉に、心を揺さぶられた。社交界の男たちは、皆、自分の名声や利益のために生きていた。だが、レオンハルトは、自分の命をかけて、この辺境の人々を守っている。彼のその姿は、私には、とても眩しく見えた。
私は、レオンハルトに、私の特技について話した。刺繍や、薬草の知識のこと。社交界では、誰も興味を示さなかったこと。しかし、彼は、私の話に、じっと耳を傾けてくれた。
「…それは、この辺境では、貴重な知識だ」
彼はそう言って、私の特技を、初めて肯定してくれた。彼の言葉は、私にとって、何よりも嬉しい言葉だった。私は、自分の価値を、初めて認めてもらえた気がした。
その夜、私は、レオンハルトにもらった毛布にくるまり、ベッドに横になった。昼間、彼がこっそり毛布を足してくれていたことを思い出す。彼の無言の優しさが、私の心を温かく満たしてくれた。
(この場所でなら、私、もう一度、やり直せるかもしれない……)
私は、この辺境で、私自身の居場所を見つけられるかもしれない。そんな淡い希望を抱きながら、私は、深く、静かな眠りについた。
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