存在しないもう一人の私

北野美奈子

私の本当の顔の正体

 私は長い間妹の言動から妹は私のを知っているという、妙な幻想を植え付けられて来た。彼女は私の最も醜く、卑しく、卑劣な部分を見知っているのだと暗に仄めかすので、私は単純にそうなのだと長いこと信じて来た。愚かだったと思うが、私には何故か妹の言葉を鵜呑みにする傾向があった。


 私の本当の顔は多分醜く、嫌悪すべき物だから意識の奥の方へと押しやらずにはいられない。だから人当たりよく、親切で平らな人だと周囲に褒められても、本当の自分の存在がどこかで私に暗い影を落とした。大真面目にこんなことを何十年も引きずっていた。今となっては自分で自分に呆れる。


 妹と私は小さい頃から何かと比べられる事が多かった。どちらかと言うとおっとりして、事なかれ主義の私は大人から好かれ、気難しく気が強い妹は疎まれがちだった。妹に言わせると、私はズボラでいい加減なのだそうだ。確かにものは言い様で、私はそういう事を間に受けては自分はダメなのだと思い込んだ。


 大きくなるにつれて事態が好転した。私は他人というものが嫌いではないし、他人も私を特に嫌ってはいないようだと感じる事が多かった。対人関係が順調なのは、妹が鍛えてくれたおかげだと近年本気で考える。逆に妹の方は相変わらず鹿に囲まれて疲れる人生を送り続けている。




 この妹の漠然とした不機嫌を長いこと言語化出来ずにいたが、最近になってやっと少し分かってきた。例えば彼女は恥を感じる事が多い。自分の夫や私の行動に事細かにケチをつけるのも他所様に対して恥ずかしいかららしい。私が子どもたちを連れて帰国した時も妹は子どもたちを度々叱った。日本では少しルールが違うし、子どものする事だと周囲は気にも留めないと思われる事でも妹は神経を擦り減らした。


 実のところ身内がどう思うかの方が私には大切で、妹が何をそんなに恥じる事があるのか全く理解出来ない。この人は自分に自信がないのだろうか、と初めて気づいた。


 恥というのは厄介だ。恥じるという行為あるいは感情は、他人の感情や反応に対して漠然と抱く恐怖心なので、これが本当に恥ずべきことなのか本当のところ曖昧極まりない。私は妹がなぜ恥じるのか分かってあげられない。妹の夫も私と同じような人だ。


 あんたたちは図々しいのだと、妹は嘆くが私たちには理解出来ない。私たちは本当に図太くて恥ずかしい存在なのか。先の恥という言葉が重たくのしかかる。

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