第30話「聖女様の話をしよう」
「そも、聖女教会を作れるは
そんな藤原の宣言により、聖戦の火蓋は切って落とされた。場には緊張が走って、しんと静まり返る。
「分かりづらいから頑張って現代語で喋ってください」
そんな空気の中、全く空気を読む気のない三橋が間の抜けた声でそう言った。
「あ、はい」
「お前……! アイデンティティを捨てるのか」
明良がそう言えば、藤原はいやあと頭を掻く。
「聖戦と比べたら
「……さようか」
「それ結局古語じゃないですか」
奏がそう言うと、あははと藤原は笑った。
「まあつまりですよ、僕が聖女教会というものを作ったのは、あくまで四方山奏さんという一人の女性に対する憧れから始まっているわけです。この憧れという感情は、例えばアイドルを応援するもの、現代的に言うならば推し活と呼ばれるものに似ているわけです。そして、その推し活をするにあたって、どうすればファン同士が円滑なコミュニケーションを図って、情報を共有し、また聖女様に迷惑を掛けずにこの推し活をすることができるか、という命題の答えとして、今の私率いる聖女教会があるわけです」
ふう、と藤原は一息ついた。
「だが、もしそれで四方山さんが変わってしまうようなことがあったら? その推し活が続けられない状態になってしまったら?」
対岸から福島がそう野次を言うと、藤原は顔に少し笑みを浮かべた。こうしてみると、ちょっと頭がおかしいくらいで、藤原は常識を持ち合わせた人間なのだろうなと思う。
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。聖女様はアイドルじゃない。僕たちはお金を払って聖女様というコンテンツを享受しているわけじゃない。四方山さんは消費されるコンテンツとして作られた偶像ではなくて、そこに生きるただの一人の人じゃないですか」
「そうだそうだー」
「わっ、明良くん、急にでかい声出さないでください」
「そんな四方山さんに、僕たちが何かを言う権利はないはずなんだ! そうでしょう渡良瀬くん!」
藤原と目が合う。明良は深く頷いた。
「僕たちは勝手に四方山さんのこと推しているだけで、自分の期待にそぐわない行動だとかそういう自分たちのエゴによって四方山さんを変えようなどというのは言語同断です!」
「お前ら、意外とちゃんとしてんだな」
明良が言えば、また藤原は笑う。
「それを教えてくれたのは渡良瀬くん、君ですよ」
「俺?」
「そうですよ明良くん。私だって明良くんから教わったんですから」
奏もそう言って、舞台上だというのに明良の手を取った。ぱらぱらと拍手が起こって、次第に広がっていく。
「奏にその話をした記憶はあるけどお前らにその話をした記憶はないぞ」
「別に直接話をされたわけじゃありませんから」
「じゃあ何?」
「とにかく! 渡良瀬くんが聖女様と関わっていく中で、聖女様には笑顔が増えた。そして何よりも、私たちが抱いた理想とは違う、素の四方山さんを渡良瀬くんだけが引き出していたではないですか」
「なんで無視すんの? 何、もしかして俺が奏にカッコつけて話してるとこ見てたの? いつ? あと俺だけではなくない?」
「本当に飾らないで素を見せてるのは明良くんだけですよ……! 他の人の前であんなことするわけないじゃないですか」
「どのあんなことの話してる?」
「そりゃ、まあその、いろいろですけど」
バン、と机を叩いて藤原が立ち上がる。
「推しが好きになった男との恋路を応援しないで、何がファンですか!!」
今日一番のでかい声で、藤原が叫ぶ。あまりの声量に、スピーカーから出る音が割れていた。
「ちょっとあの」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえってんですよ!!!」
「あの、あんまり他人から好きになったとか恋路とか言われると恥ずかしいんですが」
「それは多分もう諦めた方がいいと思う」
腰を浮かせる奏を宥め、演説を終えた藤原に拍手を送りつつ、今度は福島の言葉を待つ。
「そもそも、そもそもの話をしよう。俺はお前が四方山さんと知り合う前からずっと! ずっと四方山さんのことを想い続けてきたんだ!!」
福島は、そう言うと立ち上がって、ステージの中央付近まで歩いて出てくる。明良の前に立ちはだかると、机を拳でガンと叩いた。
「あれはそう、二年前くらいの話だ。小学校中学校と色々な人間と関わったが、誰一人として俺が理想とするような人間はいなかった。……ただの一人もだ!」
もう一度、机を叩く。痛くないのだろうか。
「それが! わかるかこの感動が! 街で一目見たときから、俺はこの人こそが俺の理想の人だと思ったんだ! 他に誰もいない! 清楚で純粋で頭もよくて、そして誰にでも優しい……! 誰かを助けることは厭わず、誰にとっても理想であり続けるような努力をする………………そんな人だと一目見て分かった! 俺の理想の聖女はここに居たんだと、神に感謝までした! それがなんだ! せっかく同じ高校に入れたというのに、他でもないこの! 渡良瀬明良が! 既に俺の聖女様を独り占めしようとしてるじゃないか! こんなことが許されていいものか! そうだ! 許されるわけがない! 誰もが憧れる聖女様はみんなの理想の集合体であるべきなんだ!! ずっと四方山さんを想い続けてきた俺の理想が、お前のようなウジ虫に汚されていいはずがないんだ!!! なあそうだろう!!!」
「うっすいな。なんだ、その薄っぺらい理由。馬鹿みたいだな」
「なんだと!!」
「明良くん!」
両手で目一杯シャツの首元を掴まれ、明良の身体が宙に浮く。
ステージ中央に引き摺り出されながら、明良は必死に言葉を紡ぐ。周りでは両派閥、明良を助けようとする聖女派と、介入を阻もうとする過激派の間で揉み合いが起こっていた。
「お前らみたいなやつらは、結局奏に自分の理想を投影してるだけで、ちっとも奏のことなんざ見ちゃいないじゃないか」
「お前に何が分かるんだ!」
「何も分からんわ、アホ」
「何だと! このウジ虫め」
ステージ上に投げ捨てられて、明良は少し転がる。寄ってこようとする奏を、手で止める。
「結局ただの一目惚れなんだろ? 結局のところ、お前にとって奏という一人の人間なんてどうでもよくて、お前にとって大事なのは完全無欠な聖女様というカテゴリーなんだろ?」
「うるさい! お前があの人と仲良くなるずっと前から、俺はずっと、四方山さんのことが好きだったのに!!」
「うるせぇな。四方山さんが好きじゃなくて、聖女様が好きの間違いだろ。じゃあ聞くけどさ、奏が好きなものは? 奏が好きなアイスとか、知ってるか? 得意な科目は? 苦手な科目は? 休日の過ごし方は? 毎日寝る前には何を考えて、どんな夢を見て、どんな想いで生きてるのか、お前はどれか一つでも知ってるのか? 奏という人間を、少しでも知ってんのか?」
「お、俺は………………俺はそれでも!!」
「お前は奏が俺の前で素顔を見せている様子を何度も何度も何度も何度も見ているはずだ。それでもお前は結局のところ四方山奏を認められないでいる。それのどこが「奏のことが好き」なんだよ。舐めんなよ。じゃあお前、奏の好きな人は誰なのか、お前知ってんのか!」
「あ、明良くん!?」
「っていうか大体な! お前、そうやって奏のことが好きとか言うくせして、合宿のとき三橋とよろしくヤってたじゃねぇか! なーにがずっと想い続けてきただ、そういうのは初めてを奏に捧げてから言えよ!!」
「えっ?」「は?」「おっと?」「ん?」「何?」「はい??」「は?」
全校の動きが一斉に止まる。
「あはは」
三橋が苦笑いを浮かべている。
風が吹き、木々がさざめき、奏の黒い髪を揺らす。さながら世界でたった一人、奏だけが動いているかのようだった。
「食べちゃった」
「福島ァ! 聖女様に操を立ててるんじゃなかったのかよ!」
「夏休み明けてから明によそよそしいと思ったぜクソが」
「ていうか理想の聖女様も何も、誰もお前の理想の聖女様なんて知ったこっちゃねーよ! 俺たちは俺たちそれぞれの理想の聖女様がいるんだよ!」
「黙ってろ恥晒し!」
「理想の聖女と並ぶために理想の男であるべきとか偉そうに講釈垂れてたのはどこのどいつだオラ!」
さっきまで聖女派たちと揉み合っていた過激派たちは、みるみるうちに福島を囲っていく。
「しかもお前! あれだけ聖女様姿が理想であるとか語っておいて、つまりそれって全部妄想だったんじゃねーか!! ふざけんな!!!」
「おうおう、血気盛んだ」
過激派たちの輪からはじき出されて、明良は顔にできた擦り傷が痒いのを擦りながら、奏の方へ歩く。奏はその場に立ち上がって、目には一杯に涙を溜めていた。
「そんな顔すんなよ」
「だ、だってぇ」
奏をぎゅっと抱きしめてから、ぐるりと後ろへ振り返る。
「そういうわけで、奏の相手はもう決まってんだ、じゃあな過激派ども!!」
奏の手を取って、走りだす。ステージを降りたところで振り向けば、明良たちを追おうとしてきた過激派たちを、聖女派が羽交い絞めにして、明良に親指を立てていた。
「ありがとよ!」
手を上げて合図をして、明良はまた、奏の手を引いて走り出す。どこか行く当てがあるわけじゃないけれど、とにかく今は奏と二人っきりになりたかった。一刻も早く、理想だのなんだの、そんなものはどうでもよくて、俺は奏という一人の人間が好きなのだと、そう伝えたかった。今しかないような、そんな気がしたから。
「明良くん」
「どうした?」
「私は、その、明良くんに救われたんです。明良くんがいなかったら、結局今も福島くんみたいな、ああいう人たちの理想も叶えようとして、もしかしたらつぶれてたかもしれない。でも、そうはならなかった。明良くんがいてくれたおかげで、私は明良くんには自分の素直な気持ちをずっと言えてるんです。でも一個だけ、ひとつだけ言葉にできてないことがあるんです」
「ちょっと待てって!」
校庭の丁度ど真ん中くらい。周りに遮蔽もないようなところで、足を止める。もっと目立たない場所で、生徒会長の二の舞にはならないようにしたかったような気がするけれど。
「俺の台詞を取るなよ」
「明良くん」
じっと奏の目を見つめる。気づけば乱闘騒ぎも収束を見せはじめ、明良たちと一緒に移動してきた聖女教会の面々が死屍累々積みあがっていた。
そうして、少し遠巻きに人々に囲まれながら、明良は奏の前で跪いた。
「俺だってずっと言えずにいたんだ」
「いつからですか」
「いつだろうな。なんか、ずっと言えないまま、言わないままずるずる来て、今更何伝えたらいいのかわかんないな」
「奇遇ですね、私も今、ずっと当てはまる言葉を探してるんです。でも、好きとか、愛してるとか、そういう一言で表せるものじゃないですね、この感情って」
「そうだな。これだけ好きなんだから、そりゃまあ、色々と勝手に進むこともあるしな」
「キスしちゃいましたからね、私たち」
奏の腕が、腰に回される。
「明良くん、改めて、私の気持ちを受け取ってくださ――」
奏に言いきられる前に、気づけば明良は奏の唇を塞いでいた。口で。
「んんんんん」
「奏」
「もう、明良くんのばか」
「付き合おう」
「……はい、末永くよろしくお願いします」
一通り、校庭のど真ん中でキスをしたあと、明良ははたと我に返った。顔を上げれば、氷上と、相川と、木村と、あと湯沢と井上と、そしてそのほか有象無象どもがおしなべてスマホを構えてそこに立っていた。ピコンと数多の音がして、全員がスマホを下げる。
「これは、今年のMVPはアッキーに決まりだね」
「ちょ、心寧ちゃん!」
「生徒会室で二人っきりの中で付き合い始めた私と佳孝がキスしている動画が流出してるんだ。こういう文化なんだ、うちの高校は。諦めるんだな」
そう言って、氷上はスマホをしまい、ぱちぱちぱちと拍手をしはじめる。そうして、段々とグラウンドが拍手に包まれる。
「なんか、すごい恥ずかしいですね、これ」
「もっとこう、俺も二人っきりでいい雰囲気のときに、とか考えてたんだけどな~」
今だと思ってしまったのだから仕方がない。こういうのは、言えるときに言わないと後悔するものだろう。
「まあまあ、なんだか私たちらしくていいんじゃないですか。いつだって誰かの目があるところでイチャイチャしてるんですから」
「それはさ、だって、あいつらがずっと監視してるからじゃん。どういう情報網なんだよ」
死屍累々の中に含まれている藤原の方を見れば、藤原は顔だけ起こして小さく口を動かした。
「聞こえねぇよ」
近づいて口元まで近づくと、今にも死にそうな掠れた声で藤原は言った。
「企業秘密です」
「企業じゃねぇだろ」
顔を地面に押し付け、再び藤原を死体として処理する。
「で、ストーカーは?」
「誰ですか、それ」
「福島だろ」「福島じゃないでしょうか」「福島に決まってるでしょ」「福島」
「なるほど」
奏はぽんと手を打った。それから、明良の方を見て、とてとてと走ってきて、腕を掴む。
「アレに関しては、聖女教会の方で責任を持って教育しておきます。今は、ほら、文化祭はまだ続いていますから」
藤原の死体はそう言うとむくりと起き上がった。
「そういうわけだ。みんなも、本日のメインイベント「聖戦」は只今を以て終了とするから、各自文化祭を楽しむように! 解散!」
氷上の号令で、人々は見事に散っていく。一人、また一人とグラウンドから姿を消す中、気づけば明良たちの前には福島が立っていた。
「四方山さんは、一体何が好きなんだ、それだけ教えてほしい」
制服はズタボロで、顔には切り傷ができていて、出血していた。街中でこんなのに声を掛けられたら、きっとすぐにでも逃げ出してしまうことだろう。職質待ったなしである。
奏はちらりと明良のことを見て、それから福島を見た。
「私は、ご存知の通り、ずっと明良くんのことが好きです。明良くんと一緒に学校にきて、明良くんと好きな国語も嫌いな数学も、全部一緒に授業を受けて、明良くんと演劇をやって、明良くんと一緒に帰って、寄り道をしてアイスを、私はあずきバーで、明良くんはバニラモナカジャンボを買って、食べながら駅まで歩いて、一緒に電車に揺られて、帰って寝る前には明良くんのことを考えて、夢にまで明良くんが出てきたり、休日は明良くんとLINEしてたり、なんて、そんな日々が私は好きです」
「あの、俺が恥ずかしいんだけど」
「ちょっと我慢しててください。今、人振ってるところなので。――そういうわけなので、私は福島くんの理想にはなれません」
「そうか、そうだよな」
「はい!」
奏は、今まで一度も福島に向けたことのないような笑顔で、福島の言葉に頷いた。きっと明良がそちら側だったら、今にも泣き崩れていたことだろう。そうならないのが、福島の強いところなのかもしれない。
「じゃあ明良くん、他の男との関係も無事スパっと清算できたことですから、残りの文化祭も楽しみましょう。まだ見るところは沢山残ってますからね! 私の大好きな明良くん!」
「はいはい、大好きな奏さん、いつまでもお付き合いしますよ」
「まさか、二年連続でこんなバカップルが、しかもどっちも私の知り合いから誕生するなんて……」
相川のそんな悲哀に溢れた独り言は、二人で聞こえないふりをした。
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