第28話「文化祭を楽しもう(2)」

 物事には丁度良いタイミングというものがあるものであるはずで、そのタイミングを逃してはならないと思えばこそ、余計に慎重になってしまうということがあるのだと、明良は勝手に思っている。そもそも、何を以て丁度良いタイミングとするのかさえ、明良には分かっていないのだから、慎重になるのも仕方のないことなのだ。そう言い聞かせて、既に数か月が経ってしまったのだ。

 ――こんななのにな。

 自分の腕の中には奏がすっぽりと収まっていて、一人物思いにふけっていれば、どうしたんですかと奏は顔を上げた。

「いや、なんでもない」

 ――どうしたものか。

 誰が答えを教えてくれるわけでもないのは、明良が一番よく知っている。


 すっかり「大告白大会」も終わりに近づき、ほぼ全員が告白を終え、最後の仕上げとばかりにステージ上にはかの有名な湯沢佳孝――つまり氷上の彼氏が躍り出ていった。つい先ほどまで殺気だって全員殺さんばかりだった氷上も、これには動揺を隠せないらしい。誰も教えてやらなかったのか、それとも敢えて隠したのだろうか。

 どちらでもいいが、「大告白大会」は最高潮の盛り上がりを見せていた。

「この高校、なんでアレが許されてるんでしょうね」

 窓枠に両腕を枕にして外を眺める奏が、ふとそう呟いた。その歓声された横顔の美しさときたら、きっと右に出るものはいないに違いない。明良だっていつまででも眺めていたいし、聖女教会のやからが色々やっているのも、全く理解できないわけではない。

「……まあ、風土だろ」

 奏に見とれていたことを、なんとなく悟られたくなくて、明良はずっと考えていましたみたいな顔をして答えた。

「変な高校ですよね」

 そうだな、と答えると、マイクに乗った湯沢の声が校庭に響き渡る。

「優華ァ――――――――!!! 愛してるぞォ―――――――!!!!!」

 これまで誰一人として氷上のことを下の名前で呼んだ人間など存在しなかったが、そこは流石彼氏といったところだろうか。文字通り、格が違う。湯沢が近隣一体に響き渡るほどの大声で氷上に愛を伝えると、一瞬の静寂が会場を飲み込んだ。否、会場どころではないだろう。きっと学校中がみんな一度手を止め足を止め、校庭の方を覗いたに違いない。そんな静寂のさなか、氷上はその場に崩れ落ちた。

「あの氷上先輩にも恥ずかしいと思うことがあるんですねぇ」

「いや、流石に……」

 同情してしまう。

「ところで明良くん、この後はどこを回りましょうか」

「そろそろ自分のクラスの惨憺たる有様を見に行ってもいい頃かもしれないなと、思っている」

「………………なんでしょうね、この、でも見ないわけにはいかないですよね。私にも責任の一端はあるというか」

「お前がかわいすぎるのがいけない」

「…………そ、そんな面と向かって言われると照れちゃうじゃないですか」


 そういうわけで「聖女カフェ」を目指していた明良たちは、今生徒会室の扉に張り付いてに勤しんでいた。薄く開かれた扉の奥は、いつもでさえ雑然としているのに、文化祭というこの状況で更に荒れ果てていた。床にまで書類の束が並べられ、その一束ひとたばには、それがなんの紙束であるのかを指し示す付箋が貼り付けられている。机の上などは目も当てられないほどで、もはや誰もどこになんの書類があるのかなど把握できないのではないかというほどだった。

 そんな生徒会室の一番奥の席には――

「佳孝……佳孝のばか……………… 」

 ――恋人の上に乗り、妙に艶めかしい声で恋人の名前を呼ぶ生徒会長がいるのだった。

 一体こんな白昼何をしているというのか。それをはっきりさせるためにも、この状況を見張らないわけにはいかないのではないか。真相究明が急務なのだ。

「明良くん、あれ絶対はいってますよね」

 明良のすぐ下で生徒会室を覗き込む奏がそう呟く。

「そうだな」

 というか、そういう感じになるなら鍵くらいかけておけよと、明良は心底思った。

「あ、見てください明良くん、ちゅっちゅしてますよ」

「マジでブレないな、あの人たち」


「いや~~~~~ブレないね~~~~~~~~~~~~」


「うわ」

「心寧ちゃん! いつから居たんですか!」

 いつの間にか反対側の扉を薄く開けて、相川がのぞきに勤しんでいるではないか。

「まあまあ。ま、でも君らもなかなかブレないけどね」

 相川はそう言うと、扉から顔を離して明良たちのすぐ横まで来た。

「珍しいですね、心寧ちゃんが会長たちがえっちしてるの見てるなんて」

「あんまえっちとか言うなよ、まだ分かんないだろ」

「ほら、今後の脚本の参考になるかもしれないし、かなちゃんとアッキーならまあ、大体なんでもさせられるし」

「なんでもって何ですか、なんでもって」

 奏がそう言えば、相川はあれとかそれとか、と指で卑猥なジェスチャーをした。

「あんたもなかなかですよね」

「アッキーもなかなか言うね」

 やれやれと三人で顔を見合わせ、改めて縦に三人並んで生徒会室の中を覗き込む。

「うーん、完全にヤってるでしょ、アレ」

「なんで許されてるんでしょうか。私たちも許されるんですかね」

「風土だろ。バレなきゃいいんじゃないか、よくないけど」

「部室でするならちゃんと鍵かけてね、見ちゃったら気まずいから」

「あ、当たり前じゃないですか」

「普通に許されたらダメだろ絶対」

「まあでもほら、一般的なカップルの観察って大事だと思うよ。演技の参考にもなるだろうし」

 ほら、と相川はもう少しだけ扉を広く開けて、下から覗き込んでいる。

「スカートで肝心なところが見えないなぁ」

「あ、心寧ちゃんずるいですよ、私も見たいです」

「なんなのこの人たち」

「おお、一般的なカップルとはなんと破廉恥なんだろうね」

「さっきから思ってるんですけど一般的なカップルってどちらかと言えばあっちですよね」

 三人同時に扉から目を離して、生徒会室のほうに向かってくる手を繋いだ二人の人影を捉える。つまりそれは副会長の井上と、我らが演劇部の木村である。

「ちなみに生徒会室は満室だよ」

 相川がぴしゃりと言うと、井上と木村は気まずそうに目を逸らした。

「あれ、ていうかもう公表したんですか」

 奏が不思議そうに言う。つまり、あの二人は関係性をあまりよそに知られたくないというのだ。主に井上の方が。

「世の中には世間の噂やなんやらを気にする前に優先すべきことがあるというだけの話で……」

 井上はいかにもばつが悪そうに言い訳をくどくどと並べては、木村に小突かれている。確かに明良だって手を繋いで奏と文化祭を回っているわけだし、あまり人に何かを言えた義理はないけれども。

「ちなみにこれは一脚本家としての意見だけど、そういう変な言い訳をするヤツは大概ヘタレと相場が決まってるよね」

「脚本家関係ないじゃないですか」

「まあいいや。とりあえず」

 相川はポケットからスマホを取り出すと、そのまま一言も発することなく井上と木村の二人にカメラを向けた。パシャリと一枚写真を取ると、奏と明良に見えるようにスマホを持って、インスタを開いて、ストーリーに写真をそのままアップロードする。

「悪魔っすね」

「こ、心寧!! ばかばかばか」

 木村が、インターネットの海に写真が放たれる前に何としてでも投稿をキャンセルしようともみあいが始まって、通りかかる生徒や保護者に地域住民の視線が突き刺さる。一体何の見世物だろうというのだ。

 ――なんて滑稽なんだ。

「明良くん、そろそろ行きましょうか、私たちは」

「そうだな」

 奏の手を取って、生徒会室の前を脱しようとしたその時。

「やかましい!」

 ピシャリと音を立てて生徒会室の扉が開き、息を荒げ頬を紅潮させた生徒会長が仁王立ちになって全員をねめつけていた。奥の方に転がった白い布地を、明良は見逃さなかった。

「今いいところなんだ、別のところでやってくれ!!!」

「ご、ごめん」


「この学校、どうなってんだ」

 ようやく聖女カフェが見えてきたところで、明良は思わずそう口にしていた。

「まあ、今に始まったことじゃないですけどね。自由な校風ってことなんでしょうか」

 まだ聖女カフェまでは少し廊下が続くというのに、あれから更に装飾が増えた結果というべきか、少し教室から離れた廊下にまで、奏を象った芸術が展示されていた。中でも目を引くのは、石膏でできた奏の等身大立像だろう。どうやって作ったのか知らないが、さながら中世の女神像のような風情である。一体誰がこんなものを作ったというのか。しかし何より恐ろしいのは、どこからどう見ても、実物の奏と寸分違わない出来であることだろう。

「お前のスリーサイズ、流出してない?」

「そんなことはないと思うんですが……」

 うーん、と奏は首を捻って、自分の腰に手を当てたり、石膏像の腰に手を当てたりして比べている。

「同じ気が……します」

「何かの罪に問えるんじゃないのか、これ」

 明良も、試しに奏と石膏像を交互に触ってみる。

「……………………流石に有罪かな」

「明良くん、流石にちょっとはずかしいです」

「あ、ごめん」

「ちなみになんだけどさ、胸って……」

 明良がそう言うと、奏はすごい嫌そうな顔をしながら、自分の胸と石膏像の胸を交互に触った。

「明良くん、どうぞ」

 どうぞじゃないよと思いながらも、しかしここまで来てしまえば気になって仕方もないのだ。触れるのが初めてというわけでもない。確かに手でいくのは初めてだが、しかしいつも肘に奏の方から当ててきているわけで、ならば奏がいいと言うのだからここは一思いに――

「んっ……」

「奏?」

「ち、違うんです、偶々明良くんの指がその」


 廊下の作品群を抜けると、ようやく受付が見えてくる。

「なんかすっごい疲れましたね」

 奏はそう言いながら、列の最後尾に並ぶ。

「なんていうか、執念なのかな。数字じゃなくて、観察の末なのか」

「その観察眼をもっと別のところで発揮してくれたほうが、絶対世の中のためになると思いますけどね」

 やがて列が進んで、明良たちの番になる。

「あッ!!!!」

 奏の姿を捉えた受付の――誰だこいつ。

「明良くん、隣のクラスの加藤くんですよ」

 奏が耳元で教えてくれる。その加藤とやらは、奏のことを見てあわあわと口を開いたり閉じたりしていた。

「なんで他クラスの奴が受付してるんだ」

「さあ」

「私物化されすぎだろ、うちのクラス。なんで誰も文句言わないんだ」

「まあ、色々と根回しをしたんでしょうね、知らないですけど」

 使い物にならない受付をとりあえずその場に放置して、教室の中を覗き込んでみる。

 一応カフェという体裁は取っているから、並ぶ客席には聖女を崇拝していそうな男から普通にパンケーキを食べに来た女子あるいは親子など、多種多様な顔ぶれが並んでいた。パンケーキそのものは普通においしそうで、店内は小麦のいい匂いが充満していた。

「で」

 奏が明良の方を見上げる。

「あれはなんなんでしょうか」

 明良たちの目線の先には、客席よりも奥の、聖女様にまつわる展示コーナーで真っ二つに別れてにらみ合う聖女教会の姿があった。

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