第7話「あきらめよう! 生徒会執行部の闇」

「あ~~~~~めんどくさいな~~~~~~」

 部室でひっくり返るような座り方をしていた部長相川が奇声を上げたのは、放課後になってすぐ、まだ部員たちも集まり切らない頃だった。部室にいるのは、相川のほかは明良一人だけである。

「何がですか?」

 だから、つい明良はそれに答えてしまったのだ。

「いやね、生徒会にさ、予算申請をしないといけないんだよね」

 ぺらぺらと、相川が机の上にあった紙を掲げる。

「予算申請」

「そう、予算申請。生徒会様にお金を恵んでもらうためにね」

 紙を持っていない方の手で、相川はお金のジェスチャーをしたかと思えば、紙を手放して両手を広げた。紙ペラが空気抵抗でゆっくりと左右に動きながら床に落ちる。

「昨日の夜かなちゃんをうちに呼んで一緒に書いたところまではよかったんだけどね」

「じゃあ一番面倒なところは終わってるじゃないですか」

「違うね、一番面倒なのはこれを生徒会室へ持っていくところだよ」

 相川は校舎のある方を指さす。

「生徒会室行ったら優華に惚気られるんだ、私」

 バン、と机が大きな音を立てる。目線を上げれば、ギリギリと音がしそうなほどに噛みしめた相川の歪んだ表情がそこにはある。

「優華?」

「生徒会長だよ。氷上優華。――いやさ、いいよ、百歩譲ってデートしてきたんだとかそういう話ならさ、何にも文句ないよ。それくらいならさ。でもさ、優華あれで恋愛に疎すぎてもう全部話すの。普通話さないようなそれはもう濃密なところまでさ」

 相川はそこまで早口でまくしたてると、もう一度机に拳を下ろした。

「おまけに……!」

「おまけに?」

「今期になって生徒会にあいつの彼氏が入ったんだ……というか氷上が入れたんだ…………」

 特大の溜息で相川は肺の空気を全て出し切ったらしく、大きく息を吸って呼吸を整えた。

「ねえ、もし生徒会室に行って、自分の友達と後輩がキスとか、キスどころか、もっとすごいことしてたら、私はどうしたらいいんだ……?」

 すっかり相川は意気消沈している。もはや、この人が生徒会室に書類を持っていく未来など見えない。

 ――というか、見たことあるな、この状況。


 奏が一緒に来るというので、生徒会室の場所を知らないという致命的な欠点に気づいた明良は、ありがたくその案内を受けることとなった。少し前を歩く奏はかなりるんるんで、鼻歌まで歌っている。

 そんな御機嫌な奏の後ろを歩く明良に向く視線は鋭く、誰だあいつとどこからともなく聞こえてくる。

 ――どうも、演劇部の渡良瀬明良です……無害ですよ……。

 心の中で誰にともなく釈明しながら、廊下を通り抜け、階段を登り、再び廊下をちょっと歩いて、生徒会室と札が掲げられた部屋に辿り着く。

 他の教室とそれほど変わらない引き戸は、元々はアクリルがはめ込まれていて中が見えるようになっていたらしいが、今は内側から布を張って中が見えないようになっている。

 ――そういうことか? コレ。

 つまり、外には見せられないような何かを中でこっそりとするために目隠しをした、とは考えられないか。というか、それ以外には考えられないではないか。しかし、あれだけ堂々とした生徒会長が、果たしてそのような狼藉を働くものだろうか。

「どう思う?」

 横に並ぶ奏に、明良は唐突だとわかりながら聞いた。

「何がですか?」

「クロだよな」

「今日は白ですよ?」

「いやお前の下着の話じゃなくて」

 生徒会室の扉の目隠しを指さす。

「ほら、生徒会長がこの部屋で彼氏とイチャイチャしてるとか言ってたからさ、相川先輩」

 ああ、そっちですか、と奏は言うと、生徒会室の扉があるのと逆側の壁まで歩いて、そこに寄りかかった。窓からは校舎の裏側にある教員の通用口が見えて、その付近では二、三人の先生が煙草を吸っていた。一人は、顧問の佐山だった。

「聞いた話によると、あのドアのアクリルに目隠しをしたのは生徒会長の氷上先輩ではなくて副会長の井上先輩なんだそうです」

「それまたなんで?」

「見苦しいかららしいです」

「何が?」

 奏はさあ、と両手を左右に広げて、それからうんと伸びをしてもう一度生徒会室の扉の前に立った。

「せっかくですから確認してみましょう。一体中で何が繰り広げられているのか……」

 ふふふ、と怪しげな笑みを浮かべた奏は、扉に手を掛けると、僅か一センチもないくらいだけ扉を開け、そこに顔をぴったりとつけて中を覗き込んだ。

「わっ! 明良くん、ちょっと見てください」

 小声で奏がそう言う。そこから退くつもりはないらしいので、明良は奏の後ろからその隙間を覗き込んだ。

「おお、これは……」

 生徒会室は、資料提出だとか言っていたから、書類もうずたかく積み上がって煩雑としているのかと思いきや、かなり綺麗に整頓されていた。左右の棚にはファイリングされた資料が並び、中央の机の上に出しっぱなしの資料は一つもない。机の左右にはパイプ椅子が並び、そこが平執行部員が座るところと推察された。そしてその一番奥、所謂お誕生日席の位置には、一脚だけ他と違う革張りのちょっといい椅子が置かれていた。そしてその上には――

「もしかして真面目に仕事してるんでしょうか、あれ」

 噂の生徒会長氷上が、男の膝の上に座って手許の資料を見比べていた。

「は、入りづれぇ……」

「あの二人、このまま見てたらキスとかしてくれませんかね?」

「何? 見たいの?」

「そりゃもう」

 ――こいつ節操ないな。

 しかし、実際のところあの二人は決して仕事をせずにイチャイチャとしているわけではなく、あの恰好で普通に仕事をこなしているらしい。よく見てみると下敷きになっている男も氷上同様に書類を持っていて、氷上の右手側から飛び出した手をじっと見ていた。

「ちょっと待ってください、あの人、氷上先輩のおっぱい触ってませんか?」

「あ、ほんとだ」

 言われて反対の手を見れば、その左手は氷上の左胸の上に乗っている。しかも、ときどきフニフニと揉んでいるではないか。氷上はそれに何を言うでもなく受け入れている上、その表情はどこか柔らかく見える。

「何見せられてんの? 俺たち」

「ちょっと興奮しますね。あの、えっちなビデオのサムネを見たときと同じような気持ちです」

「興奮すんな、困るのはお前だぞ」

「そうですね。私も学校のトイレで、などというのは本意ではありませんし」

「時々ちょっと生々しいこと言うのやめない?」

「やめません」

 そう言って、二人して生徒会室の扉から顔を離す。傍から見れば生徒会室を覗き込む不審者だったろうが、幸いにも近くの廊下を歩く生徒はいなかった。

 ――さて。

「これ、今日行かなきゃダメなの?」

 手の中にある予算申請書は、生徒会長もしくは生徒会会計に直接提出して、その場で体裁の確認をしてもらわなければいけないらしいが。

「今はちょっとタイミングが悪いんじゃないか?」

「でも待ってください、明日だって明後日だって、毎日エブリデイイチャラブセック――おほん、とにかくラブラブな可能性だって否定できません。というか、噂を聞く限りその可能性の方が高いですよ」

 ならばどうしろと言うのだろうか。

「なあ、一縷の望みに掛けて明日また来ないか?」

 何か通知でも来たのか、スマホを見ている奏に向かって、両手を合わせて祈る。奏がここで首を縦に振ってさえくれれば、大義名分を得られるのだ。そして、明日行く人間が必ずしも明良である必要は無い。

 だが、明良の願望は軽く吹き飛ばされた。

「………………ダメみたいです」

 奏はスマホの画面をこちらに向ける。それは相川とのLINEで、奏は相川に生徒会室の様子を実況したメッセージを送っているが、その返事はなんとも無情なものだった。

「〆切、今日みたいです」

「なーんで〆切まで先延ばしにしちゃったのかな」

「でも、気持ちはわかります。私も、自分の友達がおっぱい揉まれながら仕事しているところはあんまり見たくありません」

「友達じゃなくてもあんま見たくねぇよ。AVとかそういうのは、フィクションだったり画面の向こう側のものだから楽しめるのであってだな――」


「お困りかい?」


 ――救世主……!

 いつの間にやら明良と奏の後ろに立っていたのは、新歓のときに生徒会副会長と紹介されていた井上だった。

「あ、俺たち、部活の予算申請書? ってのを提出しに来たんですけど」

「ああ、アレね。うん。…………二人とも入れないでいるってことは、中見たんだね?」

 奏と顔を見合わせる。

「まあ、はい」

 井上は明良と奏を交互に何度か見てから、じっと扉を睨んだ。

「困ったものだよね」

 なんとも実感のこもった言葉である。

「いつもあんな感じなんですか?」

 明良が聞くと、井上はゆっくりと深く深く頷いた。

「いつもあんな感じだよ。見苦しいだろ?」

 ――ああ、そういえば見苦しいから窓に目隠ししたって言ってたな。

 なんとなくもう一度覗き込んでみると、今度はキスしていた。キスだ、キス。なんとまあ。明良は見なかったことにした。

「まあ、入りなよ」

 そう言って、井上はドアをノックしてから扉を開けた。


 流石に、扉をノックして入っても胸を鷲掴みのままなんてことはなく、ただ男の上に女が座った状態で作業をしているだけになっていた。

 ――それもだいぶか?

 だが、この期に及んでその程度で動揺することなどない。

 一段落ついたのか、氷上はふっと顔を上げた。

「ああ、演劇部か」

 こちらを見た氷上は、至って冷静な風で言う。なぜわかったのかと一瞬考えたが、奏がいたからだろう。

「申請書だな、受け取ろう。なあ佳孝、ホールドされていると書類が受け取れない」

 お腹周りに回された彼氏の腕を外して氷上は立ち上がり、明良の手から書類を受け取った。それから、机の上に置いてあったサンリオか何かのキャラクターのぬいぐるみみたいな筆箱からペンを取り出して、一通り確認したあと一番下にサインを書いた。それからコピー機で二枚コピーを取って、その内の一枚は明良に戻ってくる。

「部の控えだ。まあ要らないとは思うが一応持って帰って保管しておいてくれ」

「わかりました」

「書類は確かに受け取ったから、もう戻ってもらって大丈夫だ。心寧にもよろしく伝えておいてくれ」

 氷上はそう言うと、再び彼氏の上に座った。そのお腹周りを、先ほどと同じように彼氏がホールドする。それに、氷上は頬を少し緩ませた。

「失礼しました」

 明良は、奏と二人、挨拶をしてそそくさと生徒会室から逃げ出した。


「何かお前静かだったな」

 明良の横を歩く奏は、何か神妙そうな顔をしている。体育館への道中にある下駄箱で、二人は立ち止まった。

「いえ、その、床にですね、あの、ゴムっぽいものの、アレを、見つけちゃいまして」

「ゴム? ゴムって、あのゴムか?」

「そのゴムです。つまり、その、避妊具」

 奏はそう言って、指で四角を作った。

「き、切れてました、端っこが……開封されてて……」

 奏が、ここにと自分で作った四角を半分だけ残したまま、その端に縦に線を入れる。

「………………いやいやいやまさか生徒会室でそんな」

「ですが! 確かにあれは、アレでした! 絶対ヤってますよ、あの二人! あの部屋で‼」

 ぐい、と奏は明良の肩に手を置いて、顔を近づけてくる。

 ――声でかいし顔近いな。

 辺りにはチラホラと下校しようとする生徒がいる。あまりこういう話を下駄箱で堂々とするのも如何なものだろうか。ただでさえ、奏は目立つというのに。

「とりあえず部室戻ろうぜ」

 体育館の方を指させば、渋々といった感じで奏が歩き出す。

「明良くん、ご存知の通り私はそういうことに大変興味があります」

「よ〜〜〜く存じ上げてるよ」

「明良くんは気にならないんですか。高校生同士のカップルが一体どのような情事に及ぶのかについて……!」

「そりゃ気にはなるけど」

 この世の中には知らないほうがいいこともあるということを明良は知っている。例えば二鷲の聖女様と呼ばれる美少女がガッツリスケベ残念美人であることとか。そして、これはその類の話であるに違いないのだ。これ以上深堀すると自分までダメージを受ける。

「私の好奇心がとっても疼いてるんです。ムラムラです」

「そりゃ大変だな、トイレ行って解消してこい」

「明良くんは手伝ってくれないんですか?」

「どっちを?」

「それは勿論オナ……じゃなくて氷上先輩が生徒会室で事に至っているかの確認ですよ」

「言いかけただろ今」

「言い切ってませんよ」


 部室に帰ると、相川が机に肘をついてペン片手に紙とにらめっこしていた。脚本制作中らしく、紙にはマインドマップが書かれている。紙の一番上には大きめな字で「新人大会」と書いてある。新人大会で使う脚本なのだろう。

「どうだった?」

 相川はこちらを見ることなく言った。

「そりゃあもうすごかったです。心寧ちゃん、あのお二人ってどこまで行ってるんでしょうか?」

「C」

 至って短い返答。恋のABCなんていう言葉は今日日聞かないが、Cと言われてそれ以外にはないだろう。というかさっきBだったし。

 ――てか。

「なんで知ってるんです?」

 相川は今、推定形でいうのではなくて、断定した。

 そう言えば、普通話さないような濃密なところまで話されると言っていた。まさか――

「優華、初めてを終えてすぐLINEしてきたんだ……バカがよ…………」

 顔を上げた相川は、虚空を見つめ遠い目をして言った。ここまで実感のこもった「バカがよ」もなかなか聞けまい。

「でもなんだかいいですね」

「何がだ?」

「ほら、恋人同士それだけ愛し合ってるってことじゃないですか」

「まあ、そうか?」

 いまいち釈然としない。確かに愛し合っているのに違いはないのだろうし、あの二人がイチャイチャしているのは傍目から見ても愛ゆえのスキンシップであることは分かる。分かるが――

「家まで我慢できないもんかな」

 明良がそう言うと、相川がはあ、と深く溜息をついた。

「あの二人、家近いんだ。毎日どっちかに入り浸ってもっとアレなんじゃないかな。両親公認みたいだし」

「さ、さようで……」

 まあでも、と死んでしまった相川の作り出す空気を壊すように奏が口火を切る。

「やっぱり、私もいつかはああなってみたいな、なんて思いますよ」

「学校でイチャイチャ?」

「いや学校ではちょっと……」

 ポリポリと奏は頬をかいた。まだ羞恥心が残っていることにすこしの驚きと安堵を覚える。

「お前、モテるし目立つから相手見つけんのも大変そうだけどな。アテあんのか?」

「それはまあ、秘密ということで……」

 奏はぷいと髪を揺らしながら振り向くと、部室を出ていくのだった。

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