100円玉が親友になった
ガビ
前編
まさか所持金100円で、真夜中の街を彷徨うことになるとは考えもしなかった。
福祉の仕事の激務と、先輩パートのおっさんからの嫌がらせによりうつ病になり退職。それから再就職先を見つけることができずに2年が経った。
ついにアパートの家賃が払えず追い出されて俺は、こうして当てもなく歩いている。
フラフラと、頼りない足取りだ。
仕事をクビになってから分かったことだが、人間は明確な目的地が無いと歩くことさえ難しくなる。
今までは難なく歩いてこれた。
学生時代なら学校。就職してからは職場である障がい者支援施設。
もちろん、行きたくない日もたくさんあった。でも、どの道順で進めば良いのか確信があって、その目的地には自分の役割があるという事実は俺の心を支えていたのだ。
だけど、今はそれが無い。
ついでに言うと、金ももうすぐ0になりそうだ。
ズボンのポケットに入っている100円玉の感触を確かめる。
こいつが無くなればお終いだと、100円玉を強く握る。
こいつが、俺の唯一の武器だ。丁重に扱わないといけないのに、曲がってしまいそうなくらいに力を込めて握ってしまう。
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。
別に、贅沢な暮らしを望んでいたわけじゃない。飢え死にしなくて、少し動画とかを観れる生活ができれば充分だったんだ。
なのに、なんでこんな状況に陥らなくちゃいけないんだ。
そもそも、うつ病になったのは嫌がらせをしてきたパートのおっさんのせいだ。アレから全てが狂い始めた。
新卒の正社員として入った俺を、パートの身分であるおっさんは面白く感じなかったのだろう。
親子ほど歳が離れていることを良いことに、俺にアドバイスという名の人権侵害をしてきた。
口を開けば「あの資格を持っていないなんて正社員なら考えられない」やら「俺が若い頃はもっと残業してた」とかチクチク言ってきた。
極め付けは、「そこ邪魔だよ!! 俺が通るんだろうが!!!」と言って殴り飛ばす始末。
戦国時代の武士気取りかよ。
職場も、このおっさんの問題は把握していたようだが、トラブルになることを避けたかったようで相談しても助けてくれなかった。
そんな環境で仕事を1年半続けた結果が、故障。
そうだ。
俺は悪くないじゃないか。
悪いのは、この腐った社会だ。
昔から言われている、真面目な人間ほど損をするというのは本当だったらしい。
「そうだよ……俺は正しい。正しい人間がこんな目に遭うなんて間違ってる。今まで俺は頑張ってきたんだ。幸せになれなきゃおかしい」
俯きながら、ブツブツと独り言を発する男に、数少ない通行人は道を開ける。
そんな調子で、どれくらい歩いただろうか。
小さな光が見えた。
その光が何なのかを確認するために、久方ぶりに顔を上げる。
「……公衆電話」
そういえば、ガキの頃迷子になった時にこれを使って母さんに電話して迎えにきてもらったことがあったっけ。
「……母さん」
しかし、その頼りになる母さんはもういない。
俺が17歳の頃に病気で他界した。
「……」
俺は、吸い寄せられるように電話ボックスに入る。
受話器を取り、何の躊躇いもなく生命線である100円玉を投入してテキトーな番号を入力する。
自分が何をしようとしているのか、己でも理解できなかった。
いや、もしかしたら、死んだ母さんと話せるのではないかとどこかで思っていたのかもしれない。
プルルルル、プルルルル……。
なんと、どこかにつながってしまったらしい。
引き返すなら今だぞ。
今だぞ……。
<はい?>
モタモタしている間に、人が出てしまった。
声からして60代後半の女性の声。
母さんが生きていたら、丁度こんな感じになっていたのだろうか。
そう想像したら、全てがどうでも良くなった。
もういい。やってしまえ。
「あぁ……。久しぶり。俺だよ俺」
馬鹿丸出しのオレオレ詐欺である。
こんな古典的な手に引っかかる奴なんて絶滅しただらうよ。
<あら。オレオレ詐欺の方?>
ほら。秒でバレた。
このまま通報されて人生終わりだ。
「そうです。金下さい」
<ハハッ。いいですよー>
はい。後は優秀な日本警察が来るまで待機……って、何だって?
いいと言ったか? このばあさんは。
<その代わり、ちょっとお話しましょうよ。私、人と話すの久しぶりで>
「え? あ。でも、後2分くらいできれちゃいます……」
100円で公衆電話を使える時間は560秒。
もうそろそろ、タイムリミットは迫っている。
<そうなの? じゃあ、今から私の住所を言うから来て下さいね。えっと、埼玉県……>
その住所は、ここからそう遠くない場所にあった。
<はい。じゃあ、都合のいい日にきてちょうだいね〜>
ブツッ。
ばあさんがそう言った途端に、公衆電話はキレた。
「……え。えー……」
俺は、受話器を戻すことも忘れて、短い間に起きまくった膨大な情報量に頭を抱えるのだった。
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