第39話「帰還する影」
声が雪原を裂いた。祈りにも怒号にも聞こえるその低い音は、遠くからでもはっきりと届いた。
私は足を止め、耳を澄ます。風に混じって、節のある呪文のような響きが断続的に流れる。
視界の端に、黒ずんだ人影が現れた。
祈祷衣の縁に雪が張り付き、肩からは小さな箱と松明がぶら下がっている。マルタだ。
彼女の顔は瘦せ、目はいつになく鋭く光っていた。何かが変わった――それは祈祷師としての確信か、それとも復讐の火か。
イヴァは祈祷道具の散乱した窪地の前に立っていた。
白い髪は吹雪で乱れ、黒い瞳が私を見た。彼女のそばには先ほど私が見た箱の破片と、布の断片が散らばっている。
空気がさらに重くなる。
「ここが、あなたたちの答え合わせの場ね」マルタの声は凛としていた。「ティナ、危険だから下がりなさい」
私は一歩だけ後退する。足の裏が雪に滑る。心臓が早鐘のように鳴った。
「マルタ——」ティナの名を呼ぶように呟く。だがマルタは私の言葉を待たなかった。
彼女は祈祷箱を下ろすと、裂けた護符を拾い上げ、指でじっと見つめた。
「これは……」イヴァの声が低くなる。だがそれは弁明でもなく、挑発でもなく、ただ状況を指摘する声だった。
マルタは振り向き、イヴァを一瞥してから声を張り上げた。
「あなたは何をしたのです、イヴァ! 人の血を、魂を蝋にして留めようとしたのか! 祈りは救いであって、蝋で封じる術ではない!」
イヴァの表情が変わる。薄い笑みが歪んで、鋭くなる。
「あなたは私の何を知るというの? あなたの祈りが人を救うとでも思っているの?」
マルタの手が急に動き、袂から小さな短刀を取り出した。柄には古い祈符が巻かれている。
太陽の薄い光が、刃の先端をちらりと光らせた。あの瞬間、空気はさらに引き締まった。
祈祷師の所作は、たとえ暴力を伴うときでも、どこか儀式的で冷たい。
「これは断罪のための道具ではない」とイヴァが言った。「だが、あなたがどうしても見たがるなら、見せてあげる」
イヴァの声は静かに、しかし確実に周りを圧した。
私は咄嗟に口を開いた。
「やめて、マルタ! こんなことをしても、何も良くならない——」
ティナの声だ。私の声はかき消され、二人の言葉の矢の間に小さく消えた。
イヴァは私をちらりと見て、表情に一瞬の揺らぎが走る。それだけで、胸の奥がぎゅっとなった。
守りたいという衝動がまた、熱を帯びて立ち上がる。
マルタは短刀を半歩前に突き出す。祈りの文句を低く呟きながら、布の裂け目に向かって刃先をかざす。
彼女の動きはゆっくりだが、迷いはない。祈祷師としての決意が、刀身の冷たさに込められている。
「私は祈りで償いを求める者だ。あなたのように、術で人を留める者を見過ごすわけにはいかない」
マルタの声は震えていなかった。だがその目からは、怒りと護りの両方が湧き上がっているのが見て取れた。
イヴァは一歩も引かなかった。
彼女の手は空に浮かぶように軽やかで、だがその目は氷のように冷たい。
「ならば、やってみればよい。あなたの祈りが何をもたらすのか、私は知ろう」
言葉が突き合う。風がまた強くなり、雪粒が二人の言葉を遮る。
私はその狭間に立ち、両の手を握りしめた。何をすべきかわからない。ただ、声が出る。
「お願い……やめて、二人とも!」
私の声は、先ほどよりも確固としていた。だがそれは届くかどうか、わからなかった。
マルタの手は短刀を固く握り、イヴァの顔は歪んだ笑みに変わる。
その瞬間、引き金が引かれる前の静寂のように、時間が一瞬止まった。
私の心臓は、耳の奥で大きく鳴った。
決定的瞬間が、雪の匂いとともに迫ってくる。
私は、体が震えるのを感じながら、目を閉じることすらできなかった。
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