第35話「淡い光」

火の音が小屋にひそやかに響く。

ティナはまだ眠っている。

白い息がかすかに揺れ、眉の下で長い睫毛が震えている。

イヴァはその姿を見ながら、ゆっくりと目を閉じ、記憶の奥に沈んでいった。


——初めてティナに出会った日のことは、今でもはっきり思い出せる。


村の薬師の小屋、その片隅で、淡いブラウンの髪をかき上げ、薬草を仕分ける小さな背中。

細い指先に刻まれた、いくつもの傷跡。

どんなに寒い朝でも背筋を伸ばし、きちんと礼をする癖。

彼女は人を計る目を持っていて、柔らかい声で指摘し、時に皮肉を混ぜる。

そのくせ、無邪気に笑う時は、子どものように目じりを下げる。


イヴァよりほんの少しだけ小さい背丈。

けれど内側にある芯は、雪を割って伸びる芽のように強い。

淡いブラウンの瞳は、光の角度で琥珀にも灰にも見える。

その瞳がイヴァをまっすぐ見上げたとき、胸の奥がひやりとするほど澄んでいた。


最初は興味だった。

自分の皮肉や戯れ言にも怯まず、むしろ冷静に返してくるその態度が面白かった。

次第に、それは安心になった。

自分の奥にある影を、まだ知らない彼女の笑顔が一瞬だけ照らすことがあった。


そして今、胸の奥でその感情が名前を持ちはじめている。

母を抱いたあの日には湧かなかったもの——

誰かに壊されたくない、消えないように守りたい、形を変えずに留めておきたいという気持ち。


イヴァはティナの髪に目を落とした。

雪明かりに溶ける淡い色。

ふと、母の白い毛並みと重なる瞬間がある。

そのたびに胸が疼く。


母が失われたときには感じなかった震えが、ティナを見るときには確かにそこにある。

悲しみとも喜びとも違う震え。

それが愛と呼ばれるものなのか、イヴァにはまだ分からない。

けれど、母以外に初めて、自分の奥深くに入り込んできた存在であることだけは確かだった。


焚き火の音がぱち、と弾ける。

ティナの指が無意識に布を掴み、少しだけイヴァに向かって伸びる。

イヴァはその手を取りたい衝動を押し殺し、代わりに静かに息を吐いた。

彼女の胸に、保存と破壊、愛と執着の境界が、またひとつ曖昧に溶けていく。

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