第25話「最後の矢」
夜半の吹雪はおさまったが、朝の山はまだ白い息を吐き続けていた。雲の切れ間から薄い光が降りているのに、地面は深い雪に閉ざされ、音が吸い込まれていくようだ。
焚き火のそばで、ティナは包帯を火にかざし、乾かしながら針金をあぶっていた。焦げる布の匂いと雪の匂いが混じり、胸の奥に重たい感覚が滲む。
「罠を見てくる」
ルークが短く告げ、猟具を背にして雪の向こうへ歩き出す。
「気をつけて、雪が深いから」ティナが声をかけると、彼は小さくうなずくだけだった。
「私は雪の具合を見てくる。聖なる道がまだ続いているか確かめたい」
マルタは祈祷道具を胸に抱き、足元に護符を落としながら別の方向へ消えた。
「じゃあ、私は雪壁を見てくる。崩れそうなら迂回しないとね」
イヴァは白い髪に雪を積もらせながら、反対の尾根へ向かって歩く。軽やかな足取りで、やがて姿が見えなくなった。
三人の背が雪に飲まれ、焚き火だけがパチパチと音を立てる。ティナは火に手をかざし、乾いた包帯を畳みながら深く息を吐いた。
そのとき——
「うああっ……!」
風の向こうで鈍い叫び声がした。胸の奥が凍るように縮む。ルークだ、と直感した。ティナは薬箱を掴み、雪を蹴って走り出す。
小さな窪地に飛び込むと、そこは血の匂いで満ちていた。
ルークが倒れている。肩から腹にかけて衣服が裂け、雪に真紅の筋が広がっている。白い雪に肉の色と赤が混じり、目が痛いほど鮮烈だった。
矢が二、三本、折れて雪に突き刺さっている。あたりの足跡は吹き飛ばされ、不連続に途切れていた。
「ルーク!」ティナは膝をつき、彼の体を支える。
牙のような痕がいくつも並び、皮膚が裂け、筋肉が露出していた。血は熱い蒸気を立て、吐く息と混じり合って白く曇る。
「……見たんだ……白い……影が……」
断続的な声が、雪に吸い込まれるように消えた。
「喋らないで、今、処置するから!」
ティナは震える手で圧迫し、焼いた針金を傷口の端に押し当てる。血と焼けた肉の匂いが鼻を刺し、胸がむかつく。止血用の布をぎゅっと締めるが、赤は止まらない。
「聖なる火よ、道を示し給え……」
背後から祈りの声が聞こえた。マルタが護符を胸に押し当て、震える手でルークの頭を支えている。
「どうしてこんなことに……」マルタの目が雪の跡を追うが、風がすべてをかき消していた。
さらに遅れて、イヴァが雪の尾根から現れた。息ひとつ乱れていない。
「足跡は吹雪で消えてる。何があったのか、位置は判らないわ」
その声は淡々としていた。ティナは彼女を見上げるが、何かを問い詰める言葉が出てこない。
「ここじゃ長く保たない、持ち上げるしかない」ティナが言うと、マルタが頷き、イヴァが黙ってルークの腕を担ぐ。
三人でルークを背負い、雪を踏みしめて小屋へ戻る。背中で感じる体温が、どんどん冷たくなっていくようで、ティナの胸はざわめいた。
吹きすさぶ風の音に混じって、あの断片的な言葉がまだ耳に残っている。
「……白い……影が……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます