第17話「夜の不協和音」

夜の帳が落ちるのは、ここではあまりに早い。

薄間が雪面を青黒く変え、焚き火だけが赤く明滅していた。


四人は岩陰に身を寄せ、火を囲んでいる。

風は昼より弱まったが、体の芯に刺さる寒さは変わらない。

手袋をしていても指先の感覚がなくなってくる。

私は火にかざした手を小さく震わせた。


「……今日でこのパンも最後か」


ルークが包みを開き、乾いた黒パンを数個取り出す。

量はもう、指で数えられるほどしかない。


「明日はもっと慎重に使わなければ」


マルタが低い声で言う。焚き火の光に照らされた顔が、以前よりやつれて見えた。


「祈りのための断食ならまだしも、旅で飢えれば判断を誤るわ」


「分かってる」


ルークが少しきつい声を出した。


「俺が狩る。だが、獲物の足跡が消えるようじゃ話にならない」


彼はパンを四つに割り、それぞれに手渡した。

だが、自分の分を取る手が、ほんのわずかに乱暴だった。


私はパンを受け取り、火の揺れを見つめる。

焚き火のぱちぱちという音が、耳に妙に大きく響いた。


「……ルーク、そんなに気を立てても仕方ない」


思わず声をかけると、彼は私を一瞬だけ睨み、それから視線を逸らした。


「悪い。疲れてるだけだ」


その隣でマルタは護符を取り出し、何度も祈りを繰り返している。

昼間からずっとだ。

火の影が彼女の手のひらを赤く照らし、祈りの言葉だけが低く続く。


イヴァは火の少し向こう、背中を岩に預けていた。

白い髪が炎に照らされ、淡い赤と白の層を作っている。

手元にパンを置き、何も言わない。


私は立ち上がって少し離れ、焚き火の陰に腰を下ろした。

イヴァも静かに動いて、私の隣に来る。

風の音だけが耳に入る。


「疲れたでしょう、ティナ」

「うん……でも、もう慣れたかも」


自分でも驚くほどの声が出た。

まるで別の誰かの言葉のように。


イヴァは小さく笑った。


「あなたは、強いわ」

「そんなことないよ」

「ある。昔から、あなたはそうだった」


焚き火の光が遠くなった気がした。

風の匂いと、雪の匂いと、イヴァの声が混じる。


「……イヴァは、怖くないの?」


私の問いに、彼女はわずかに肩をすくめる。


「怖いものなんて、今はひとつしかない」

「ひとつ?」

「あなたを失うこと」


その言葉は、焚き火の熱よりも強く胸に刺さった。

返す言葉が見つからず、私は視線を落とした。

パンの欠片が、手のひらで崩れている。


ふと視線を上げると、ルークがこちらを見ていた。

炎の向こうから、射抜くような目つきで。

何も言わずにパンを齧っているが、その視線は焚き火よりも鋭い。


マルタは祈りを止めず、護符を握りしめている。

その頻度は、日が進むごとに増えている気がした。


イヴァが立ち上がり、火に薪をくべる。

ぱち、と乾いた音がして、火が高く燃え上がる。


その光が一瞬、四人の顔を赤く染めた。


私は胸の奥に生まれた温かさと寒さを同時に感じながら、パンを口に運ぶ。

風が、火の匂いと雪の匂いを攫っていく。


夜はまだ深い。

焚き火の影は長く伸び、四人の間に見えない裂け目を作っていた。

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