第12話「白い髪のぬくもり」

薄い光が雪の向こうからにじみはじめていた。

夜明け前の白は、闇よりも冷たく、焚き火の灰色の煙を押しのけて染み込んでくる。

その白さは、まるで大地そのものが吐き出した息のようで、息苦しいほど澄みきっていた。


ティナは寝袋の中で小さく震え、そこにあったはずのぬくもりがないことに気づき、目を開けた。

まだ眠気の残る瞳が揺らぎ、瞬きを重ねても、探し求めた白い髪は見えなかった。


「……イヴァ?」


声はかすれて、頼りなく、白い息になって空へ消えた。

その儚さは、まるで答えを求めても届かない未来を暗示しているかのようだった。


岩陰の向こう、ルークが起き上がっていた。

肩に雪を積もらせながら、周囲を見回している。

その仕草は重く慎重で、警戒が胸の奥まで滲み込んでいるのが伝わってきた。

マルタも祈祷道具を胸に抱き、眉間に深い皺を寄せている。

三人とも同じ違和感に気づいていた。


「いないな」

ルークが低く言った。


「夜明け前にどこへ……」

マルタの声はかすれ、雪に吸い込まれるようなささやきだった。


ティナの胸がきゅっと縮む。

焚き火の灰がくすぶり、赤く光っては消える。

その微かな音が、やけに耳に痛いほど大きく響いた。




そのときだった。


雪の向こうに、何かが動いた。

白い壁のような吹雪の奥で、もっと白いものが蠢いた気がした。


人の形のようにも、獣の形のようにも見える影。

大きな尾がひらりと翻ったような――。

その一瞬、空気そのものが凍りついた。


「……見えるか」

ルークが声を落とした。


「ええ……見える」

マルタも同じ方向を凝視し、言葉の端に恐れをにじませた。


ティナは息を呑んだ。自分だけの幻覚じゃない。

二人とも同じものを見ている。

その確信が、逆に逃げ場を失わせる。


影は風と雪の中でかき消えた。

足跡ひとつ残らず、最初からいなかったかのように白一色が戻る。

不自然なほどの静寂が辺りを満たし、ティナはしばらくその場に釘づけになり、心臓の音だけを聞いていた。


「獣……なのか?」

ルークが眉をひそめる。


「何かが、ここを見ていたような……」

マルタが祈りの言葉をつぶやいた。


ティナは唇をかんだ。

頭の奥で、昨日の夜の温もりが急速に遠ざかっていく。

失われていくものを必死で掴もうとしても、指の隙間から雪のように零れ落ちてしまう。




背後から、さらりと雪を踏む音がした。


「おはよう」


いつもの調子で、イヴァが現れた。

白い髪に雪が散り、頬に薄い笑みを浮かべている。

その姿は確かに目の前にあるのに、さっき見た影と重なり、現実感が遠のく。


「どこ行ってたの……?」

ティナが思わず声を上げた。


イヴァは片眉を上げて、軽く肩をすくめた。


「用を足してきただけよ。朝の空気が気持ちよかったから」


その笑い方は、いつもと変わらないように見えた。

けれどティナには、イヴァの頬の赤がいつもより濃い気がしたし、吐く息がやけに長いようにも思えた。


「なにか見たの?」

イヴァが首をかしげる。


ルークが短く答えた。

「いや……吹雪で目がくらんだのかもしれん」


マルタは黙ったまま、護符を握りしめている。

その白い指が小刻みに震え、信仰にすがるしかない恐れを物語っていた。


ティナは言葉を探しながらイヴァを見つめた。

さっきまでそこにいたはずの“白い影”と、今、目の前に立つイヴァが重なってしまう。

胸の奥に冷たいものが広がり、同時に昨夜のぬくもりが微かに蘇る。

矛盾する感情が胸の中で渦を巻き、息苦しさに変わっていく。




「……もう少し休んだら?」

イヴァが優しく言った。


ティナは小さくうなずくしかなかった。

雪は相変わらず静かに降り、白い世界の奥で何かが息をひそめているように感じられた。


その日、ティナたちは荷をまとめ、山の奥へと足を踏み出した。

背後には足跡だけが、残されていく。

だが、この足跡も真実と一緒に何事もなかったかのように、いずれ消えてしまうのだろう。



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