第5話「出発の影」
広場には人が集まっていた。
木の長椅子が転がり、焚き火の煙が低く垂れこめている。
村長がひときわ箔のついた声で口を開いた。
「南の道は完全に塞がれた。備蓄も、もたぬ。これ以上ここに居れば、冬が人を喰らうことになる」
言葉は重く、誰もがそれを聞いて身体を縮めた。
何人かが天を仰ぎ、古い女が膝を掴んで泣き崩れる。
選択は二つ。残るか、出るか。
声はすぐに二手に分かれて、広場の空気をざわつかせる。
「ここを守るべきだ。祈れば神は守る」
――誰かの言葉に、支持する者もいる。
「祈りで腹は膨れん。若い者は行け、備えを運べ」
――現実論の声が対立する。
私は人ごみの端で、ただ息をしていた。
薬師見習いの私にできることは何だろう。
包帯を巻き、煎じ薬を配る。
ここに残って医療を続けることも意味はある。
だが、このまま雪に閉ざされれば、誰の命も繋げない。
その時、イヴァが私の横に立った。
白い髪が寒光を反射して、小さな笑みを浮かべている。
彼女の声は囁きのように、私だけに届いた。
「あなたは私と一緒に来るでしょう?」
それは、尋ねられたというより既定のような口調だった。
私の胸がぎゅっと縮み、喉の奥が熱くなる。
断れないのではない。拒みたくない自分を、私は知っている。
会議は続き、村の空気はどんどん硬くなる。
ルークが立ち上がって、大きな声で宣言した。
「俺は行く。道を切り拓く。罠も持っていく。獣だって人間だって、問答無用で仕留める」
その声には誰も反論できなかった。
彼の決意は危うくも頼もしい。
ルークは私と目を合わせ、短く頷いた。
彼の目は強い光を得ている。
だが、視線はふとイヴァに滑り、二人は一瞬だけ火花を散らした。
言葉にはならない何かが、そこにあった。
「無謀だ」
マルタが低くつぶやいた。
彼女は護符の紐を指でなぞり、祈りの言葉を胸の中で呟く。
私にはその言葉が冷たく聞こえた。
祈りが万能でないことは、私も知っている。
だが、彼女の口調には迷いが混じっている。
私たちに向かう視線の逸らし方も、わざとらしいほどに明晰だった。
結局、意見は割れた。残る者、出る者。
残る者の、故郷を守りたい気持ちはもっともだ。
村を出る決意は、幾人かの家族の目に涙を浮かべさせた。
私はしばらく黙って立っていた。
イヴァの細くて長い指が、私の手を掴んで離さない。
答えは既に決まっていたのかもしれない。
私は天に向かって小さく息を吐き、イヴァの手と反対の手の中の薬草包みを握り直した。
夜明けの前に準備をしなくては。
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