第3話「獣の残り火」
猟師小屋の扉を押すと、乾いた木の軋みとともに、獣臭い暖気が鼻をついた。
昼前だというのに、窓は雪で半ば塞がれ、灯りの代わりに吊るした油皿が揺らめいている。
薬草の包みを胸に抱えながら、私は足元の泥雪を気にしつつ中へ入った。
「ティナか。助かるよ」
居並ぶ男たちのひとりが手を上げた。
小屋の奥では、大鍋がぐつぐつと煮え、獣肉の匂いが立ち込めている。
猟師たちはみな硬い顔つきで、何かを話し込んでいた。耳に飛び込んできたのは、またあの噂だった。
「……またやられた。昨夜、南の牧柵のだ」
「跡がひどい。牙の深さ、人間の道具じゃない」
「足跡は狼のものに見えたが、数が合わねえ」
彼らの言葉が重なって、私の胸の奥に冷たい塊を落とした。
事件は家畜だけにとどまらず、人の命を奪うかもしれない――そんな予感。
私は小さく息を吐き、薬草包みを差し出した。
「傷薬と煎じ薬。凍傷にも効くはずです」
「ありがてえ」
その時、奥の壁際に、ひときわ背の高い男が立ち上がった。
毛皮のコートを肩にかけ、無精髭の下からのぞく口元は笑っているが、目だけが鋭い光を宿している。
「お前がティナか。薬師見習いにしちゃ、しっかりした顔してるな」
冗談めかした声。彼――ルークが、こちらへ歩み寄ってきた。
「山の獣のこと、聞いてるだろう。俺はあれを“人間だ”と思ってる。いや、人間に近い何か、かもな」
笑うでもなく、脅すでもなく、ただ静かにそう言ったその顔が、忘れられない。
私は頷くしかなかった。
「……ルークさん、そんなことを言ったら皆が余計に怯えます」
「怯えてる暇があるか? 準備しなきゃ閉じ込められる」
彼が小屋の隅の地図を叩くと、ぼろぼろの紙に描かれた道が揺れた。
「南へ続く道は雪崩で塞がれた。このままだと春まで村は孤立する。越えるなら山脈を行くしかない」
重い沈黙の中で、別の声が割り込んだ。
「祈りでは雪は止められない」
振り向くと、マルタが立っていた。護符を入れた袋を抱え、白い息を吐いている。
彼女は村人に護符を配りながらも、こちら――特にイヴァを見ようとしない。
その仕草が、妙に胸に残った。
「お前さん、白い髪でよく目立つな」
ルークがイヴァに視線を向けた。
「山に溶け込む狼みたいだ」
「まあ、そうね」
イヴァは唇の端を上げただけだった。
その笑みは、火の近くに置き忘れた刃物のように光っていた。
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