この音源を聞いて、感想を教えてください。
白坂睦巳
第一部
この音源を聞いて、感想を教えてください。
「――だ……ら、……すよ。分かってもらえます?」
「……いや、俺は……」
「そっちにも色々と言い分はあるのかもしれないけど、彼女はもう君と付き合う気はないし、つきまとわれて困ってる。これ以上しつこく連絡してくるようなら、さすがに警察に通報しないといけなくなるよ」
「……」
「付き合ってたのって、たった二ヶ月程度でしょ? その程度の付き合いの相手のために、下手すると前科がつくのって割に合わなくない?」
「期間は関係ないでしょ……」
「いやまあ、そうかもしれないけど……。君のためにも、彼女とは合わなかった、くらいに思って次いったほうがいいよ」
「マジ、あんたに何がわかるんですか?」
「うーん……」
「二人の間に何があったかとか、知らないでしょ? ポッと出の奴に説教されても困るんですけど」
「いや、説教とかじゃないでしょ」
「とりあえず本人と話させてくれません? でないと納得できないんで。通報とか、マジ何考えてるのか知りたいです」
「あー、いや、それはちょっと……もう君のこと怖がっちゃってるから。まともに話できないと思う」
「は? 怖いとか……被害者ぶるのもたいがいにしてほしいってか……」
「やっぱり女の子としては恐いでしょ。いくら元彼とはいえ、怒ってる男が家の前で待ち伏せしてたり、何度も連絡してきたりするっていうのはさ……」
「ていうか、どっちかっていうとしつこくしてきたの向こうなんですけど。どちらかというと俺が付き合ってやってたっていうか……」
「うん……」
「知ってます? あいつマジ束縛女なんです。知ってること全部今ここで話しましょうか?」
「いや、そういうプライベートなことを聞いてもさ……」
「マジあいつ……許せない。人のこと犯罪者扱いしやがって、ふざけんなよ」
「ちょっと落ち着こうか。別に責めてるわけじゃなくて……」
「付き合ってたときはしつこくしつこく連絡してきた癖に」
「ちょっと……」
「布団の傍まで何度も何度も見にくるから寝たふりをしないといけない」
「冷静になろうか」
「絶対……殺してやりたい」
「あー……」
「通報とかしてもマジ意味ないんで、やめてくださいね。マジで……」
「ちょっと、どこ行くの」
「おーい」
「あー、あれは無理だな。追いつけないか……」
*
音声が止まった。
「はい。……どう、思いますか?」
目の前のテーブルに置かれたスマホの画面から、向かいに座る男に視線を移す。
工藤は真剣な目で僕を見ていた。
しばらく前に見たときより、随分とやつれている。もともと細面だったが、今は頬がこけ、不健康的な顔つきになっていた。
「いや、どう、って言われてもなあ」
「知り合いの女の子のために、しつこい元彼と話したときの録音なんですが」
「うん、それはなんとなくわかるよ」
短い音源だったが、状況は理解できた。ストーカー被害にあっている女性のために、ストーカー本人と話し合いをしている。これ以上つきまとうなら警察に相談すると伝えるが、ストーカーは納得せず、むしろエスカレートしそうな気配すらある。
「はい。で、どう思います?」
「うーん……あえて言うなら、気の立ってる相手に一人で立ち向かうのは危なくないか? 聞いててハラハラしたよ。自分だったら、ストーカー相手に直接説得を試みる勇気はないな」
「大丈夫です。録音担当の友人がもう一人、そばにいたんで。万一のときは通報してもらうようお願いしてありましたから。ほら、最後に『おーい』って声が入っていたでしょう。それが友人です」
それでも危険だと思うが……。
「あとは、そうだな。この音声を聞く限りだと、ストーカーは全然反省してなさそうだし、物騒なことも口にしてた。すぐ警察に相談したほうがいいと思う。つきまとわれてる女の子ももちろん危ないけど、工藤だって変に逆恨みされるかもしれない」
「はい。もう相談済みです。今は警察から彼につきまといの禁止命令が出ているはずです」
「ああ、そう……」
ある日、大学の後輩である工藤に「相談したいことがある」と言われ、空き講義室に連れていかれた。それなりに付き合いのある後輩だ。自分にできることなら、と僕は素直についていった。
空き講義室には、僕と工藤の二人きりだ。静まり返った空間で、いったいどんな相談をされるのかと思えば、「いったんこれを聞いてください」とだけ言われて、スマホで先ほどの音声を再生。で、感想を促されたというわけだ。
どう思うと言われても、こちらとしては被害者もストーカーも知らない相手だし、警察に相談したほうがいいとしか言えない。すでに警察に相談しており、接近禁止命令も出ているなら、僕に言えることは何もない。
「何か、違和感を感じませんでしたか。この音声」
「違和感?」
逡巡する。
「……いや」
「そうですか。では、次は動画を見てください」
「ちょっと待て。これは何? どういう状況なんだ?」
「あとで説明しますから。全部」
工藤の目は、やはり真剣そのもの――というか、追い詰められているようにすら見える。
「次はこいつだ」
工藤の指がスマホの画面に添えられる。
「……お願いします」
「いや、待って……」
工藤は僕を無視して、スマホで動画を再生した。
*
よく知られた、とあるテーマパークの中。
工藤を含む若い男女が数人、カメラに向かってポーズをとっている。
ちょうど全員がポーズを決めた瞬間、背後の水路から作り物の船とキャラクターが飛び出してきた。
水しぶきがあがり、男女の背中を濡らす。ポーズをとり続ける者、きゃあきゃあと悲鳴をあげて顔を庇う者、水が顔に思い切りかかって咽る者。さまざまなリアクションをする。
「よっしゃ、いい画が撮れたんじゃね? どう?」
「やだ、服びしゃびしゃなんだけど」
「ゲホッ! めっちゃ鼻と口に水入った」
「振り向くからだろ。おーい、誰かタオル持ってね?」
「あ、私一応ハンカチなら持ってるけどー」
楽し気な会話。撮影者が男女に近付いていく。
「あっ、ありがとうございました。撮ってもらって」
「いえ」
「お礼にこっちも撮りましょうか?」
「いいんですか? じゃあ」
画面がブレる。
「ええっと、そこの水路の前で」
「あ、じゃあ、はい! 待ってくださいね」
工藤の声が近くなる。また画面がブレる。
先ほどまで映っていた男女が画面の外に出て、入れ替わるように男女のカップルが水路の前に立つ。三十代半ばくらいの男女で、仲睦まじそうに身を寄せ合っている。
「あ、はい、あー、たぶんもうすぐです。寄って寄って……」
少し離れたところから、先ほどの男女の会話がうっすら聞こえてくる。
「ハンカチ、これ、薄いけど」
「いや十分。助かる」
「え、てか次どこ行く?」
「時間的に待つやつは無理?」
「いや、多少はいけると思うんだけど」
「布団の傍まで何度も何度も見にくるから寝たふりをしないといけない」
「起きていることに気付かれてはいけない」
「絶叫系に乗ったら風圧で髪乾くかな」
「さすがに無理だろー」
また水面が揺らぎ、キャラクターの乗った船が現れる。
水しぶき。悲鳴をあげるカップル。少しだけカメラが揺れる。
カップルがカメラのほうに歩いてくる。
「ありがとうございました!」
「うわー、びしゃびしゃだあ」
「はい……あっ、やば、自分のスマホのほうで撮っちゃった」
「何やってんの工藤ー」
「ああー、いや、大丈夫ですよ」
「もう一回こっちのスマホで……」
「や、や、それはさすがに迷惑なんで。大丈夫ですー……」
「ああー、ごめんなさ」
*
「はい。……これは、どうでしょう?」
工藤が友人とテーマパークに遊びにいったときの動画、だろう。
あの水路は、SNSか何かで見たことがある。一定時間ごとにキャラクターの乗った船が飛び出てきて、水しぶきが上がる。その瞬間に水路の前で写真やら動画を撮るのが流行っているんじゃなかったか。工藤たちもそれをやったのだろう。
全員が映るために、そばにいた他の客――カップル――に撮影をお願いした。お礼に次は工藤がカップルを撮影しようとしたが、間違えてカップルに渡されたスマホではなく、自分のスマホで撮影してしまった。気まずい空気で動画が終わる。
「えーと、なんでスマホ間違えたの?」
「はい。それは、その――彼らのスマホが自分と同じ機種で……ケースも似たようなクリアケースだったので、間違えてしまったんですよね」
工藤がやや照れ臭そうに言う。
「あのあと、どうなったの?」
「改めて謝って別れました」
「ああ、そう……ちょっと気まずいね」
それ以上の感想はない。
「はい。……いや、まあ、それはいいんです。感想はありませんか?」
やたらと感想を求められるが、別に何も思うことはない。
僕が無言を貫くと、工藤はため息をついた。
「では、次――」
「いや、さすがに待ってくれ」
工藤の指が届く前に、スマホを横にずらした。
「何? これ。どういう意味があるの? 僕は何を見せられている?」
「分かりませんか」
「……分かるわけないだろう」
「はい……」
工藤が物憂げな視線をスマホに向ける。
「わざわざ空き講義室に連れてきて、こんな他愛もない音声や動画を見せられて。何が目的か、教えてほしいと思うのは当然だろう?」
工藤がスマホをもとの位置に戻す。
「当然」
「あ、ああ」
「……はい。そうですね。……でも、今は大人しく視聴を続けてください」
工藤がスマホをタップする。
「お願いします」
*
大学の講義室が映る。
人けはない。
講義が行われていない時間のようだ。窓の外は暗く、室内の照明がガラスに反射している。
スマホが揺れ、やがて硬い物音とともに動かなくなる。机の上に固定されたようだ。
画面のちょうど中央、机の前の椅子が向かい合わせに置かれている。そこには、工藤と僕が座っていて――
*
「ちょっと待った」
「はい」
「これ、あのときの」
数か月前の動画だ。覚えがある。
就職活動をはじめた工藤が「面接の受け答えに自信がない」と悩んでいたので、練習に付き合ってやることにした。そのとき、姿勢、声の大きさ、言葉遣いなどをあとからチェックするために、練習中の様子を撮影していた。それがこの動画だ。
「これって、あれじゃん。面接練習のときの」
「はい」
「どうしてこれを見せる?」
「……とりあえず、見てください」
*
「じゃあ、まず基本的な質問の受け答えからお願いできますか?」
「ああ、そうしよう。……じゃあ、まずは――よし、いくぞ」
僕が手に持った紙面に目を落とし、質問を読み上げる。
「はい。『自己PRを一分間で行ってください』」
「ええと――私は物事に対して冷静に取り組み、責任感をもって最後までやり遂げる姿勢を強みとしています。派手さはありませんが、チームの中で着実に役割を果たせる人間だと自負しています。学生時代にはゼミ活動でまとめ役を務め、期限内に課題を完成させることを徹底しました。……ええと、今後も落ち着いた判断と責任力を活かし、組織に貢献していきたいと考えています」
「はい。……うん、一分いってないかな……」
「あっ、本当ですか」
「うん。もうひと文章くらい入れられそうかもしれない。ちょっと内容練り直したほうがいいね」
「わかりました。あとで見直しておきます」
「うん。じゃあ、次。『今までで最大の挑戦と、その成果を教えてください』」
「これまでで最大の挑戦は、大学のゼミで行った研究発表の準備です。メンバーの間で意見が分かれ、作業が停滞しかけたことがありました。布団の傍まで何度も何度も見にくるから寝たふりをしないといけない。起きていることに気付かれてはいけない。いずれ布団の中まで見にくる。そのとき、私は全員の意見を整理し、優先順位を明確につけることで進行を立て直し、その結果、発表は無事に成功しました。この経験によって、ゼミの中で『安心して任せられる』という評価を得られました。メンバーの信頼が何よりの成果だと思います。また、困難な状況でも落ち着いて取り組み、冷静さを失わずに周囲と協調することの大切さを学びました」
「次はこいつだ」
「……はい。うん、いいんじゃない?」
「えっ、本当ですか」
「うん。内容も練れてるし、話し方も落ち着いてるし……これ、僕が見る意味あるかな? 全然大丈夫じゃない?」
「いやっ、いざとなると駄目なんですよ……。なんだろう、普段は自分けっこう緊張しないタイプなんですけどねー、面接だとどうも」
「うん。そうだね。……まあ、普段と全然違う状況だしね」
「今は先輩相手だから緊張せずに話せてるのかもしれないですね」
「うん。じゃあ、やっぱ意味ないんじゃ……」
「いや、話すペースとかひととおり録画しときたいんで! 一人で話すより、人が前にいてくれたほうが本番っぽく話せるのは確かなんで」
「うん。まあそうかあ」
*
「これ以上は、大丈夫です。意味ないんで」
工藤が動画の再生を停止する。
「いくらなんでもさすがに気が付きましたよね」
スマホをシャツの胸ポケットにしまう、工藤の手が震えている。
僕は何も言えなかった。
「布団の傍まで何度も何度も見にくるから寝たふりをしないといけない。
起きていることに気付かれてはいけない。
いずれ布団の中まで見にくる。」
「明らかに、その場にいない人の声が混ざっていましたよね」
「……」
僕は無言で首肯する。
「先輩に面接の練習に付き合ってもらった日からです。当日の動画を見返したら、僕の回答に混じって、妙な音声が入っていて。隣の講義室の声が入ってしまった? いや、でも当日は静かで、物音なんて何も聞こえなかった。動画にだけ音声が入り込むなんておかしい……。まさか心霊現象? なんて思っちゃいました」
僕は無言で首肯する。
「まあ、実際、たぶんそうなんですけどね」
僕は無言で首肯する。
「よくよく聞き返したら、僕の二回目の回答の直後に、『次はこいつだ』って声も入っていました。すごく小さい声ですけど、確かに」
僕は無言で首肯する。
「『……はい。うん、いいんじゃない?』って、先輩、答えてましたね。というか、答えたようなタイミングになっちゃってましたね。僕への返事が」
僕は無言で首肯する。
「動画に音声が混ざっていることに気付いた日から、毎晩、寝るときに誰かが見にくるんです。僕が本当に眠っているか確かめるように、真横に立って、横たわっている僕の顔を覗き込んでくる……」
僕は無言で首肯する。
「本能的に、寝たふりがばれるとまずいって分かるんです。必死で狸寝入りをしているうちに、いつの間にか本当に寝入っていて……眠った気がまるでしないまま朝を迎える。そんな毎日ですよ」
僕は無言で首肯する。
「しかも、それ以来、僕が動画や音声を撮ると、絶対に妙な音声が混ざる」
「布団の傍まで何度も何度も見にくるから寝たふりをしないといけない。
起きていることに気付かれてはいけない。
いずれ布団の中まで見にくる。」
「不気味な声が混ざるんです。絶対に」
僕は無言で首肯する。
「もしかして、先輩も同じ目に遭っていたんじゃないですか?」
僕は無言で首肯する。
「面接の動画を見返すと、先輩、不自然に『はい』とか『うん』とか“肯定の返事”を何度も繰り返していますよね」
僕は無言で首肯する。
「まさかとは思いますが、誰かとふたりきりで話しているときに動画や音声を撮ると、たまに、『次はこいつだ』って声が入って……そのとき、ちょうど肯定の返事を返せたら、相手に“ソレ”を
僕は無言で首肯する。
「でも、生の音声は聞こえないから……録音した音源や動画にしか入らないから、どのタイミングで『次はこいつだ』が入ってもいいように、返事を繰り返していたんじゃないかと――」
僕は無言で首肯する。
「僕はそう推測するんですけど、どうですか?」
僕は無言で首肯する。
「まあ、ただの僕の想像かもしれませんが……試してみる価値はあるなって」
僕は無言で首肯する。
「どうでしょう?」
僕は無言で首肯する。
「認めてもらえますか?」
僕は無言で首肯する。
「僕も今日、何度も『はい』って繰り返してみたんです。……あ、実は、この会話も撮ってあるんですよ。動画で」
僕は無言で首肯する。
「本当は、今までの動画を見せて、途中で僕に
僕は無言で首肯する。
「これで僕は解放されました。あー、すっきりした」
僕は無言で首肯する。
「先輩、これから頑張ってくださいね」
「次はこいつだ」
僕は無言で首肯する。
工藤が窓辺に向かって歩いていく。
ブラインドを開くと、裏に仕込んでいたらしい小型のビデオカメラが現れた。
工藤はビデオカメラを丁寧な手つきで取り上げると、撮影停止ボタンを押した。
「それじゃあ」
ビデオカメラを抱えたまま、工藤が僕の横を通り過ぎていった。
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