4話 揺れ始める心

──翌日、体育館。



ボールの音と掛け声が反響して、床に反射する光が目にまぶしい。


汗とスポーツドリンクの匂いが混ざり合い、息を吸い込むだけで喉の奥が熱くなる。


ここにいると、体まで練習に巻き込まれていくような気がした。


私はその空気に慣れたふりをしながら、

いつものようにタオルを並べ、水の準備をしていた。



「おはよ、翠ちゃん」



振り返ると、同じクラスでバスケ部1年の

大和友哉やまとともやが立っていた。



大和くんは、入部したばかりなのに、もうベンチ入りしている。


練習中の声も大きくて、先輩たちに混じっても堂々とプレーしている姿を、私は何度も見てきた。


そんな彼が、にかっと笑う顔は、体育館の光を跳ね返すように明るい。



「え?……あ、おはよう、大和くん」



昨日までは「長谷川さん」だったのに。


たった一言の違いなのに、胸の奥がふっと熱を帯びる。


呼び方が変わっただけで、こんなにも落ち着かなくなるなんて。


その変化を意識した瞬間、視線のやり場を失って、思わずタオルを握り直した。





──練習中。



タオルを運ぼうとしたら、大和くんがひょいっと持ち上げた。



「お、重そうだな。俺が持ってくわ」


「え、でも、これは私の役目だから」


「いいって。男の仕事でしょ、こういうの」



あっけらかんとした調子で言って、軽々と運んでいく。


その背中は頼もしいというより、

自由でのびのびしていて、思わず見とれてしまった。



「……ありがとう」



小さく礼を言うと、大和くんは「どういたしまして〜」と、軽口めかして笑った。


どうしてこんなに自然に笑えるんだろう。


私にはできないことだから、余計にまぶしく見える。


ほんの少し羨ましさすら混じって、胸の奥にもやが広がっていった。





──休憩時間。



水を配ろうとしたら、大和くんが先に差し出してきた。



「ほら、これ翠ちゃんのだろ。特別サービス」


「え、ありがとう……」


「お、照れてる? 俺、優しすぎるからな」


「ふふっ……変なの」



冗談っぽい空気。


けれど、その明るさが、体育館の熱気を少し和らげていた。


笑って返したつもりなのに、声がわずかに震えていた。


鼓動が速くなるのを抑えきれず、ペットボトルを握る手に余計な力がこもる。


ほんの些細なやりとりなのに、心が落ち着かない。


気づけば、隣にいる大和くんの存在が、やけに大きく感じられていた。





──そのとき。



コートの端にいる、結城先輩の視線に気づいた。


無言のまま、こちらを見ている。


視線が絡みそうになった一瞬、時間が止まったように感じた。


慌てて目をそらしたのに、頬の熱は下がらない。


胸の奥がじわりと熱を帯び、指先まで痺れるようだった。



(どうして……こんなに意識してるの?)



大和くんと笑い合っていたことなんて、もう頭から消えていた。


残っているのは、結城先輩の静かな眼差しだけ。


ただ見られただけなのに、心臓が痛いほど鳴っている。



(気のせい? でも、今の視線は――)



ほんの一瞬の出来事なのに、胸の奥に波紋が広がっていく。


そのざわめきの理由を、自分でもまだ言葉にできなかった。








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