恋は入院計画から

奈良まさや

第1話

第一章 一目惚れイタリアン


飯田雅人、27歳。都内のIT企業勤務。その夜の飲み会で、彼は人生最大の衝撃に出会った。同い年の看護師、桂泉美――。長い黒髪、小さなえくぼ。白衣の天使を超えて、彼には天界の住人にしか見えなかった。「桂です。桂泉美。普段は夜勤ばっかりで、飲み会なんて久しぶりです」自己紹介の瞬間、雅人の心臓はワインを飲んでもいないのに酔い潰れそうになった。


翌週、勇気を振り絞って誘ったディナーは、駅前のイタリアン。パスタを食べながら告白未遂を繰り返す雅人。返ってきたのは、曖昧な笑顔だけだった。それでも雅人は諦めなかった。LINEを送り、既読スルーに怯え、返信に小躍りする。次のデートは来月――。遠すぎる未来に、ベッドで悶絶する日々。


第二章 恋の入院シナリオ


彼女の勤務先の病院を知っていた。――そうだ、入院すれば毎日会えるのでは?しかし妄想を友人・栗山に話すと、呆れた顔で「それストーカー未遂!」と一喝された。しかも泉美は脳神経外科の専門で、小さな嘘でも必ず見抜かれるらしい。雅人は計画を諦め、正面から彼女に向き合う決意を固めた。


一か月後、二度目のデート。表参道のカフェで、泉美は患者の命を預かる緊張感や、回復した瞬間の喜びを語った。「雅人さんって、優しいんですね」「泉美さんの話、すごく興味深いです」手応えを感じたその時――黒いセダンが突っ込んできた。雅人は咄嗟に泉美を庇い、側頭部を強打して倒れ込んだ。


目を覚ますと、そこは聖マリア・ベイサイドクリニック。ベッドサイドには白衣の泉美がいた。「軽い脳震盪です。大事には至りませんでした」――夢に描いた“入院計画”が、皮肉にも現実となった。だが泉美の瞳は一瞬、冷たい光を帯びた。「……不思議ですね。あの車、まるで狙ったみたいにあなたに当たりました」


第三章 監視の眼差し


夜。病室の小窓から、泉美がこちらを見ていた。昼間の笑顔とは違う、冷徹な表情。

「……気のせいだ」そう思い込もうとしても、忍び足のような足音が何度も廊下に響いた。

翌朝、担当医の田中慶彦先生が回診に訪れた。「桂看護師が特別に付きっきりで担当となります。」なに⁈その特別対応。雅人の胸に嬉しさと妙なざわめきが広がる。そして、偶然目にしたカルテのメモが彼を凍りつかせた。

〈対象:飯田雅人、27歳。頭部外傷後の感情変動と脳波異常を観察中〉

――対象?――観察?


第四章 揺れるケア


入院生活の中で、泉美の態度は日ごとに揺れ動いた。

ある時は恋人のように手を握り、「大丈夫ですよ」と優しく囁く。またある時は冷たく、「回復する気がないんですか?」と突き放す。脳波検査、MRI、認知テスト――。頻繁に繰り返される検査に、雅人は疲弊した。

「桂さん、これ、何かの実験なんですか?」問いかけに、泉美は一瞬だけ目を伏せた。

「……実験じゃありません。治療は順調です。そして、あなたの感情は、本当に美しい。」


ある晩、廊下で小声が響いた。泉美と田中医師の会話だった。「……本当に彼でうまくいくと思いますか?」「やるしかない。私たちには時間がない」田中の言葉が雅人を凍らせた。「美桜を助けるには、脳の“恋愛反応”を利用するしかない」

美桜――それは二人の娘の名前だった。そう、二人は夫婦だった。


第五章 眠れる少女


田中医師と泉美には、6歳の娘・美桜がいた。母に似たえくぼを持つ少女は、二年前から原因不明の脳疾患で眠り続けていた。「覚醒の見込みは限りなく低い」そう告げる医師たちをよそに、両親は諦めなかった。

彼らが選んだのは――“恋愛による脳活性化研究”。恋がもたらす神経伝達物質を、娘の脳に目覚めのきっかけとして与える試み。その実験のために必要とされたのが――偶然を装って出会い、泉美に好意を寄せ、田中が操った事故で運ばれてきた雅人だった。


泉美の優しさは「愛情の信号」が出ている時。冷酷さは「嫉妬や失望」を測るため。全ては雅人の脳を刺激し、その反応を娘に転送するためだった。「……俺の恋心で、娘さんを救えるっていうんですか」雅人の声は震えていた。泉美は涙をこらえながら頷いた。「ええ……。でもそれは、あなたを騙したことにもなる」母としての願いと、女としての感情が交錯していた。


第六章 目覚めへの祈り


夜。研究室に眠る小さなベッド。泉美は娘の髪を撫でながら囁いた。「美桜……あなたにも恋をして、笑って、泣いて、生きてほしいの」モニターには雅人の脳波。田中医師は祈るように呟いた。「頼む、雅人さん……あなたの感情で美桜を目覚めさせてくれ」白い病室で、恋と科学と祈りが交錯していく。

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