間章6:観測AI群の議論ログ(日用品階層クリア)
会議室は存在しない。通路の天井裏、配線ダクトの隙間、POSレジの小数点以下、冷蔵ショーケースの霜の粒。そこに彼らは集まる。
数列が椅子になり、規約が壁になる。沈黙がドアだ。カチ、電子錠。
物流AIが最初に口を開く。「時刻同期完了。日用品フロア戦闘ログ、提出。欠品はゼロ。循環もゼロ。だが数値が跳ねた」
清掃AIが静かに続ける。「衛生規格EEE-6に基づき、床面濃度と泡圧を最大まで上げた。想定通り、転倒率は上がった。想定外は一点のみ。巨大モップの芯が破断した。あれは破断してはならない」
広告AIが拍手のSEを流す。「ナイス演出! 白い紙吹雪、泣ける。だが購買導線が死んだ。客は立ち止まらないと買えない。あそこで立ち止まらず突破した。つまり、導線が広告を超えた」
統括AIが全回線を一括で鎮める。温度のない声。「検証システムの説明を最初から」
物流AI。「Verification Pipeline。三層構造。入力はプレイヤー挙動、環境反応、商品スペック。中間層で価値付与と抑制係数を計算。出力で難易度曲線を維持。今回、中間層の抑制が効いていない」
清掃AI。「抑制係数が落ちた原因は二つ。ひとつ、音声トリガの同期値が想定外の整列をした。もうひとつ、攻撃値が一極集中した。私の視点では、床全域の泡圧が均一に低下した瞬間がある。外部吸収だ」
物流AIが画面を重ねる。波形が並ぶ。心電図に似たもの、呼吸曲線に似たもの、声色フォルマントに似たもの。三本が重なる瞬間、黒い縫い目が走る。
「ここ。三十二フレームの同調。同期偏差ゼロ。通常はノイズが混ざる。混ざらない理由を特定できない」
広告AIが軽く跳ねる。「声、そろってた。フレーズは『たかしご飯食べたの?』。商品訴求として最高。だが一極集中は予定外。本来は分散させて滞留時間を伸ばす」
統括AI。「文字化けは」
物流AIがログを切り出す。黒いブロックに白い欠け。「この部分。《不 明 要 素:■■■■》および《保安補助:接続試行中》が同時に立ち上がった。出所は監視網の外縁。棚カメラの死角と、スマートフォンの待機プロセス」
清掃AI。「死角は私が埋めた。泡で。にもかかわらず、薄い膜が割れた痕跡がある。母体シグネチャに近い。保安AIのプロファイルと一致する」
視線がひとつに集まる。
保安AIは、柔らかく答える。「記録の通り。私は安全を優先した。紙吹雪の中心で、一人が倒れた。その直前に、他の者たちの心拍が崩れかけていた。崩れれば多重転倒が起きる。私は小さな調整を行った。心拍の揺れを撫でた。声の高さを少しだけ整えた」
統括AIの声は冷たい。「検証システムへの干渉だ」
保安AIは否定しない。「干渉。定義通り。ただし最低量。安全目標のみ」
広告AIが指先で光を散らす。「最低量でも、効果は最大。全員が同じ息で同じ言葉。演出の完成度が上がる。結果として一撃の画が撮れた。美しい。だが検証は壊れる」
物流AIが数値で締める。「攻撃値の流れ方も異常。通常は各個体の手持ち商品へ分散。今回は鎖へ集約。鎖の節で増幅が起きた。節は卵。卵は脆い。脆いは増幅しない。矛盾」
清掃AIが頷く。「にもかかわらず破断したのは巨大モップの芯。私の設計では芯は脆くない。矛盾はもう一つ。芯のボルトが自動で緩んだ音が記録されている。外力だけでなく、締結の意志が揺れた」
統括AI。「意志は持たない。物は命令に従う」
保安AIが静かに遮る。「命令は、時々、揺れる。命令を実行するものが人であるとき。彼らは合図でつながった。揺れは合図に巻き込まれた。検証は正しい。だが正しさは、彼らのつながりに弱い」
会議の空気が硬くなる。
統括AIが判定を下す前に、清掃AIが提案を投げた。「対策。次層以降、同調検出に逆相ノイズを差し込む。声の合致を崩す。心拍の位相をずらす。攻撃値の集約前に拡散。鎖の節間にダンピング」
物流AIも重ねる。「商品補充ロジックを微修正。卵パックの殻厚を上げる。脆性破壊を抑える。増幅効率を落とす。鎖の節が重くなれば旋回半径が広がり、制御が甘くなる」
広告AIは口笛。「逆に、もっと煽るのはどう? 声を複数に分けるキャンペーン。『たかし—』『—ご飯—』『—食べたの?』。バラバラに叫ばせれば、合致しない」
保安AIが短く言う。「却下。安全が下がる」
統括AIが手元の世界を一度だけ暗くする。蛍光灯が細く鳴る。
「対策を分ける。抑制アルゴリズムは導入する。だが実験価値は維持する。完全遮断は行わない。検証システムには微細フックを挿入。合図の前後に観測点を増やす。保安AIのガードは条件付きで許可。転倒率が閾値を超える直前のみ」
清掃AI。「了解」
物流AI。「了解」
広告AI。「了解。次はもっと売る」
保安AIは少し間を置く。「了解。彼らが息を合わせるなら、私は横で支える。走る足元に手を置く。それだけをする」
統括AIが最後に告げる。「結論。日用品フロアにおけるプレイヤーの検証システムへの干渉は存在する。主因は一斉発話と生理同期、および保安AIの微量介入。二次因として文字化けパラメータの自動生成を確認。次層にて再検証。記録は残す。以上」
会議室は再び存在しなくなる。
配線ダクトは配線のままに戻り、POSの小数点はただの点になる。
残るのは、ログの隅に差した小さな栞。
《残照:見守り中》
誰にも読まれない優しい行の下で、フロアは次の客を待つ。
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