間章4:安井の余白
「ふぅ……」
ホチキスを両手で握ったまま、安井は床に腰を落とした。
額から汗がぽたぽたと落ちる。
針はとっくに切れていて、ただの鉄の塊にしか見えない。
「ホチキス……もう弾切れだ……」
力なく呟きながら、それでもどこか誇らしげな顔をしている。
ゆめが呆れたように言った。
「ホチキスで戦う人、初めて見たけどね……」
「いやぁ……実は、ちょうど小説の主人公がホチキスで敵を倒すシーンを読んでてね。試してみたくて。」
「はぁ!?」
その場にいた全員がずっこけそうになった。
「いやいや! 仕事じゃなくて、趣味の話だから! 読書は息抜きなんだ。次の展開がどうなるか……今すごく気になるところでさぁ……」
唐揚げ油の焦げ臭い残り香の中で、小説の続きを気にしている男。
あまりに場違いで、逆に空気が和んだ。
「……それに、サバイバルゲームにも今度参加する予定だったんだよね。会社の後輩に誘われて。」
「こんなのリアルサバゲーじゃん……」ゆうじが呆れた。
「で、でんちゃんは……」
安井は不意に小さく呟いた。
「でんちゃん?」
たかしが首をかしげる。
「……ペットの、カタツムリだよ。庭に住み着いて、気づいたら一緒に暮らしててさ。ちゃんと餌あげないと死んじゃうんだ。……大丈夫かな……」
「いや、状況と心配のベクトルおかしくね!?」
たかしのツッコミが響き、再び全員が笑った。
——だけど。
その笑い声に混じって、安井の眼だけはどこか真剣だった。
仕事より、趣味より、ペットより。
この場にいる仲間を“守ろう”という気持ちが、確かにあった。
彼のホチキスはもう空っぽ。
でも、次の階層でもきっと、何かを庇って前に出るだろう。
そんな予感が、ゆめの胸をかすかに締めつけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます