白凪亭へようこそ。本日のメニューは『いくら丼』

さわやかシムラ

白凪亭へようこそ。本日のメニューは『いくら丼』

「良い店知ってるんだよ」

 最近食欲が無いという話をしていた矢先。先輩に紹介された店がここ『白凪亭』だった。


 一見して受ける印象は老朽化した古民家。お世辞にも良い雰囲気とは言いづらい。

 このまま帰ろうかとも思ったが、先輩に勧められた手前、ここで引き返すのも申し訳ない。青年は重い身体を前に進ませ、引き戸に手をかけた。扉もガタついており何度か引っ掛かりながらようやく開く。


 石床の玄関。だが目の前にはまたも玄関口を思わせる扉があった。しばらく待ってみたが誰も顔を出すものがない。インターホンも無いようなので、扉をノックする。

「すいません、やってますかー?」

 胸に手を当てて声を絞り出す。こういうのは苦手だ。


 しばらくすると、ガチャリと鈍い音を立て、扉が開く。そこから現れたのは白い前垂れをした給仕の男性だった。手には籠をぶら下げていた。

 青年は細い声で再びたずねる。

「あの、今日はやってますか?」

「お兄さん、ついてますね! さぁこれを飲んだら、奥へどうぞ!」

 爽やかな笑顔で籠から取り出した白いおちょこを差し出す。

 席に案内も無く、食前酒か? 変わった所だ。そう思いながらも受け取った杯をぐいっと飲み干す。

 それを見届けると給仕は杯を受け取り、今度はおしぼりを渡す。

 青年は「こう言うのは席に着いてからではないんですか?」と言いつつも、丁寧に手を拭いておしぼりを給仕に返した。


 扉をくぐる際「足元にお気をつけ下さい」と促されて、少し高く突き出た敷居を跨いで中に入った。

 扉の先の土間を経て沓脱石で履物を脱ぎ、板の間にあがる。木造の壁だが、よく見ればなにやら紋様が彫られている。店の外観とは違い静謐な印象を受け、自分でも気付かぬうちに唸る声をあげてしまっていた。


 給仕に付き従い、奥へと足を進ませる。歩く度に木張りの床が軋み鳴いた。歩き慣れてるのかコツがあるのか給仕は音も立てずに先へと進む。大したものだと、青年は変なところに感心しながら後をついて行く。


 竹の間──その名の通り、竹素材を使用している部屋らしいが加工品の為かナチュラルカラーの板材で、今までとは一転して普通の部屋に感じる。

 部屋の中央にある木のテーブルも竹素材らしいが、そういわれなければわからない作りだ。

 そんな至って普通の物に囲まれているなか、席に座った青年が感じる違和感が一つ。


 ニコニコ笑顔で支度をすすめる給仕の脇には、半眼で青年を睨みつける和装の少女がいた。


 少女は青年を見すえたまま首をかしげて給仕に声を荒らげる。

「こいつ、はらえるのか?」

 思わず耳を疑った。支払い能力を心配されるほど、みすぼらしい格好をしているだろうか? 自分の姿を見下ろす。ワイシャツもズボンもきちんとアイロンを当ててある。失礼な話だ、と青年は眉をひそめた。


 給仕が青年の前に炊きたての白米をそっと置いた。ほのかに湯気を立て、米の甘い香りが鼻をくすぐる。

「ええ、ええ、大丈夫だと思いますよ。逃げる力もないでしょうから」

 給仕の返答もなかなか失礼だなと、青年は肩を落として小さくため息をついた。

 念のため尻ポケットの財布を手で触る。財布の感触に少し安心する。


 ふと、ここに来てからメニューも見せてもらってなければ料金も聞かされてないことを思い出す。

「そういえば、メニューは? それと、いくらですか?」

 その質問に、給仕がニコニコと返答する。

「メニューはコチラにおまかせになりますが……お出しするのがよく『いくら』とご存知でしたね」


 給仕は透明の器に盛りつけた赤く艶の美しい粒の塊──『いくら』を差し出すと、それを白米の上に乗せた。


 話の噛み合わなさに青年は苦笑する。だがいくらは好物だ。思わぬ食事の提供に心が弾んだ。近頃の食欲不振が嘘のように腹が鳴る。

 金額はわからないが、もし万が一現金が足りなければ別の決済で済ませよう。そう割り切ってしまうことにした。


「どうぞ、お召し上がりください」

 両手を合わせて「いくら丼」を口の中にかき込んだ。

 磯の香りが口の中にぶわっとひろがった。ぷちぷちと口の中で弾けるいくらの感触とトロリと舌に広がる塩気と旨味が最高だった。


 気が付けば、和装の少女が背後に立っていたが、特に何をするわけでもないので、気にしないようにして食事を続けた。給仕が得意げな表情で話をはじめる。


「お米は、あらかじめ清めた生米を霊泉から汲んだ水を使い炊き上げたものです。浄化と鎮魂の効果が期待できます」


 青年は箸を持ったまま手を止め、眉間をひそめた。

 いったい何を言い出しているのか。給仕の言葉は全く理解できない。だが――今は久しぶりに目の前にあるまともな食事の誘惑が勝った。青年は余計なことを考えるのをやめ、いくら丼を口に運ぶことに専念した。

 その背後に立つ少女は呆れた顔で肩をすくめたが、給仕はにこやかに頷き、話を続ける。


「次に『いくら』ですが、古来より赤い物は邪気を祓うとされていましてね。

 また縁起物という意味では『子孫繁栄』、すなわち子宝に恵まれますようにという験担ぎも込められております」


 スラスラと話す給仕に、青年は食べる手を止めて怪訝な顔で質問をする。


「それが俺に何か関係ありますか?」


 給仕は笑みを絶やさずに、目と鼻の先まで顔を近づける。


「貴方様に最適な食事となっております」


 青年の目玉が裏返り、白目をむく。青年の意識はそこで途絶えた。どこかで赤ん坊が泣く声が聞こえた気がした。



 青年は突然テーブルに突っ伏したが、給仕も少女も特に驚かなかった。

「……くさい。血と羊水のにおいだ。……可哀そうに」

 少女の呟きに応じるように、青年の背から黒い煙が渦を巻いて立ち上がった。

 少女は眉も動かすことなく、給仕に告げる。

「ようやく出てきたぞ。……おい、祓膳師ふぜんし、本当にこれを祓える・・・のか?」

「ええ、祓いますとも。たとえ未熟な胎児の霊だとしても、ね」

 薄暗いモヤは身体を内側に丸めた小さな胎児の形にまとまり、そして泣いた。


「原因は全てこの男だろ? 妊婦の腹に暴行を加えるような奴はこのまま呪い殺されていいんじゃないのか?」

「そういうのは人の法に任せましょう。私達は死者が生者に影響を与えるのを防ぐのみです」

 そう言うと、祓膳師ふぜんしは手にしゃもじ・・・・を持ち、そっと胎児の霊をすくう・・・。しゃもじの上で胎児は泣き止み、すうすうと寝息を立てた。祓膳師ふぜんしが指で印を結ぶと、霊は光の球となり、その場に留まった。


「ではダツエさん。頼みましたよ」

「呆れる。奪う衣も、量る罪もないではないか」


 和装の少女は、光の球を胸に抱えると、手を空間に突き出す。そこに次元の裂け目が現れた。

 その空間に足をかけながら、振り返る。


「帰ってきたら、ワシも『いくら丼』が食べたいな」

「ええ、用意しておきますよ」

 祓膳師ふぜんしは白い前垂れで手を拭きながら笑顔で返答した。



 青年は重たい瞼をゆっくりとひらいた。夢うつつでまだぼんやりとした頭で周囲を見渡す。

 枯れた笹の葉が敷き詰まった竹藪たけやぶの中で寝ころんでいた。

 それを自覚した瞬間。冷水を浴びたように頭がハッキリする。ここはどこだ!? なぜこんなところで寝ていた!?  髪の毛やワイシャツに、枯れ葉がいくつも絡まっていた。


 頭を振って思い出そうとするが、竹藪に来た記憶が全くなかった。めっきり食欲が無くなり、それをどうにかしようとどこかへ向かった……そんな記憶がうっすらあるだけだ。そこで、腹の音が大きく鳴った。


「なんだ……食欲あるじゃないか」

 そういえば肩こりも無くなった気がする。青年は肩を大きく回し、満足そうに頷くと、とりあえず竹藪から抜け出そうと明かりの差す方向へ歩き始めた。



「なあ祓膳師ふぜんしよ、ワシはあの男の衣を剥ぎ取りたかったな」

 ダツエが『いくら丼』を口に含みながら、空いた手でスマホをタップしニュース記事を確認する。


「お行儀が悪いですよ、ダツエさん。そんなので閻魔様に怒られないんですか?」

 背筋を伸ばし綺麗な所作で食事をしていた祓膳師ふぜんしが呆れたように注意をする。


「閻魔殿はここにはおらんだろう」

「私がご注進するとは思わないのですか?」

「その前に、お前は三途の川を渡さん」

「それはそれは、長生きできそうですね」

 祓膳師ふぜんしは箸の手を止めて、くすくすと笑った。


 そしてダツエが一つの記事に目を止め、にやりと笑って祓膳師ふぜんしに向きなおる。

「ああ、祓膳師ふぜんしよ、これはきっと良い依頼がくるぞ。『DV男、刺殺される』だそうだ。こいつはきっと悪霊になる。今度は剥ぎ甲斐がありそうだ」

 祓膳師ふぜんしは眉をひそめ、ため息交じりに軽く頭を横に振る。

「ではまた、見合った食事のご用意をしなければなりませんね」


 ——霊に困った方は、どうぞ白凪亭へ。きっとお口に合うお膳をご用意いたします——

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