第9話--揺らぐ日常と冬の吐息--

 冬の朝は、空気そのものが透き通っているように感じる。

 校門をくぐる彩は、吐く息が白くほどけていくのを見つめながら、

胸元の小さな輝きにそっと指先を添えた。

 制服の下に隠れているはずのスフェーンのペンダントは、

肌に触れるたびに微かなぬくもりを伝えてくる。


 ――凛に渡された、この虹色の光。

 まだ、みんなには言えない。


 教室のドアを開けると、いつものように結が手を振ってきた。

 その後ろで翠も小さく笑っている。


「おはよー彩。ね、やっぱ最近ちょっと雰囲気変わったよね?」


「えっ? そうかな」


 彩は笑ってごまかしながら席についた。

 だが結は納得しないように机に頬杖をついた。


「変わったよ。なんていうか……大人っぽい。

あとさ、最近授業中にボーッとしてること増えたし」


「ここんとこ特にね」と翠が軽くうなずいた。

「しかも、よく首元を気にしてない? ずっと襟に手をやってたよ」


 彩は一瞬、指先が無意識にペンダントを探していたことに気づき、慌てて笑った。


「そんなことないよ。ただ寒いから、つい」


「ふうん……」

 結は意味ありげに微笑んだ。「彩、彼氏できた?」


「えっ⁉ ち、違うってば!」


 慌てる彩の声に、クラスの何人かがちらりとこちらを見た。

 顔が熱くなり、彩は慌てて視線をノートに落とした。


 そのやり取りを、斜め後ろの席から凛が無言で見ていた。

 その表情に彩は気づかなかったが、冷たい横顔の奥にわずかな影が差していた。



 昼休み、体育の授業を控えた彩は、更衣室でシャツのボタンを外していた。

 そのとき、ペンダントがふと襟元から覗いた。


「あれ? 彩、それネックレス?」


 すぐ隣で着替えていた結が目敏く見つけた。

 彩は慌ててシャツを引き寄せて隠した。


「ち、違う。たいしたものじゃないよ」


「でもキラッとしたよ。石かな?」


 からかうように笑う結に、彩は苦笑いを返すしかなかった。

 そのやり取りを、少し離れたところから翠がじっと見ていた。



 その日の放課後。

 冬の日は短く、教室にはもう夕暮れの影が伸びていた。


 帰り支度をする結と翠に手を振って別れた彩は、少し迷った末に図書室へと向かった。

 ふとした予感があったのだ。


 静まり返った図書室の奥、窓辺の席で凛が本を読んでいた。

 ページをめくる音だけが静寂を破っている。


 彩はそっと近づき、声をかけた。


「……ここにいたんだ」


 凛は顔を上げ、目だけで軽く彩を見る。


「何か用?」


 その淡々とした声に、彩は少し肩をすくめた。


「用っていうか……たまたま、来てみただけ」


「そう」


 再び視線を本に落とした凛は、それ以上何も言わなかった。

 しばらくの沈黙のあと、彩は勇気を出して口を開いた。


「その……ありがとう。ネックレス。大事にしてる」


 凛の指先が一瞬止まった。

 けれど顔を上げずに、静かな声で答えた。


「似合ってるよ。首元に、その虹色があるのは」


 その何気ないひと言に、彩の胸がじんわりと温かくなる。

 でも同時に、なぜか切なさがこみ上げてきた。


「……そう言われると、なんか変な感じ」


「変じゃない。ただ、そう思っただけ」


 凛はそれだけ言って、また本を開いた。



 図書室を出て、昇降口へと向かう廊下で、彩は外の景色に目をやった。

 夕暮れの空気は冷たく、ガラス窓がうっすらと曇っている。

 吐く息を窓に吹きかけると、白く広がってすぐに消えた。


 ――この気持ちは、何なんだろう。


 友人たちには言えない秘密を抱えていることで、

どこか日常から一歩外れてしまったような感覚。


 けれど、その虹色の光を手放すこともできない。


 彩は小さく息を吐き、手袋をしていない指先でそっとペンダントに触れた。

 冷たい冬の空気の中で、それは微かに体温を伝えてきた。


 その温もりが、彼女にとって何なのか。

 まだ答えは見つからないまま、夕闇が校舎を包み込み始めていた。

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