第6話 シャワー室での目覚め
瑠璃が布団に潜り込んでから、部屋の空気はまるで重力を増したかのように、重く、粘り気を帯びていた。時折聞こえる、瑠璃のすぅすぅという寝息だけが、この異常な状況下で唯一の現実音だった。詩織は、瑠璃から手渡されたバスタオルを、まるで大切な盾のように胸元で握りしめたまま、立ち尽くしている。その視線は床の一点に固定され、長いまつ毛が作る影が、彼女の戸惑いを色濃く映し出していた。
- 俺は、何か言葉をかけなければならないと焦っていた。このままでは、彼女の純粋さが、瑠璃が作り出したこの淫靡な空気によって汚されてしまう。そんな奇妙な使命感が、俺の背中を押した。
「詩織、シャワー、使ってきなよ。温かいお湯を浴びれば、少しは落ち着くと思うから」
俺の声に、詩織の肩がびくりと震えた。彼女はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめる。その瞳の奥には、恐怖、困惑、そして、ほんのわずかな期待のような色が混じり合っているように見えた。
「……うん。ありがとう、柊くん」
彼女は小さく頷くと、おぼつかない足取りでバスルームへと向かった。ドアが閉まり、再びシャワーの水音が、俺たちの間の気まずい沈黙を埋め尽くす。俺は、その音を聞きながら、先ほどの詩織の瞳を思い出していた。彼女のあの表情は、一体何を意味していたのだろうか。瑠璃の奔放な振る舞いは、明らかに計算されたものだ。だが、詩織は? 彼女もまた、この状況を望んでいるのだろうか?
疑問が、俺の頭の中で渦を巻く。彼女は、門限が厳しいお嬢様だ。こんな状況は、本来ならありえないはず。それなのに、彼女はここにいる。俺の部屋に。その事実が、俺の心の奥底に、ある種の確信めいた期待を芽生えさせていた。確かめなければならない。彼女の真意を。
俺は、まるで何かに憑かれたかのように、ゆっくりと立ち上がった。眠っている瑠璃を起こさないように、抜き足差し足でバスルームのドアへと近づく。ドアノブに手をかける寸前で、俺は一度動きを止めた。これを越えてしまえば、もう後戻りはできない。俺たちの関係は、ただのサークルの先輩と後輩ではいられなくなる。だが、俺の心は、既に決まっていた。
コン、コン。
控えめに、しかし、確かな意志を込めてドアをノックする。すぐに、シャワーの音が止んだ。静寂の中、ドアの向こうから、詩織の戸惑ったような声が聞こえる。
『……なに? 柊くん……?』
俺は、ごくりと生唾を飲み込み、ドアに唇を寄せるようにして囁いた。
「……詩織も、本気なのか?」
それは、俺の人生で最も勇気を振り絞った問いかけだった。数秒が、永遠のように感じられる。諦めて部屋に戻ろうかと、弱気な自分が顔を出し始めた、その時だった。
『……うん』
か細い、しかし、確かな肯定の響き。その一言が、俺の中に残っていた最後の理性のタガを、粉々に打ち砕いた。俺は、もう躊躇わなかった。ゆっくりとドアノブを回し、湯気で満たされたバスルームの中へと、一歩、足を踏み入れる。
乳白色の湯気が立ち込める狭い空間。その中心に、詩織は立っていた。シャワーの雫が、彼女の白く滑らかな肌を伝い、床に小さな波紋を作っている。豊かな黒髪は濡れて肌に張り付き、普段の清楚な姿からは想像もつかないほど、無垢で、官能的な裸身を晒していた。その姿を目の当たりにした瞬間、俺の身体の奥底で、何かが激しく脈打った。
そして、その光景と共に、俺の脳裏に、忘れかけていた記憶が鮮やかに蘇る。あれは、高校生の時。大学のオープンキャンパスで、偶然見かけた光景だった。人混みの中で、一人の男子生徒にしつこく絡まれ、腕を掴まれて怯えていた少女。それが、詩織だった。俺は、正義感などという大層なものではなく、ただ、その恐怖に歪んだ顔が見ていられなくて、ほとんど無意識のうちに二人の間に割って入ったのだ。「やめろよ」と、か細い声で。男は舌打ちをして去っていき、彼女は「ありがとう」とだけ言って、人混みの中に消えていった。
俺にとっては、ほんの些細な出来事。だが、彼女は覚えていた。俺のことを見ていてくれた。そして今、彼女は、俺に全てを委ねようとしている。その事実が、俺の中で眠っていた「雄」を、完全に目覚めさせた。俺は、ただの「草食系」なんかじゃない。この無垢な身体を、この純粋な魂を、俺だけのものにしたい。支配したい。その抗いがたい衝動が、脳を焼き尽くす。頭の中が、快楽への渇望で真っ白に染まっていくのが、自分でも分かった。
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