第5話 裸身の瑠璃と静かな時間


 カチャリ、と無機質な鍵の音が、狭い部屋の空気を震わせた。途端に、シャワーの温かい水が壁を叩く、くぐもった音が響き始める。その音だけが、俺と詩織の間に横たわる、濃密な沈黙を埋めていた。ローテーブルを挟んで向かい合ったまま、俺たちは互いに視線を合わせることができずにいた。瑠璃が投げ込んだ「三人で寝ましょう」という言葉の爆弾は、いまだに破片となって空気中に漂い、俺たちの思考を麻痺させているようだった。


 先に沈黙を破ったのは、詩織の方だった。彼女は、テーブルの上に置かれた自分の指先をじっと見つめたまま、か細い声で呟いた。


 「あの……柊くん、本当にごめんなさい。瑠璃ちゃん、いつもはあんな子じゃないんだけど……少し、酔ってるみたいで……。それに、私のせいで、柊くんの部屋までお邪魔してしまって……」


 その声は、罪悪感で震えていた。彼女が、この状況の全てを自分の責任だと感じていることが痛いほど伝わってくる。俺は、胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じながら、慌てて首を横に振った。


 「いや、詩織は何も悪くないよ。むしろ、俺の方こそ、散らかった部屋でごめんな。山岸に絡まれて、怖かっただろ。何もなくて、本当に良かった」


 俺の言葉に、詩織はゆっくりと顔を上げた。潤んだ大きな瞳が、不安そうに俺を捉える。その純粋な眼差しに射抜かれて、俺は心臓が大きく脈打つのを感じた。彼女の優しさに触れるたび、俺の中に眠っていた、誰かを守りたいという原始的な本能が、静かに、しかし力強く鎌首をもたげる。この子を、俺が守らなければ。その思いが、先ほどまでの歪んだ支配欲とは全く違う、温かい光となって俺の胸を満たしていった。


 俺たちの間に、再び穏やかな沈黙が流れようとした、その時だった。


 ガチャリ、と、唐突にバスルームの鍵が開く音がした。止まったシャワーの音に気づかなかった俺たちは、二人して驚きに肩を震わせ、音のした方へと視線を向ける。湯気の向こうから現れたその姿に、俺は息を呑んだ。詩織が、小さく「ひっ」と悲鳴のような声を上げたのが聞こえた。


 そこに立っていたのは、一枚のバスタオルだけを、その小さな体に無造作に巻き付けた瑠璃だった。火照った肌は湯気で艶めき、濡れた髪からは、石鹸とシャンプーの甘い香りが立ち上っている。タオルは、彼女の豊かな乳房を辛うじて隠してはいるものの、その膨らみは隠しきれず、今にも零れ落ちそうなほどの存在感を主張していた。彼女のコンプレックスであり、同時に最大の武器でもある「ロリ巨乳」。そのアンバランスな魅力が、目の前で圧倒的な現実として俺に迫ってくる。


 瑠璃は、驚愕に固まる俺たち、特に詩織の狼狽した表情を見て、悪戯っぽく唇の端を吊り上げた。


 「あ、こんな格好、陽介センパイの前だけですから。詩織の前ではしませんよ、普通」


 その挑発的な言葉は、明らかに俺と詩織の間に楔を打ち込むためのものだった。「陽介センパイと私は、これくらい平気な関係なんですよ」と、無言のうちに語りかけてくる。詩織は、その言葉の意味を正確に理解したのだろう、顔を真っ赤にして、さらに小さく縮こまってしまった。


 瑠璃は、そんな詩織の反応を楽しむかのように、くすくすと笑うと、こともなげに自分の体に巻いていたバスタオルを外し、それを畳んで詩織に手渡した。


 「はい、詩織。どうぞ。次は詩織の番ですよ」


 その瞬間、瑠璃の全てが露わになる。タオルを受け取った詩織の手が、微かに震えていた。俺は、見てはいけないものを見てしまったかのような罪悪感と、抗いがたい好奇心で、視線を逸らすことができない。瑠璃は、そんな俺たちの反応を意に介す様子もなく、全裸のまま、俺が用意した布団の一つに、猫のようにするりと潜り込んだ。そして、布団から顔だけを出すと、満足げな表情で俺たちを見つめて、こう言った。


 「おやすみなさーい」


 部屋には、シャワーの余韻である湿った空気と、石鹸の香り、そして、どうしようもないほどの気まずさが充満していた。俺の心臓は、早鐘のように激しく脈打ち続けていた。裸の瑠璃、そして、その隣で、タオルを握りしめたまま立ち尽くす詩織。彼女の純粋さが、この状況で踏みにじられてしまうのではないか。その危うさが、俺の庇護欲を、先ほどとは比べ物にならないほど強く掻き立てていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る