第2話 「黒いファイル」


冷たい白光が途切れ途切れに金属の壁を照らす、暗い本部の廊下。

静寂を破るのは、軽やかな足音だけだった。


銀白の長い髪を肩に流し、灰色の静かな瞳を持つ少女――

雪村サヨリ。


彼女はゆっくりと歩きながら、隣の青年へ視線を向ける。

両手をポケットに突っ込み、青い瞳を宙に彷徨わせる男。


小さく、しかし確かな不安を含んだ声で呟いた。

「レンジくん……遅くない?」


隣に立つのはカズヤ。

その肩は強張り、表情は硬く冷たい。

返ってきた声は鋭く、どこか突き放すようだった。


「どうでもいい。あいつはいつも自分のやり方で動く。

 心配するだけ無駄だ、あんな鈍感には。」


サヨリは首を傾げ、静かに彼の横顔を見つめる。

「でも……君たち、友達じゃないの?」


答えは返らない。

カズヤの瞳が一瞬横へ逸れ、すぐに顔を背ける。

胸の奥に引っかかった言葉を、吐き出せずに。


サヨリは小さく微笑んだ。

まるで、その沈黙の意味をすでに理解しているかのように。


そして再び歩き出しながら、柔らかな声で囁く。

「早く仲直りした方がいいよ……怒りは、カズヤくんには似合わないから。」


彼女は扉の前で立ち止まり、ふと何かを思い出したように振り返った。

口元に秘密めいた笑みを浮かべて言う。


「――あ、そうだ。レンジくんに伝えて。

 彼のためにみかんを買っておいたの。冷蔵庫に入ってるから。」


そして、人差し指を唇に当て、いたずらっぽく囁いた。

「でもね……前のみかんを全部食べたのは、私。

 だから……本当のことは言わないで。お願い。」


柔らかな足取りで廊下を去っていくサヨリ。

残されたカズヤは、静かにその背中を見送る。


小さな皮肉めいた笑みを浮かべながら、胸の奥に広がる重さを隠せずに。


「……まったく。」


廊下から外に出たカズヤは、正門の門柱に腰を下ろした。

両膝を胸に抱え、手を膝の上に置き、遠くの暗闇を見つめる。

雨が激しく降り注ぎ、茶色い髪に滴を張り付けながら、彼は大きな門のステップに座っていた。

遠くの街の灯りが濡れた地面に反射していたが、彼の瞳に映るのはただ闇に沈む地平線だけだった。


膝を抱き寄せ、顎をその上に置く。

体全体がその場に縮こまるかのよう。

途切れ途切れの呼吸が、重く沈んだ心臓の鼓動と混ざる。


「くそ……レンジめ……」

かすれた声で、自分にだけ聞こえるように呟く。

「なんでいつも、離れるんだ……」


二人の最後の会話が胸を突いた。

大きな喧嘩ではなかった、だが、この命の中で唯一の絆を切り裂くには十分だった。


少しだけ顔を上げ、空を仰ぐ。

雨が頬を打ち、熱い涙を隠すように降る。

小さな微笑みで隠そうとするが、叶わない。


「……わかってる。心が、あんたと喧嘩したままにはさせない……

 たとえ憎もうとしても、できないんだ。」


右手に着けた黒い手袋を強く握りしめる。

その中に、すべての葛藤を詰め込むように。

目を閉じ、雨音が無情に地面を叩く音に耳を澄ませる。


唯一の希望は、遠くの道の向こうにレンジの影を捉えること。

だが地平線は空っぽで、夜がその期待を嘲笑うかのようだった。


雨はなおも激しく降り続ける。

しかしカズヤの胸の奥は、ここ数日間感じたことのない熱い鼓動で満たされていた。


瞳が大きく開く――遠くに揺れる影を見つけたのだ。

重々しく、ゆっくりと、世界に逆らうかのような足取り。

淡い街灯が一歩ごとにその姿を浮かび上がらせる――

乱れた黒髪、濡れた黒いコート、背に背負った大きな黒い袋。


「レンジ……」

カズヤは自分に囁くように呟いた。

そして考えもせず、友のもとへ駆け出す。

雨が地面を打つたびに、足音が空気を切って流れる。


レンジの前にたどり着くと、カズヤは突然立ち止まり、息を切らし、胸が速く上下した。

手を上げ、口を開きかけた瞬間――冷たいレンジの指が静かに唇に触れ、灰色の瞳が何も言わずに沈黙を要求する。

その一瞥だけで、問いかける言葉は全て消えた。


レンジは静かに肩を回し、背中の重い袋を下ろす。

体を少し曲げ、背中が痛みで呻くように見える。

石の門柱に腰を下ろし、雨が濡れた髪を打つ。光が肌に線を描き、青白い顔をさらに際立たせる。


手を伸ばし、袋の端をつかむと、カズヤの目の前で開けた。

暗闇の中、徐々に中身が姿を現す――錆びた機械部品、切断された配線、壊れた歯車、古い機器の散らばった金属片。

どれも無秩序に積み重なっており、まるで街の廃墟から集められたかのようだった。


カズヤはその場で固まる。

そして、声よりも先に魂が叫んだ。


「これ……全部……?」


目の輝きを抑えられなかった。

彼にとって、その光景はまるで約束された宝物のようだった。


レンジはただ少し後ろに体を倒し、ゆっくりと呼吸を整えた。

灰色の瞳はカズヤをじっと見つめたまま、何も言わない。


その瞬間、カズヤは手が震えるのを感じた。

触れたいという衝動――まるで失われた世界が、一度に戻ってきたかのようだった。


雨が二人の上で静かなシンフォニーを奏でる中、

一人は理解できないものを追い求め、

もう一人は思いがけない喜びで胸を満たされていた。


レンジは古い機械を取り出す。少し重く、少し錆びている。

慎重に、カズヤの手の上に置いた。

灰色の瞳がカズヤの目と重なり、カズヤは熱っぽく尋ねる。


「どこでこんなものを手に入れたんだ?」


カズヤは理解したことをすぐに悟り、目を輝かせ、叫んだ。


「リマ……あの廃棄場から持ってきたんだ!全部、そこにあったんだよ!まさか生き残ってるとは思わなかった!」


そして興奮のあまり、カズヤはレンジを強く揺さぶった。

胸が飛び出るかと思うほどで、レンジは意識を失いそうになった。


それでもレンジは沈黙したまま、体を動かすことに身を任せ、抵抗の気配は見せなかった。


そして、かすかに、自分の耳でかろうじて聞こえるくらいの声で言った。


「…悪かったな…無視してしまって。」


カズヤは驚き、思わず頭を上げた。

こんな冷たい友人から、思いがけない告白が出るとは予想していなかったのだ。


レンジは続けた。

彼にしかわからない微かな笑みを浮かべながら、口元には届かない笑顔で。


「それでも…みかんは好きだ。」


カズヤは一瞬言葉を失い、驚きで固まった。

そして、やがて雨の中で笑いを爆発させた。

雨に濡れた滴の間を、笑い声がこぼれ、冷たい空気の中に溶けていった。


レンジはしばらく彼を見つめた。

灰色の瞳は変わらず冷たいままだったが、ほんの少し、笑みが口元に浮かんだ。

――友の幸せを見るのは、めったにないことだった。


数分の雨の中の笑いの後、レンジは重い袋に近づき、そっと端を持ち上げた。


カズヤはためらうことなく反対側を掴み、言った。


「一緒に運ぼう…全部片付ける前に、これ以上めちゃくちゃになる前に。」


二人は足並みを揃え、重い袋を運び出す。

まるで、互いの間の重さが、協力のおかげで少し軽くなったかのようだった。


道中、カズヤは短く笑いながら口を開いた。


「そういえば…雪村さん、みかんを買ってくれたって。冷蔵庫にあるよ。」


レンジは突然立ち止まり、眉を上げ、灰色の瞳を驚きで見開いた。


「…なぜ、そんなことを?」と小さな声で前を見つめながら言った。


カズヤは知らないふりをして微笑み、肩を軽くすくめた。


「誰が知ってるって…?」


レンジは一瞬カズヤを見つめ、そしてため息をついた。

肩にかすかな緊張の影が残るが、それ以上は何も言わなかった。


二人は雨の中を歩き続け、重い袋を抱えながらも、不思議と軽やかな空気が漂っていた。


レンジとカズヤは本部の二階に到着し、慎重に大きな袋を修理室に置いた。

部屋は古い機械部品、工具、武器のパーツ、錆びた電気機器で溢れ、テーブルや床に散乱していた。


二人は少し体を休め、レンジは深呼吸をした後、手元の古い道具をめくり始めた。

まるで、解かれるのを待つ小さなパズルのようだった。


雨音が高い窓から室内に響く中、レンジの冷静さは変わらなかった。

低く、カズヤを直接見ずに言った。


「二週間前、ナゴモが自分で気付いたあの理論を覚えているか…?」


カズヤは古びた椅子に座り、冷たい水を一口飲みながら頭を上げ、答えた。


「逃亡者…元暗殺者の話か?」


レンジは頷き、少し体をカズヤの方に向け、静かな声で続けた。


「正しい。十年前に突然姿を消した暗殺者の集団がいる…五十人以上だ。組織は彼らの失踪で大打撃を受けた…だが、彼らがまだ生きているという理論は未確認だ。」


カズヤは青い眉を上げ、ゆっくりと言った。


「なぜそれを聞く?」


レンジは黒いファイルを鞄から取り出し、死んだ運転手の車から手に入れたものをテーブルに置いた。

ゆっくりとファイルを開き、目をページに移しながら、部屋の静寂を感じる。

そして、顔をしかめ、内容に衝撃を受けた。


ファイルには名前、写真、日付、可能性のある場所…誰も知らなかった詳細がぎっしりと書かれていた。

元暗殺者たちは単なる伝説ではなかった…存在し、資金提供され、巧妙に隠されていた。そして、死んだ運転手こそ唯一の接点だった。


カズヤは頭を上げ、レンジを見つめる。


「…これは…本当に危険だ。意味が分かるか?」


レンジは表情を変えず、灰色の瞳で彼を見つめながら、静かに言った。


「分かっている。」


カズヤは息を飲み、慌てて言った。

「レンジ…このファイルをエロスキ-さんに渡さなきゃ!これは非常に危険だ!」


レンジはゆっくりと振り返り、灰色の瞳をカズヤから離さず、冷静な声で答えた。

「その任務は君に任せる…」


カズヤは一瞬ためらったが、レンジの意思を覆せないことを理解した。


レンジは会議室を出て、金属の冷たい床に確かな足取りで歩き始めた。

長い本部の廊下を進み、背の高い窓から差し込む雨が部屋の光と戯れる。


突然、後ろから鋭い刃が飛んできた…肩に届く寸前だった。


レンジは冷徹な動きで手を上げ、一瞬の間にナイフを掴み、完璧にキャッチした。


その瞬間、サイオリが現れ、静かに立って微笑んだ。

灰色の瞳で彼の動きを見つめる。


低く、落ち着いた声で、しかし尊敬を込めて言った。

「まだ腕は衰えていないわね、レンジ-くん」


冷たい微笑を浮かべ、少し振り返りながら歩き出す。

「今日は遅かったから、何かあったのかと思ったの…来て確認しただけよ」


扉の前で立ち止まり、もう一度彼を見つめ、声を少し真剣にした。

「聞いたの…元暗殺者たちについて、大きなことを」


レンジはじっと見つめ返し、瞳はいつも通り動かない。


そして…静かに尋ねた。

「ナゴモは?」


サイオリは微笑み、目に少しのいたずらっぽさを光らせながら答えた。

「今、昼寝してる…どうやら休息が必要みたいね」


サイオリはレンジに後ろをついてくるよう合図し、軽やかに鼻歌を口ずさみながら歩いた。

レンジは黙って後ろをつき、灰色の瞳で周囲を隅々まで見渡していた。


二人は完全にガラス張りの美しい部屋に着いた。

窓からは雨が降り注ぎ、大きなガラス窓に滴り落ちる雨粒を通して、灰色の光が静かに部屋の中に差し込む。


ソファの上にはナゴモ、黒髪の乱れた青年が深く横たわっていた。

白いシャツに長い黒いジャケットを着て、顔には奇妙な落書きがいくつも残っている。


サイオリは微笑みながら静かな声で言った。

「こうしている姿も、なかなか素敵ね」


レンジは眉を上げ、冷たく問いかける。

「…これ、君の仕業か?」


サイオリは笑い、うなずいた。

「ただのちょっとした仕返しよ」


レンジは静かにソファに近づき、ナゴモを起こそうとした。しかし、思った以上に眠りは深い。

軽く蹴ろうと足を上げ、さらに少し強くした瞬間…ナゴモはどこにもいなかった。


突然、首筋に冷たい圧力を感じた。


後ろにはナゴモリ・カヨキが立っており、鋭いナイフをレンジの首に押し当てていた。

まだ眠りの中にいるようだが、声は冷たくも真剣だった。

「何をしようとしている?」


レンジは一瞬止まり、恐怖を見せず灰色の瞳をナゴモに向けた。


やがてナゴモはゆっくり目を開け、柔らかく微笑みながらナイフを首から離した。

「ごめん…君が俺を殺そうとしたのかと思った。寝過ぎてたみたいだね」


レンジは静かにうなずき、少しだけ体を緩めた。


サイオリはくすくすと笑いをこらえようと手で口を覆い、肩を小さく揺らした。


ナゴモは微笑みながら彼女を見て言った。

「サイオちゃん…笑わないでくれよ。俺の立場だったら、君も同じことをしただろう?」


サイオリは軽く笑い、ささやいた。

「たぶんね…でも、この瞬間には抗えないの」


レンジはゆっくり息をつき、椅子を取り出してソファの前に置き、静かに座った。

そして手を伸ばしてナゴモの肩をそっと揺らした。

「初めてだな…お前の理論が当たるなんて」


ナゴモは目を大きく開き、黒い瞳を輝かせて興奮気味に言った。

「何だって?本当に?」


レンジは黒いファイルを手に取り、灰色の瞳で細部まで見つめながら言った。

「あるグループがいる…本物の元暗殺者たちだ。彼らはほぼ死の印が完成していて、今も隠れて生きている」


ナゴモは一瞬驚いたふりをした後、すぐに笑顔を見せて手を伸ばした。

「わあ…これは…すごいな!」


レンジは冷たく手で制した。

「顔の手入れを今すぐしろ」


サイオリは小さな笑みを浮かべ、ナゴモに鏡を差し出した。


ナゴモは自分の顔を見つめ、一瞬固まったが、すぐに笑い声をあげた。

「この美しい顔が!!」


彼はハンカチを取り、顔の落書きを拭き始めた。


サイオリは軽く笑いながら言った。

「だって、私が1週間かけて冷蔵庫に隠したお気に入りのケーキを盗んだから…当然の報いよ」


ナゴモは頭を上げ、楽しそうな目で彼女を見た。

「君は本当に容赦ないな…わかった、俺が悪かった。でも、サイオちゃん、もう二度とやらせはしないぞ!」


サイオリは微笑んで答えた。

「たぶんね…今日からは無理かも」


ナゴモは笑いながら首を振り、再びソファに座り直して言った。

「よし、今日一日が思ったより楽しくなったな」


ナゴモはレンジを見つめ、黒い瞳が好奇心で輝く。刻まれた入れ墨の入った手を膝に置きながら言った。

「レンジ……何を見つけたんだ?」


レンジは穏やかな声で答えた。灰色の瞳はナゴモから逸れない。

「その集団のリーダーは、あのタクシーの運転手だった。殺した。そいつが持っていたファイルを奪った。」


ナゴモは眉を上げ、続けて尋ねる。

「で、ファイルの中身は?」


レンジは少し顎を傾け、考えるように呟いた。

「名前、場所、日付――組織にとって必要な全ての情報だ。今はイロスキさんに届けられる。上からの指示を仰ぐためにな。」


そばに立っていたサヨリは静かに聞き入り、灰色の瞳でレンジを慎重に観察する。小さな冷たい微笑みを浮かべて低く言った。

「指揮官は、彼らを生かしておくつもりはないわ…」


レンジは何も言わず微笑む。ナゴモはその言葉を理解して頷いた。

「わかった…彼らは体制にとって直接の脅威だ。失敗の余地はない。」


サヨリは再び薄く微笑み、目に冷たさを宿らせて付け加えた。

「彼らは死ななければならない…安定を脅かす存在よ。一歩の誤りが全てを変えてしまう。」


サヨリが力強く扉を閉めると、部屋には静けさが戻ったが、張りつめた緊張は消えずに四人の周りを漂っていた。


ナゴモは軽い笑みを浮かべてレンジを見やりながら言った。

「サイオは楽しそうだな……任務を単なる作戦以上のものとして見ているみたいだ。」


しばらくして、ナゴモは少し微笑み、頬に手を当てて窓の外の街を冷たく見つめた。声は淡々としていたが、目は鋭い。

「元暗殺者たちはただの逃亡者じゃない。連中の流儀、訓練、昔の手口を知ってる。もしあいつらが長年隠れ続けてきたなら、相手は思ったより手強いだろう……だが我々は〈オーラコ〉だ。こいつらに勝ち目はない。」


レンジはただ彼をじっと見つめた。灰色の瞳は動かず、感情を見せない。しかし内心では、すべての一歩、あらゆる可能性、すべての脅威に対する計画を練っていた。


ナゴモは軽い笑みを浮かべ、皮肉っぽく付け加えた。

「でも、奴らはただの愚か者の集まりだ。すぐに片付くさ…心配するな」


ナゴモは席を立ち、いつものように広い笑顔を浮かべた。突然の雰囲気の変化にも動じない。

「よし!こんな真面目な話は置いといて…今夜は飲み会だ!」


両腕を組んで椅子に座るレンジは、明らかに退屈そうに眉を上げた。

「…またか?」


ナゴモは軽く笑った。

「ハハ、もちろん!リラックスするならこれが一番だろ?」


レンジは鋭く彼を見つめた。

「いつも飲み会を開くくせに…お前、酒は飲まないじゃないか。」


ナゴモは高めの声で笑いながら無視した。

「そうそう!でも今回は俺のためじゃない…お前らのためだ。先輩からのささやかな贈り物ってやつさ」


レンジは深く息を吐き、顔を背ける。

「相変わらずうるさいな」


ナゴモはさらに近づき、いつもの軽い調子で声をかける。

「でも今回は本当にお祝いする理由があるんだ」


レンジは横目で彼を見つめ、冷たく言った。

「理由?」


ナゴモは自信たっぷりに微笑んだ。

「アキルくんがSランクに昇格したんだ!すごくない?」


レンジの目がわずかに見開かれ、表情が一瞬変わる。

「…それは聞いていない」


ナゴモは腕を組みながら頷く。

「本当に強いし、値するさ。だから今夜祝いをやろうと思ったんだ」


そして声を柔らかくしながら続けた。

「サヨオちゃんも招待する、アキルくんももちろん、カズオくんも」


ナゴモはソファから長い黒いコートを手に取り、白いシャツの襟を整える。広い笑みが顔から消えない。

「じゃあ…深夜過ぎに、いつものバーでな。遅れるなよ、レンジくん」


レンジは退屈そうに座ったまま彼を見返す。

「…来るとは限らん」


ナゴモは軽く笑い、手を振って反論を無視した。

「ハハ!よく分かってる…絶対来るさ、逆に装ったとしてもな」


そして静かに歩いて扉へ向かい、外の雨音とともに声を残した。

「じゃあな…今日は退屈な一日にならないようにな」


ナゴモが出て扉を閉めると、レンジは一人きりになった。灰色の瞳は窓に映る雨の反射を追い、ナゴモの陽気な声がまだ頭の中でこだましていた。


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死なぬ笑みの屠人 @akami_193

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