第02話「騎士様の眼差しと、薬草園の秘密」
リオネス・フォン・ヴァインベルク。その名前は、平民の俺でも知っていた。若くして騎士団の副団長に就任したエリート中のエリート。ヴァインベルク侯爵家の三男で、剣の腕はもちろん、その誠実な人柄は多くの人々から尊敬を集めている、と。
そんな雲の上の存在から、まさか薬の相談をされるなんて。
「僕で、お役に立てるなら……」
俺が恐縮しながらも頷くと、リオネスは少しだけ表情を和らげた。笑うと、普段の厳格な雰囲気が嘘のように、年相応の青年の顔になる。そのギャップに、少しだけドキリとした。
「助かる。近いうちに、改めて伺わせてもらう」
そう言って彼は、再び優雅に一礼し、颯爽と去っていった。残された俺は、しばらくその場に立ち尽くすしかなかった。心臓が、まだバクバクと音を立てている。
(なんなんだ、今の……)
貴族といえば、アラン・フォン・エーデルシュタインのような、平民を見下す嫌味な連中ばかりだと思っていた。アランは薬草学科の首席で、公爵家の長男という立場を鼻にかけ、事あるごとに俺に絡んでくる。
「おい、平民。お前のような者が、ここの高貴な薬草に触れるな。穢れる」
そんな暴言は日常茶飯事。俺は面倒なことが嫌いなので、いつも適当に聞き流しているが、正直気分は良くない。それに比べて、リオネスの態度はどうだ。彼は俺を平民としてではなく、一人の薬草師として見てくれた。それが、なんだかくすぐったくて、嬉しかった。
この日を境に、リオネスは頻繁に薬草園へ顔を出すようになった。騎士団の巡回ついで、という名目らしいが、どう考えても目的は俺だろう。
「今日の調子はどうだ、ハル」
「リオネス様。変わりありませんよ」
最初は「リオネス様」と呼んでいたのだが、「様はやめてくれ。君と俺は、薬草学を共に探求する同志だ」と真顔で言われ、結局「リオネスさん」と呼ぶことになった。それでもまだ恐れ多いが。
彼は俺が作業する傍らに立ち、熱心に質問を投げかけてくる。
「この『太陽の涙』というハーブは、火傷に効くと聞くが、他の薬草と合わせることで効果は変わるのか?」
「はい。例えば、この『霧氷花の蜜』と混ぜると、冷却効果が高まって、より早く炎症を抑えることができます。ただ、分量を間違えると凍傷の危険もあるので、注意が必要です」
「なるほど……奥が深いな」
俺の知識は、すべて前世の薬学と化学の知識に基づいている。成分の化学反応を考えれば、最適な組み合わせを導き出すのはそう難しくない。だが、この世界では魔法が科学の代わりをしているため、そういった分析的なアプローチは新鮮なようだ。
リオネスは俺の話を、いつも真剣な眼差しで聞いてくれる。その青い瞳に見つめられると、なんだか落ち着かなくて、つい視線を逸らしてしまう。
「君はすごいな。まるで、薬草と対話しているかのようだ」
「そ、そんなことないです。ただの知識ですよ」
俺はまた、そう言って謙遜した。この「薬草と対話しているような感覚」――俺が「生命のささやき」と心の中で呼んでいるこのスキルが、どれだけ異常なものなのか、この時の俺はまだ理解していなかった。
俺が薬草に触れると、その植物が欲しているものが流れ込んでくる。水が足りないとか、日差しが強すぎるとか、特定の養分を求めているとか。それに従って世話をするだけで、薬草は驚くほど元気に育ち、その効能を最大限に発揮してくれるのだ。
(長年の研究で培った、経験と勘ってやつだな)
俺はそう結論づけていた。まさかこれが、転生の際に与えられた、世界でただ一つのユニークスキルだとは思いもせずに。
リオネスとの交流は、俺の学院生活に少しずつ変化をもたらしていた。彼が薬草園に来るようになってから、俺に絡んでくる貴族の生徒が明らかに減ったのだ。ヴァインベルク家の権威は絶大らしい。
おかげで、俺はより一層、薬草の研究に没頭できるようになった。リオネスの依頼であった騎士団の回復薬も、試作品がいくつか完成した。従来の物より、治癒速度も効果の持続性も格段に向上しているはずだ。
ある日の夕暮れ時。試作品の軟膏を木製の容器に詰めながら、隣で作業を見守るリオネスに話しかけた。
「リオネスさんは、どうして騎士になったんですか?」
ふと、気になったのだ。彼ほどの家柄なら、もっと楽な道もあっただろうに。
彼は少し遠い目をして、薬草園の向こうに沈んでいく夕日を見つめた。
「俺は三男だからな。家を継ぐ立場にはない。それに……俺は、ただ強くなりたかった。この手で、大切なものを守れるように」
その横顔は、いつもより少しだけ寂しげに見えた。
「昔、病で妹を亡くした。高名な医者も、貴重な薬も、何の効果もなかった。貴族の地位も財産も、無力だった。その時、誓ったんだ。力とは何か、本当に守るべきものとは何かを、自分の力で見つけ出すと」
彼の静かな告白に、俺は胸が締め付けられるような思いがした。前世の俺も、ただひたすらに新薬開発に没頭していた。それは、病に苦しむ人を一人でも多く救いたいという、純粋な思いからだった。根っこの部分は、彼と似ているのかもしれない。
「だから、君の知識が羨ましい。君の手は、多くの命を救うことができる」
その言葉に、俺は思わず顔を上げた。彼の青い瞳が、夕日に照らされてきらめいている。その真っ直ぐな視線に射抜かれて、俺は何も言えなくなった。
ただ、一つだけ確信したことがある。
俺は、この人の力になりたい。俺の知識が、この人の助けになるのなら、喜んで提供しよう。
「試作品、できました。かなり効果は高いはずです」
俺は軟膏の入った容器を、彼に手渡した。
「ありがとう、ハル。大切に使わせてもらう」
彼が受け取った時、俺たちの指先が、ほんの少しだけ触れ合った。その瞬間、彼の体から伝わってきた温もりに、俺の心臓がまた、トクンと大きく跳ねた。
この感情が何なのか、恋愛経験に乏しい俺にはまだ分からなかった。ただ、この穏やかで、少しだけ甘い時間が、ずっと続けばいいのにと、心の底から願っていた。
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