生の裂け⟨きざはし⟩に触れる掌──死を抱きし者たちの物語
- ★★★ Excellent!!!
この物語は、死を「終わり」として閉ざさない。むしろ、死こそが生を照らし返す鏡であり、愛がもっとも深く露わになる裂け目として描かれている──
クロムのネクロマンシーは単なる蘇生術ではなく、存在の境界に手を伸ばす愛と死の裂け⟨きざはし⟩にあるエロティックな試みだと感じた。
腐敗した肉体の奥で揺らめく魂へ触れようとする行為は、まるで禁断の聖衣を脱がすような暴挙であり、同時に救済の祈りでもある。だがリヴは腐敗はない。そこにあるのは愛であり、この世界に救う病巣のような「愛=生」。この裏返しが非常に文学性を高めている。
リヴは“生きていない”がゆえに、もっとも生を照らし返す存在として立つ。彼女の美しさは血の通わぬ静謐さと、クロムへの絶対的献身が生む熱の二重構造が見えた。
そこに私の敬愛するジョルジュ・バタイユ的な死=官能の気配が宿っており、これからの物語であるにもかかわらず、「愛=生」という人為的な規律を揺るがす筆者の凶器が光る。
死者である彼女が、ただ一人クロムの隣に立ち続ける光景は、「愛とは何か」という問いに対するひとつの答えだ。愛とは、「生」の「外側」に触れながらなお手を離さぬ意志、そんな哲学を私はこの作品から感じた。
ガレオンの救済において、作品はさらに深い地点へ達する。死者がただ滅びず、また単純に蘇るのでもなく、「苦痛からの解放」と「帰還する意志」の狭間で揺れる姿。ここで生命そのものの曖昧性が露わになる。我々の「規律」の外側にあるもの……この作品は、私たちに、吉本隆明のいう「共同幻想」にある、見逃してはならないものの小さな叫びを、聞かせてくれる。
この物語は、生と死と愛を直線に並べない。三つは互いに貪り合い、滲み合い、引き裂かれながら結びついている。その痕跡が痛ましくも美しく、読む者の胸を静かに灼く。
いや。その生と死と愛の三つはそもそも直線上には、ない。それぞれ位相が異なり、時に重なり合い、そして時には遥か遠くにある。
そんな哲学性をダーク・ファンタジーというエンタメの中で表現する作者のセンスと文学性はゆえに耽美であり、同時に「規律」に対する謀反だ。
シンプルなグノーシス主義ではないくせに、グノーシス主義があるからこそ生まれる愛しさ、悲哀、そしてエロティシズム。
この作品は、見逃してはならない。
見逃せば、あなたの中には「偽」の「秩序」というものが「腐敗」という名を伴って「生」になりすますであろう。
最後に私自身の言葉で……「めっちゃおもろい! これ見ないと損ですよ!」
──偉そうに語ってすみません。でもこれぐらい書きたいぐらい創作意欲湧かされました。今後もぜひ読んでみたいです!