春はあけぼの、夏モヒカン ~TS元モヒカンはモヒカンを取り戻すためポストアポカリプス世界をゆく。~
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1章 目覚め
2016年 春 横浜
横浜の薄暗いバーに、男が二人並んで座っていた。
一人は見るからに不健康なモヒカン頭。名を舎人真木(とねり まき)という。
まだ30を過ぎたばかりだというのに、20代で体と精神を酷使しすぎたせいで、すでにガタが来ていた。
それを知った友人の研究者、新堀賢人(にいぼり まさと)──通称マッドは、「よく効く痛み止めだ」と言って、開発中の薬をこっそり真木に飲ませ続けていた。
そして今日、治験の協力を持ちかけるため、真木をこのバーに呼び出したのだった。
散々飲み続けた真木が、とうとうテーブルに突っ伏した。
「おい、真木。起きろ!」
「うるせぇ⋯⋯」
「おいってば!」
真木はか細い声でつぶやく。「僕はもう疲れたよ、パトラッシュ⋯⋯」
マッドはため息をつき、一枚の紙とペンを差し出す。
「⋯⋯なら、この『外泊証明書』にサインしな。サインしたら寝かしてやるよ」
真木はだるそうに顔を上げ、細い目で紙を睨んだ。
「マッド⋯⋯まさか、俺を傭兵に売り飛ばす気か?」
「お前、飛行機の操縦なんてできないだろ?これはただの承諾書だよ」
真木はそれを聞いて安心したのか、「ああ、それなら」とぶっきらぼうに答え、よろよろとペンを握りサインをした。
「⋯⋯少ししたら起こしてくれ⋯⋯」
そう言い残し、真木は再びテーブルに顔を埋め、意識を手放した。
「ああ⋯未来で待ってる⋯」
マッドは静かにそう呟いた。
――――――――――――
????年 ??月 ??
『治験対象の解凍を再実行します。蘇生を確認しました。シーケンスをオーバーライドします。ポッドが開きます。ご注意ください』
無機質な機械音声が、耳元でがなり立てる。
どこからか、くぐもったアラーム音が聞こえてくる。
どうやら俺は寝ていたらしい。確か昨日は、マッドと飲んで⋯あれ?その後の記憶がない⋯。
ズキズキと痛む頭を押さえ、体を起こそうとするが、鉛のように重くて動けない。
なんとか目を開けようとすると、強烈な光に視界が焼かれる。
「あ゛ぁぁぁ!目がぁ!目がぁぁ!」
――なんか声もおかしい。風邪でも引いたか?
薄汚れたガラス張りの、日焼けマシーンの蓋のようなものが視界に入る。
どうやら俺は、その中に横たわっていたようだ。
「!」
体の重さも忘れ、俺は勢いよく飛び起きた。慌てて周りを見渡すが、見覚えのない部屋にいる。
「ここどこ!?」
ん?また変な声が出た。いつものダミ声じゃない。喉を触るが、何かが違う。
落ち着こうと、いつもの癖で胸ポケットからタバコを取り出そうとした。
フニッ
不思議な感触に胸元へ目をやると、あるべきポケットとタバコはなく、代わりに⋯見慣れないふっくらとした双丘があった。
思わず胸に手をやる。柔らかく、確かにそこにある感触に凍りついた。
「えっ?ちょ、待て⋯えっ?」
俺が混乱していると、再び機械音声が聞こえてきた。
『治験対象の行動開始を確認しました。ドクターよりメッセージを預かっています。1件の新しいメッセージです。メッセージを再生します』
ピーッ
『真木よ⋯起きたかね?新堀だ。この音声を聞いているということは、無事に目覚めたはずだ。お前に渡していた薬は痛み止めではなく、開発中のナノマシンだったんだ。騙していたことは謝る』
俺は震える手を握りしめた。あの野郎、やっぱりやりやがったな!
『だが、無事起きてこのメッセージを聞いているということは、お前の病巣は全てなくなっているはずだ。おそらく。きっと。なあに、礼には及ばんよ!副作用だって?どうだろうな?今後調べることにする。そうそう、これを録音した後のデータはコールドスリープマシンの足元側の⋯⋯』
『録音時間を超過しました。再生を終了します』
ブツッ、と機械音声が途切れた。
「⋯⋯はぁ!?」
メッセージの続きが聞きたかったのに、最後の肝心な部分でぶつ切りにされた。
「おいおいおいおい!ふざけんなマッド!一番大事なところが聞けてねぇだろうが!」
俺は頭を抱え、床に転がった。
「野郎⋯俺を実験台にしやがった!どうすんだよ、このおっぱ⋯⋯」
その時、俺に電流が走る――!
いや、さっきからずっと気にはなっていたんだ⋯⋯チンポジの違和感を!恐る恐る股間を触る⋯⋯が、やはり、ないっ!
「ちょ、ちょっと待て⋯息子が⋯⋯いや、俺の息子はどこ行った!?」
脳が混乱して笑いと泣きが入り交じる。
俯いて頭を垂れると、滲んだ視界に飛び込んできたのは、綺麗な桜色の髪だった。
ひとしきり泣いた後、メッセージの内容を思い出す。
マッドの野郎、足元がどうとか言ってたな?
推定日焼けマシーンの足元側を調べると、埃をかぶった箱が転がっていた。恐る恐る開けると、その中にはPIP-B◎Yのようなデバイスが入っていた。
「PIP-B◎Yかよ!」
思わず叫ぶが、それを聞く者は誰もいなかった。
気を取り直して電源を入れ⋯入れ⋯⋯ようとするが、入れ方がわからない。
「あれ?これどうやって電源入れるんだ?」
ものは試しと101のアイツやブルーに倣って、細くなった腕にデバイスを装着してみると、ふいに起動し始めた。
しばらく眺めていると画面にデスクトップが表示された。
マウスもキーボードもない。タッチパネルだろうか?
「おっ、当たりだ」
俺はつぶやきながら、デスクトップに唯一ある readme ファイルを開いた。
『真木へ。よくぞこのファイルを開いた。このデバイスはお前に入れたナノマシンと通信することで初めて起動できる。起動するときは腕にでもくっつけてくれ。ここから設定をするから、しばらくそのままにしておいてくれ。新堀より』
マッドからの手紙だった。いや、副作用の話はどうなったんだ! そもそも、起動方法をデバイス本体に入れとくって、どういうことだよ!
そうこうしているうちに、画面が次々と切り替わっていく。
【承諾書と照合⋯⋯成功】
【ナノマシンとのリンク開始⋯⋯成功】
【ナノマシンを介して視界に拡張現実を表示します⋯⋯成功】
【思考とリンクします⋯⋯成功】
すると、いきなり目の前にウィンドウが表示された。
【この表示が見えますか? yes / no】
「え?何これ⋯ここは『no』っと」
【no⋯⋯見えてますね。設定を続けます。同じ箱に入っているクリスタルストレージを本体に入れてください。】
そんなメッセージとともに、箱の中のプレパラートのようなものにターゲットマークが合う。
つまんで持ち上げると、プレパラートの中央に5mm角ほどの虹色に輝くホログラムが見え、思わず手元を凝視する。
観察している間もターゲットマーカーからデバイス本体のスロットへ矢印が伸びていた。それに従い、スロットへ差し込む。
【データをロードします⋯⋯成功】
【拡張機能をインストールします⋯⋯成功】
【インストール完了しました。】
【 ようこそ!】
「⋯⋯な、なんだこれ?」
指先の感覚が鋭くなる。重力、血流、筋肉の張り――体が思考に即応する。胸の違和感も痛みも、すべて情報として理解できた。
俺が混乱しているのをよそにメッセージはどんどん進む。
【現在以下のファイルを参照できます。】
【・新堀賢人 日誌】
【・手紙】
【・readme(開封済)】
俺はとりあえず新堀賢人 日誌と書かれたファイルを開いた。
――――――――――――
新堀賢人 日誌 抜粋
2016年3月18日
被験者・舎人真木のコールドスリープを開始。年齢32歳、男性。事前の精密検査で、彼の体から未知のウイルスを検出。免疫系の暴走が原因で、あらゆる細胞を攻撃している。現状の医学では治療不可能。投与したナノマシンがどの程度効果を発揮するかは不明だが、真木の生存にはこれが唯一の道だ。コールドスリープが成功することを祈る。
2017年8月22日
ついに完成した。ナノマシンを改良し、ニューロンネットワークナノマシン(N4M)と名付ける。これで人類は新たな次元へと進化するだろう。
意識拡張:シナプスにナノマシンが入り込み、神経信号をデジタル化。思考だけで外部ネットワークに接続し、膨大な情報を瞬時に取得する。頭で「検索」と思うだけで情報が流れ込んでくる感覚は、まさに意識の拡張だ。
記憶のクラウド化:記憶をバックアップし、必要なスキルや言語をダウンロードして即座にインストール可能に。
身体能力のブースト:運動神経に直結させ、反応速度を人間の限界以上に引き上げる。
義肢・外骨格の統合:義肢や外骨格を自分の手足のように操る感覚を可能にする。
自律治癒:内臓の状態を常に監視・調整し、病気を自律的に修復する。
これがあれば、病気も、学習の壁も、肉体的な限界も、すべて過去のものとなる。これこそが、人類が次のステップに進むための鍵だ。これで勝てる。
2017年5月10日
コールドスリープポッドのシステムを更新した。古いナノマシンでは将来的に互換性の問題が出る可能性がある。被験者には、コールドスリープ中にN4Mを投与。より良い未来を彼に与えることができるだろう。
2021年4月9日
やらかした。最悪の事態だ。
コールドスリープ中の被験者から採取した血液を再検査したところ、彼の体内でウイルスとナノマシンが結合し、新たな変異を起こしていることが判明した。動物実験でこの結合体を投与したところ、細胞レベルで不可逆的な異変が起こることを確認。
2021年4月28日
異変はどうもランダムなようだ。
骨格が変化したり、肌の色が変化したり、あるいは内臓がまったく別の機能を持つようになったり⋯⋯。
正直、予想外だった。真木が目覚めた時、彼の体に何が起こっているか、私にも予測できない。
ただ、唯一の救いは、この異変の結果としてウイルスの活性が完全に失われていることだ。
真木の命は救われる。それが何よりも重要だ。
願わくは、彼の異変が、彼自身が受け入れられる範囲のものでありますように。
2022年2月24日
大陸のほうで戦争が始まったようだ。あちらの研究所との連絡が途絶えた。私のデータが無事であることを祈る。私の研究データは一般に公開できないものばかりだからな。
2026年9月9日
日本にも飛び火した。ここの研究所は地下にあるから爆撃はされないであろう。そもそもここの存在を知るものは一握りだ。念のために松本と筑波にもバックアップを送ることにする。
2029年10月23日
外部との通信が途絶えた。外から逃げ込んできた奴が言うには各都市で戦闘が頻発しているようだ。
真木を未来に送ったように、私の意識と記憶、そして研究データも未来に託すことにした。
壁際の端末に、人格バックアップを記録したストレージを隠しておく。未来の真木よ、どうかこれを回収してほしい。
その中には、君の体の秘密や、この世界の現状を打開するためのヒントが詰まっている。頼んだぞ。
――――――――――――
マッドの日誌を読み終えた俺は、ため息をつきながら天井を見上げた。助けてもらったことは嬉しいし、感謝もしている。
だがよぉ⋯⋯やっぱりマッドサイエンティストって呼ばれる理由も分かる気がする。
感情の整理が追いつかず、俺は一人、がらんとした部屋に叫んだ。
「コールドスリープってなんだよ!つーかナノマシンなんて聞いたこともねぇ!てか、2029年ってなんだよ!13年寝てたってのかよ!今何年なんだよ!そもそもここどこなんだよ!」
ひとしきり叫ぶと少しは落ち着き、奴からの手紙があったことを思い出す。目の前に表示されている「手紙」と銘打たれたファイルを開いた。
――――――――――――
真木へ。
まずは告白からだ。お前に「痛み止めだ」って渡していたあの薬――実は薬じゃない。ナノマシンだ。
ただし、あれは言わば“旧世代”のやつで不完全品だ。
本来は延命と疼痛緩和を狙ったものだが、副作用で体がガタガタになった可能性がある。
⋯まあ、お前の体調が悪化したのは病気のせいでもあるが、俺のせいでもあるかもしれん。謝る。だが助けたい気持ちは本物だった。信じてくれ。
で、今お前の体を流れているのは“新世代”――ニューロンネットワークナノマシン、N4Mだ。
ただし正直に言う。副作用で肉体に“変化”が起きる可能性がある。俺にも予測はできん。
もし鏡を見て叫んだとしても、それは俺のせいだ。先に謝っておく。
だがこれは旧世代とは次元が違う。延命を超えて、意識の拡張や自律修復、記憶のストレージ化までできる。
人類を次の段階に押し上げるやつだ。率直に言うと、俺、すごい。超すごい。詳しくは日誌を読め。
さて、この地下研究所の隣区画にバンカーバスターがぶち込まれたらしい。ここが追撃を受けないように、俺はこれからちょっと細工をしに行く。長居はできない。
外部との通信は2029年から途絶えがちになり、今ではほぼ完全に遮断されている。敵対勢力や実験体が徘徊している可能性があるから外に出る時は隠密優先で頼む。
外見や声が変わっているせいで会った相手が混乱するかもしれないが、それはお前のせいでも俺のせいでも無い。双方の責任ということで。
壁際のロッカーに入っているケースに拳銃と弾を入れてある。外はもう法なんてない世紀末のような世界だ。護身に使え。ロッカー横の端末から、プレパラート大の板――クリスタルストレージを回収してくれ。
腕のデバイスを付けたまま近づけば回収手順と隠し場所が表示されるはずだ。
最後に。これは研究であり賭けでもある。お前を救うために賭けた。俺はお前を信じてる。
お前はきっと目覚めてこのファイルを読んでいると信じている。
もしこの世界が手に負えなくなっても——お前が笑ってくれれば、それで俺は満足だ。
世話になった、友よ。未来で待ってる。多分俺は笑ってる。多分お前は殴る。それを楽しみにしている。
瀬谷基地 第9研究所所長
新堀 ”マッド” 賢人
2030/6/9
P.S. ついでにお前のモヒカンを緑にしておいた。トサカにするかサボテンにするか迷った末にサボテンにした。ご堪能あれ。
――――――――――――――――――
あとがき
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