第36話 予期せぬ再会
穏やかな日曜日の午後、健太と陽菜は、隼人と葵の新居を訪れた。真新しい一戸建ての玄関を開けると、焼きたてのパンのような、ほんのり甘く香ばしい匂いが漂ってくる。陽菜は「葵さん、お菓子焼いてくれたんだ!」と無邪気に喜び、健太の心にわずかな罪悪感を植え付けた。
リビングでは、生後三ヶ月になる優奈が小さな揺りかごの中で眠っている。葵は隼人と並んで、母親になった柔らかい微笑みを浮かべていた。健太は、義理の姉となった葵の左手薬指に光る結婚指輪と、母となった柔和な表情を交互に見て、複雑な感情を胸に秘めたまま祝福の言葉を口にした。
しばらく談笑した後、陽菜が「葵さん、優奈ちゃん抱っこしていい?」と尋ねる。葵は「どうぞ、陽菜ちゃん」と優しく答え、眠っている優奈を陽菜に渡した。陽菜が大事そうにその小さな命を腕に抱く姿を、健太はぼんやりと見ていた。
陽菜が健太に「健太くんも、ほら」と優奈を差し出した。健太は、心臓が大きく跳ねるのを感じながら、おそるおそるその温かい重みを腕に受け止める。
寝顔を覗き込んだその瞬間、健太は全身に雷が落ちたような衝撃に襲われた。その子は、あまりにも自分にそっくりだった。くりくりとした瞳の形、少し茶色がかったやわらかい髪、そして、口元を緩めた時の人懐こい面影。それは、鏡に映る自分自身の面影と重なった。
健太は言葉を失い、ただ呆然と優奈の顔を見つめていた。その表情の変化に気づいたのは、葵だけだった。
葵は、一歩引いた場所から、何食わぬ顔で隼人と会話を続けながらも、その瞳は健太を真っ直ぐに捉えていた。その視線は、健太に真実を告げていた。「ええ、あなたの子です。あなたと私との、愛の証よ」と。
健太は、運命の皮肉を、静かに、そして激しくかみしめた。まさか、自分の娘が、陽菜の姪として育てられているとは。しかし、その歪んだ関係の中に、愛する我が子の成長をすぐそばで見守れるという、唯一の救いがあることも悟った。葵は、一歩引いたところから健太を愛し、彼の遺伝子を受け継いだ優奈を育てることで、自分なりの満足と幸せを見出しているように見えた。
健太は、何も気づかずに「健太くん、顔がそっくりだね!」と屈託なく笑う陽菜の姿を見て、激しい罪悪感に襲われる。彼は、何もかもを知っている葵と視線を交わし、黙って頷いた。それは、互いに「この秘密を墓場まで持っていこう」という、声なき声の誓いだった。彼は、愛する優奈を、そしてその母親を、誰にも言えない秘密を抱えながら、生涯守り抜くことを心に誓った。それは、二人の間に交わされた、最後の「密約」だった。
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